北条裕子盗作問題ー渡部直己問題を契機に、久しぶりに文学や文壇の問題に興味を持った。私は、文藝評論家として出発したつもりだが、最近は、文藝評論家の『柄谷行人』という問題以外には、ほとんど関心がなくなっている。( 続く)

渡部直己問題を契機に、久しぶりに文学や文壇の問題に興味を持った。私は、文藝評論家として出発したつもりだが、最近は、文藝評論家の『柄谷行人』という問題以外には、ほとんど関心がなくなっている。

さて、最近の文学や文壇はどーなっているのか? 渡部直己問題に続いて、講談社新人賞受賞作で、芥川賞候補にもなっている『美しい顔』という作品に盗作疑惑と盗作騒動が持ち上がっている。講談社は、盗作ではないと、弁護士同伴で、記者会見し、問題の作品を、ネットで、全文公開したらしいが、どーなのだろう。

私の基準では、明らかに盗作、剽窃だと思うが、私は、盗作か盗作ではないかというような議論にはさほど興味ない。文学や芸術に盗作や剽窃はつきものである。

しかし講談社の問題処理と態度には疑問を感じる。聞くところによると、問題の講談社新人賞
を受賞した新人作家は、「モデルで美人・・・」であるらしい。「モデルで美人?」という話を聞くと、またか、と思う人も少なくないだろう。その美人作家に目が眩んだのか、講談社の『群像』編集部や選考委員、文藝評論家等を巻き込んだ盗作騒動が持ち上がり、本人も、半ば、「盗作的な問題意識」があったことを認めているらしい。

問題の小説は、東日本大震災をテーマにしているらしいが、美人作家さんは、現地には一度も行ったことがないと言う。そこで、ノンフィクションライターたちの書いた現地取材の書籍類から、文章や表現や比喩を借用したらしい。たとえば石井光太の『遺体』という作品があるらしいが、この作品からも、次のような盗用が指摘されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
●「うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う」(
『遺体』)

「うっすらと潮と下水のまじった悪臭が流れてくる」(『美しい顔』)

●「チャックからねじれたいくつかの手足が突き出している」(『遺体』)

「チャックから、ねじれたいくつかの手足が突き出していた」(『美しい顔』)
ーーーーーーーーーーーーーーーー

ほぼ文章の丸写し。私の基準では、これはアウト。私も、某所で、小説講座の講師を勤めているが、参考文献からの引用や、素材を参考にすることは問題ないが、文章の丸写しは駄目だと指導している。丸写しには、引用マーク(「・・・」)を使え、と。

これをどう見るか?盗作と見るか、あるいは許される範囲の借用と見るか。今回の事件=騒動でも、例によって、弁護士が登場し、盗作論議を繰り返したようだが、エセ弁護士が、文学作品の盗作騒動を最終的に判断するのかよ?と笑ってしまった。

スポーツも文学も、弁護士。エセ弁護士がテレビに出まくっているが、こういう社会が健全なのか不健全なのか。それとも。

いずれにしろ、文学音痴の編集者や新人賞選考委員、あるいは安易に絶賛しまくった批評家が、馬鹿だということだけは、分かる。そもそも、小説がノンフィクション作品に負けているということが問題だろう。

私は、東日本大震災に取材した安直なノンフィクション作品も、同じく大震災に取材した小説も短歌や俳句も、評論も、認めない。そんなに安易に、あの大震災を「作品化」出来るとは、私は思はない。「作品化」するには、それなりに時間と思考、想像力が必要となるはずだ。

だから、私は、大震災に取材したノンフィクション作品もいかがわしいと思う。それを参考(盗作)にする小説や小説家も信用しない。馬鹿である。もちろん、それを、売れるからと言って、闇雲に絶賛する編集者や批評家にいたっては、更に馬鹿であろう。

文学が衰退するのも、こういう状況を見ていると当然だろうと思う。

( 続く)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(続きは、「イデオロギーから存在論へ」「文学や哲学を知らずして政治や経済、軍事をかたるなかれ」がモットーの『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html



f:id:yamazakikotaro:20180705190802p:plain

渡部直己から秋山駿へ。 今頃、秋山駿と言っても、何人の人が知っているだろうか?先日来、本棚を整理していたら、秋山駿の本が大量に出てきたので、ついつい、懐かしくなり読みふけってしまった。 そして、最も大事なことを忘れてしまっている自分を発見して愕然とした。 そして、中原中也の望郷の詩を思い出す。「ああ、これが僕の故郷だ、吹ききたる風が言う、お前は何をしてきたのだ、と。」 秋山駿の本は、若い頃、夢中になって読んだ。秋山駿の本を片っ端から買い集める日々。『内部の人間』から『無用の告発』・・・( 続く。)

