山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

【毒蛇山荘だより】 やっと毒蛇山荘に到着。昨日は、兄の三周忌を終えて暗くなってから帰宅。なんと電気がつかない。手探りで、室内の電気メーターを点検してみるが、無理。初めての経験。仕方なく、暗闇の中で、焼酎をガブ飲み。そのまま就寝。夜明けを待つしかない。朝、目覚めて、庭に出てみると、 菜の花の咲く毒蛇山荘が、迎えてくれました。早速 、九州電力に電話。何らかのトラブルで、九州電力の方で、ストップしていたらしい。一時間後に、業者が来訪。無事、電気がついた。ああ、良かった。銀行の自動引き落としに、何かトラブルがあっ

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【毒蛇山荘だより】
やっと毒蛇山荘に到着。昨日は、兄の三周忌を終えて暗くなってから帰宅。なんと電気がつかない。手探りで、室内の電気メーターを点検してみるが、無理。初めての経験。仕方なく、暗闇の中で、焼酎をガブ飲み。そのまま就寝。夜明けを待つしかない。朝、目覚めて、庭に出てみると、 菜の花の咲く毒蛇山荘が、迎えてくれました。早速 、九州電力に電話。何らかのトラブルで、九州電力の方で、ストップしていたらしい。一時間後に、業者が来訪。無事、電気がついた。ああ、良かった。銀行の自動引き落としに、何かトラブルがあったらしい。いやー、驚きました。配線にトラブルがなくて良かった。電気と水道は、生命線です。気を付けましょう。早速、朝の散歩。我が故郷の小川の河川工事はどうなっただろうと、偵察。工事は進んでいたが、完成までには、なだまだのようだ。魚釣りや水遊びが出来そうな夏が楽しみだ。魚道は完成していた。しかし、最近は、魚がまったくいない。時々、鯉は見るが。何故だろう。人がいなくなると、魚も居なくなるのだろうか。そういえば、雀がまったくいない。ウグイスはいるようだが・・・。あ、忘れていた、星が綺麗だ。久々に星に見とれる毒蛇山荘の夜。






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閑話休題。「 青春18キップの旅( 2)」昨夜は博多駅前の某ホテルで一泊。すっかり元気回復。今日は早朝5:00に出発。久留米駅下車。久留米から日田や大分へ向かう久大線に初めて乗車。九州山脈の奥地、日田を経て大分へ向かいます。その後は豊肥線で熊本へ。八代から肥薩線で人吉を経て国分へ。そして終着駅=鹿児島中央駅へ向かう予定。何処まで行けるか?気の向くまま、風の吹くまま。アテのない「旅ガラス」でござんす?==

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閑話休題。「 青春18キップの旅(2 ) 」
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■昨夜は博多駅前の某格安ホテルで一泊。すっかり元気回復。今日は早朝5:00に出発。久留米駅下車。久留米から日田や大分へ向かう久大線に初めて乗車。九州山脈の奥地、日田を経て大分へ向かいます。その後は豊肥線で熊本へ。八代から肥薩線で人吉を経て国分へ。そして終着駅=鹿児島中央駅へ向かう予定。何処まで行けるか?気の向くまま、風の吹くまま。アテのない「旅ガラス」でござんす?

■日田( ひた)で、幕末の儒学者・広瀬淡窓( ひろせ、たんそう)の「咸宜園」( かんぎえん )を見学。その大きさに驚く。日田から大分への継続が悪い。その代わり、咸宜園をたっぷり見れたので満足。久留米に引き返し、熊本の西南戦争の激戦地・田原坂か、肥薩線へ変更。それにしても、広瀬淡窓の「咸宜園」にはびっくりしました。広瀬淡窓は、日田の豪商の長男に生まれながらも、学問や文化、教育に関心を持ち、家督を弟に譲って、自らは、「私塾( 咸宜園) 」を開いたらしい。私塾と言っても、現在の私立大学規模(? )か。学生寮や講堂まで完備して、全国から学生が集まった。大村益次郎も、ここで学んだと言う。今は、広瀬家を離れて、日田市教育委員会が中心になって守っているらしく、ゴミひとつ落ちていない。近くの小学校も「 咸宜小学校」というらしい。咸宜園を掃除していたおじさん(先生か? )が、異常に親切だったので、ツーショット写真をお願いした。

