山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

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西郷南洲とモーゼ。(3) ■西郷南洲は、延岡の児玉邸の庭で陸軍大将の軍服を焼却した時点で、人間として死滅し 、「 神」ないしは 神の言葉を預かる「 預言者」となった。上野の山の西郷南洲像は、糸夫人が「 似ていない」とか言ったらしいが、それは、「 神 」ないしは「 預言者 」となって以後の西郷南洲だったからではないか。( 続く)

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西郷南洲とモーゼ。(3)
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西郷南洲は、延岡の児玉邸の庭で陸軍大将の軍服を焼却した時点で、人間として死滅し 、「 神」ないしは 神の言葉を預かる「 預言者」となった。上野の山の西郷南洲像は、糸夫人が「 似ていない」とか言ったらしいが、それは、「 神 」ないしは「 預言者 」となって以後の西郷南洲だったからではないか。鹿児島市内にある西郷南洲像が軍服姿なのは、それが「 人間 」としての西郷南洲を表しているからだろう。上野の西郷南洲像が、日本国民に敬われ、親しまれ、愛されている・・・のに対して、鹿児島市内の立派な軍服姿の西郷南洲像が、ただそこにあるというだけで、ほとんど問題にならないのは、当然だろう。人間は、元来、定住する存在ではなく、放浪、遊動する存在であったと柄谷行人は、『世界史の構造』や『遊 動論』で言っている。日本の文学の原点にも、西行芭蕉山頭火・・・というように放浪、遊行する文学という伝統があるように、文学や芸術は、定住や日常性を否定する要素を持っている。モーゼも、彷徨と遊行、遊動・・・する存在であった。モーゼだけではない。イエス・キリスト孔子も、ブッダソクラテスも、古代の聖人たちは、いずれも彷徨と遊行、遊動・・・する存在であった。言うまでもなく、西郷南洲もまた、彷徨と遊行、遊動・・・する存在であった。上野の山の西郷南洲は、彷徨と遊行、遊動・・・する存在としての西郷イメージを象徴している。西郷像の彫刻家・高村光雲には、東京での名誉ある地位と豪華な生活を、ボロ屑のように脱ぎ捨てて、着の身着のままの粗末な姿で、南九州の山野を彷徨=放浪=遊行する西郷南洲の姿が、見えていたのだろう。さすが高村光雲である、と思う。

( 続く)






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本稿は最終稿=完成稿ではありません。今後も加筆修正を繰りお返していきます。最終稿は、メールマガジン山崎行太郎の毒蛇通信』でお読みください。
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西郷南洲とモーゼ(2)■西郷南洲の山越えの旅は 、モーゼの『出エジプト記』であった。■ 西郷軍は、熊本城攻撃に失敗し、以後退却を重ねた挙句、官軍に包囲されつつも、宮崎県延岡の長井村に集結した。8月17日、西郷南洲は、実質的な西郷軍解散命令を発し、降伏したい者は降伏せよ、ただし、死を覚悟して最後まで戦うものはついて来い、との布告を出した。一方で、西郷南洲は、この日 、陣地としていた長井村の児玉邸の庭で、重要書類とともに陸軍大将の軍服を焼却した。西郷軍は、約4000名が投降し、700名が残った。そして、この

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西郷南洲とモーゼ(2)
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西郷軍は、熊本城攻撃に失敗し、以後退却を重ねた挙句、官軍に包囲されつつも、宮崎県延岡の長井村に集結した。8月17日、西郷南洲は、実質的な西郷軍解散命令を発し、降伏したい者は降伏せよ、ただし、死を覚悟して最後まで戦うものはついて来い、との布告を出した。一方で、西郷南洲は、この日 、陣地としていた長井村の児玉邸の庭で、重要書類とともに陸軍大将の軍服を焼却した。西郷軍は、約4000名が投降し、700名が残った。そして、この夜から、西郷軍は、死を覚悟の山岳逃避行へ向かった。まず手始めに、いわゆる奇想天外の可愛岳突破作戦が、この夜、実行された。以後、西郷軍は、死に場所を求めるかのように、南九州の山野をかけ巡ることになる。ここに、西郷南洲の「 宗教的人格」が出てくる。私は、歴史的実証主義も資料的証拠主義も、そして近代合理主義もマルクス主義的民衆史観も立ち入れない宗教的な思想問題が、ここで登場すると思う。私が、西郷南洲を「 モーゼ」と比較したくなるのは、その宗教的な思想問題を考えるには、モーゼの「 出エジプト記 」しかないと思うからだ。西郷南洲は、この時点で、「神 」になったのだと私は考える。『旧約聖書 』に登場するモーゼは、エジプトに奴隷として幽閉されていたユダヤ人( ヘブライ人 )を救い出し、そのユダヤ人を引き連れて、故郷カナンの地(イスラエル )を目指して、砂漠を、40年間も彷徨う 。そして最後は、カナンの地を目前にして、その地に入ることを許されず、ネボ山で死ぬ。西郷南洲が、故郷の地である城山に、辿り着きながら 、妻子と再会することもなく、そこで討死にしたことはよく知られている通りである。西郷南洲は、繰り返すが、ここで、「神」、ないしは「 殉教者」、あるいはモーゼ的「 預言者 」になったのである。イザヤ・ベンダサン( 山本七平? )は『 日本人と日本教について』で、西郷隆盛こそ典型的な日本教徒である、と言っている。日本教を知りたければ西郷隆盛を見よ、と。またこうも言っている、日本教にも殉教者がいるが、その代表的殉教者が、西郷隆盛である、と。
( 続く)


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西郷南洲とモーゼ(1) 西郷南洲の山越えの旅は 、モーゼの『出エジプト記』であった。 ■ 昨年末だったと思うが、西郷南洲の最後の山越えの逃避行について、NHKの番組で見た。田原坂の戦いで敗れた後、西郷は、宮崎県北部から、鹿児島の城山を目指して、山越えの逃避行を続ける。 鹿児島県立図書館館長=原口泉氏の助手だとかいう女性が説明役で出演していた。たしかに、西郷南洲軍が立ち寄った民家や陣地を構えた場所など、あるいは西郷軍が、山越えの逃避行で

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西郷南洲とモーゼp。(1)
西郷南洲の山越えの旅は 、モーゼの『出エジプト記』であった。
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昨年末だったと思うが、西郷南洲の最後の山越えの逃避行について、NHKの番組で見た。田原坂の戦いで敗れた後、西郷は、宮崎県北部から、鹿児島の城山を目指して、山越えの逃避行を続ける。 鹿児島県立図書館館長=原口泉氏の助手だとかいう女性が説明役で出演していた。たしかに、西郷南洲軍が立ち寄った民家や陣地を構えた場所など、あるいは西郷軍が、山越えの逃避行で実際に歩いた山道を、もう一度、自分たちの足で歩いてみるというもので、資料的にも実証的にも、間違いはないのだろうが、私には、つまらなかった。何故、敗色濃厚な負け戦であることが明白であったにもかかわらずに、敢えて山越えの逃避行を続けたのか、という思想的意味が、全く追求されていなかったからだ。これじゃ、単なる山歩きのハイキング番組じゃないかと思った。私は、物足りなかったので、「負けると分かっていても、戦わなければならない戦争もある 」と宣言した江藤淳の『南洲残影』を読み直した。江藤淳には、西郷軍の最後の山越えの逃避行の思想的意味が、よく分かっていたと思われるからだ。江藤淳は『南洲残影』で、負けると分かっていた戦争を、戦い続けることの出来た政治的、軍事的天才として描いている。それが、江藤淳の言う「 西郷南洲という思想 」であった。

( 続く)

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