渡部直己から秋山駿へ。

今頃、秋山駿と言っても、何人の人が知っているだろうか?先日来、本棚を整理していたら、秋山駿の本が大量に出てきたので、ついつい、懐かしくなり読みふけってしまった。

そして、最も大事なことを忘れてしまっている自分を発見して愕然とした。

そして、中原中也の望郷の詩を思い出す。「ああ、これが僕の故郷だ、吹ききたる風が言う、お前は何をしてきたのだ、と。」

秋山駿の本は、若い頃、夢中になって読んだ。秋山駿の本を片っ端から買い集める日々。『内部の人間』から『無用の告発』『時が流れるお城が見える』『歩行と貝殻』『抽象的な生活』・・・。

やがて、秋山駿本人と交流できるうようになると、秋山駿本人から贈呈本がおくられてくるようになった。一冊一冊が懐かしい。通俗的な話だが、私の青春時代そのものだ。

私は、文学や哲学を専攻し、そして、それを職業とするようになってからも、世に氾濫している、いわゆる文学や哲学が嫌いであった。その原因は、文学や哲学の本質は、秋山駿の本の中にしかない、と思っていたからである。

セクハラ問題で話題になっている渡部直己の本や論文など、面白いかもしれないが、あるいは大切な問題を扱っているかもしれないがか、あるいは社会的に成功していくためには必要なことかもしれないが、私にとっては、何か不純なもの、無用のもの・・・のようにしか見えなった。

だから、私は、フランス現代思想や文学を振り回す渡部直己等と論争のようなものをやり、罵倒を繰り返したのだった。蓮實重彦大先生にまで喧嘩を売り、逆に罵倒されました。

私は、秋山駿的なものを、つまり存在論的な批評と批評家を尊敬し、それに依拠して文筆業をやろうとしていたから、渡部直己蓮實重彦の批評が許せなかったらのだ。

秋山駿の慣用句は「石」であった。「私は石ころを拾ってきた」と言うような文章から始まっていた。「石」との対話。それが秋山駿の思考の原点であり武器であった。しかも、強力な破壊力を持つ最強の武器であった。

世間や社会に飛び交う思想や理論や道徳やルールと言うようなものを、すべて剥ぎ取ったあとに残るのが「石ころ」であり「内部の人間」だった。私は、それに深く共感し支持していた。

今では、秋山駿の「小石との対話」は、私の言う「存在論」的な純粋思考のことだった、ということがわかる。当時は、そこまでは分からなかったが・・・。

秋山駿の主要なテーマは文学だったが、文学よりも、むしろそれ以上に重要なテーマは犯罪と犯罪者だった。秋山駿は犯罪者の中に「石との対話」を見出していたと思う。犯罪者こそ「純粋思考」の人種、「存在論的思考」の人種であったのであろう。

小松川女子高生殺しの李珍宇から連続射殺魔・永山則夫まで。秋山駿は、人畜無害な、健全な社会人よりも、凶悪犯罪者に、心の美しさを見出していた。

というわけで、私も、秋山駿の影響を受けたらしく、今でも「犯罪者(?)」や「反社会的人物(?)
」が好きである。残念ながら、私自身は、人畜無害の小市民の一人に過ぎないが・・・。







(続く)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この記事の続きは、「イデオロギーから存在論へ」「文学や哲学を知らずして政治や経済、軍事をかたるなかれ」がモットーの『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!メルマガ『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから
👉http://www.mag2.com/m/0001151310.html

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

山崎行太郎への緊急連絡(レポート)は、携帯電話かメールフォームからお願いします。

https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
にほんブログ村 政治ブログへ
⬆︎

「ランキング」に参加。応援のクリックをお願いします。「読者になる」と、新しい記事がアップされる度に連絡が届きます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

『メルマガ:=山崎行太郎の毒蛇通信』最新号を緊急配信しました。 テーマは『渡部直己セクハラ問題について』ー メルマガの登録はコチラから<br>👉https://t.co/FvGqdKQOUj https://t.co/FvGqdKQOUj

『メルマガ:=山崎行太郎の毒蛇通信』最新号を緊急配信しました。

テーマは『渡部直己セクハラ問題について』ー

メルマガの登録はコチラから
👉https://t.co/FvGqdKQOUj
https://t.co/FvGqdKQOUj