■久留米に戻り 、鈍行で田原坂駅へ。田原坂駅は、なんと無人駅。田原坂公園があるというが、駅から2㌔。今日は、入口だけで我慢。もう一度、ゆっくり来よう。今( 16:40 )、八代に向かっています。さて、肥薩線で、鹿児島中央駅まで行けるかな。






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■大久保利通はスターリンだったのか? (山崎行太郎『南洲伝断片的草稿より) ■ 大久保利通は「東洋のビスマルク」とか「日本のビスマルク」だとかいうのが歴史学者たちの間では定説のようだが 、私は違うと思う。大久保利通は「スターリン」だったというのが、より正確であり、より真実を表現した言葉だと思う。ロシア革命におけるスターリンは、レーニンやモロトフ、トロッキーなどの影に隠れた三流の人物だった。しかし、政治家によくありがちだが、権謀術数にた


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大久保利通スターリンだったのか?
(山崎行太郎『南洲伝断片的草稿より)
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大久保利通は「東洋のビスマルク」とか「日本のビスマルク」だとかいうのが歴史学者たちの間では定説のようだが 、私は違うと思う。大久保利通は「スターリン」だったというのが、より正確であり、より真実を表現した言葉だと思う。ロシア革命におけるスターリンは、レーニンモロトフトロッキーなどの影に隠れた三流の人物だった。しかし、政治家によくありがちだが、権謀術数にたけた侮りがたい人物だったようだ。レーニン死後のロシア共産党で、トロッキー等との権力闘争を勝ち抜き、実権を掌握すると、政敵たちの「 大粛清」を開始する。私は、政治家や革命家の「 権謀術数 」そのものが悪いと思っているわけではないが、「 権謀術数」で実権を掌握し た政治家や革命家には、常に暗い影がつきまとう。権謀術数に長けた人物は、えてして冷酷非情、冷徹である。その典型がスターリンだった。やがて、我が国の論壇、ジャーナリズム、アカデミズムにも衝撃を与えることになる「スターリン批判」という政治的大事件が始まるのも当然だったろう。大久保利通にも似たようなところがあった。大久保利通も、明治維新(倒幕)においては、西郷隆盛等の影に隠れて、それほど目立った活躍はしていない。朝廷工作などで、才能を発揮し、重要な役割を果たすが、それらは、あくまでも裏方の仕事であった。大久保利通が頭角を表すのは、函館五稜郭戦争を最後に戊辰戦争が終わり、武装闘争から政治闘争へ転換後である。確かに大久保利通は、政治の季節到来とともに、新政府の中心人物にのし上がるが、しかし、大久保利通には、西郷や桐野にあるような、武力を背景に戦ってきた武人たちが自然に身に着けた威厳や威圧感というものが欠如していた。それを補ったのが「権謀術数」だった。しかし、権謀術数だけでは、政治的リーダーはつとまらない。大久保利通の背後には、江藤新平大隈重信板垣退助伊藤博文というような有能な若手政治家たちが台頭して、「大久保、何するものぞ」という空気がただよいはじめていた。特に江藤新平大隈重信というような佐賀グループとも言うべき「うるさ型 」の中にあった人物たちの活躍が目立ちはじめていた。佐賀グループは、薩長から政治の主導権を奪いかねないほどの勢いだった。たとえば、今は、「岩倉使節団」と呼ばれているが、これは、元々は「大隈使節団」となるはずだった。条約改正問題を念頭に、才気煥発な大隈が、西欧使節団派遣を、言い出したものだった。それに敏感に反応したのが大久保利通だった。大久保利通は、大隈の政治的野心を警戒し、「 大隈使節団 」潰しに取り掛かる。それが、いわゆる欧米使節団である。岩倉具視木戸孝允を仲間に引き入れて、「 岩倉使節団」に名前を変更して、「大隈使節団」潰しを画策する。江藤新平はもっと手強い相手だった。江藤新平は、近代法に詳しく、しかも、誰にも臆するところなく、法の適用には厳格であった。司法省を背景にした江藤新平は、山城屋事件を筆頭に、様々な汚職事件を摘発し、薩長グループを追い詰めていった。大久保利通が、大隈重信の次に、目を付けたのは江藤新平だった。佐賀の乱
も、大久保利通が仕掛けた政治的な謀略事件だった可能性が高い。才気煥発な江藤新平も、大久保利通の権謀術数には勝てなかった。





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