浅田彰の正体(5)・・・吉本隆明の『 転向論』の哲学から、「浅田彰の正体」を読み解く。
浅田彰が『 構造と力』でデビューたのは1983年だった。その年、小林秀雄が死んでいる。私は、この年が、大きな転換点だったと思う。論壇や文壇を中心に、ジャーナリズムも含めて、いわゆる「ニューアカ」ブーム、「ポスト・モダン」ブームが起き、思想的には「転向の季節」を迎えるからである。その当時の青年、学生、労働者たちは、全共闘運動やあさま山荘事件、連合赤軍事件、三島由紀夫割腹事件・・・などを経て、あまりにも過激な動乱期を体験したが故に、行く先を見失って、疲労困憊し、右往左往していた。そこに、「ニューアカ」ブームと「ポスト・モダン」ブームが起きる。途方に暮れていた青年、学生、労働者たちが、その新しい思想に飛びつく。というより、彼等が、その新しい思想運動の担っていたのかもしれない。一斉に転向していくのである。私も 、その動乱の中にいたから 、良く分かる。出口を求めて殺到したのである。ただし、私は、その「転向」に違和感を持った。私は、当時、小林秀雄や江藤淳、吉本隆明、三島由紀夫を読み、彼等からの影響を受けつつ、文章を書きはじめていたから、「ニューアカ」も「ポスト・モダン」も、受け入れることは出来なかった。つまり、私は、自ら進んで、新しい思想に、新しい時代に乗り遅れたのである。しかし、私は、乗り遅れたとは、まったく思っていなかった。私は、「ニューアカ」も「ポスト・モダン」も、思想的には薄っぺらなものであり、一過性のブームに過ぎないと思っていたからである。その頃の私を、思想的に支えていたものは、吉本隆明の『 転向論』の哲学であった。私は、普通の、凡庸な「吉本隆明ファン」と違ったところで、孤独に吉本隆明の『 転向論』や『 芥川龍之介の死 』という芥川龍之介論などを、江藤淳や三島由紀夫などと並行して読んでいたから、全然、動揺しなかった。私は、大学では、「言語哲学」や「分析哲学」「科学哲学」等を、少し、かじっていたから、フランス流の現代思想の受け売りに過ぎない浅田彰的な「ニューアカ」ブームも「ポスト・モダン」ブームも、理解できないわけではなかった。いずれにしろ、私は、吉本隆明の『転向論 』は、今も有効だと思う。「大衆の原像」という思想の原点、存在論、土着性・・・を見失った思想家は、新しい思想が登場したり、弾圧を受けたりすると、すぐ転向するというのが、私の理解した吉本隆明の『転向論 』だ。吉本隆明は、時代の流れや弾圧などものともせず、要するに「大衆の原像」などとは無関係に、永遠の「非転向」を貫くのもまた、転向の一種と捉えている。浅田彰は、吉本隆明の言う「永遠の非転向者」の一人であろう。浅田彰の思想には、存在論的裏付けがない。浅田彰の思想は、頭でっかちで、薄っぺらである。それ故に、浅田彰は、「作品」が書けない。「作品」がない。フランス現代思想を読みたければ 、浅田彰的な解説書や入門書ではなく、原書や翻訳書を取り寄せて読めばいい。吉本隆明は、芥川龍之介について、芥川龍之介の悲劇(自殺)は、「下町の下層階級」という出身地(存在論的原点)に向き合わず、それを隠し 、そこから逃亡し続け、頭でっかちな、知的、観念的創作を繰り返したところにあった、というようなことを言っている。ほぼ同じことを、江藤淳も、『昭和の文人 』で、堀辰雄について言っている。要するに、浅田彰には、私が言うところの「存在論」がないということである。
(続く)