山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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( 続4)「新潮45」を廃刊に追いこんだ「 LGBT騒動 」について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎、小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり!( 続く)

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( 続4)「新潮45」を廃刊に追いこんだエセ左翼=高橋源一郎小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 昨夜、松本洋三氏の取り計らいで、新横浜の某所で、徳島文理大教授で、政治評論家の八幡和郎氏と、 「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」などを巡って、意見交換させていただいた。松本さん、八幡さん、ありがとうございました。私は、八幡和郎氏とは、安倍政権の評価や、沖縄知事選の評価など、多くの点で政治的意見を異にしているが、昨年来、大相撲暴力事件や皇室論( 小室圭問題 )、歴史問題などでの八幡氏の言論活動には敬服し、それ以後、八幡氏の言論活動には注目している。どちらかと言えば 八幡氏は、保守論壇の人であり、私が、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』などで批判してきた陣営に属するが、どの世界にも例外はあるもので、八幡氏は、その例外的な一人である。ここには詳しくは書けないが、昨夜は、保守論壇内部の内紛など、いろいろ貴重な話を聞いた。「『新潮45』廃刊事件」に端を発した左派人権派からの総攻撃で、これまで「我が夜の春」を謳歌してきた保守系言論人や保守系出版社、編集者たちの変節や転向が始まっているようだ。私の想像以上に 、保守論壇は、この「 LGBT騒動 」で深刻なダメージ受けつつあると見ていい。これまで保守論壇は、保守論壇内部に閉じこもり、仲間内で自画自賛を繰り返すだけの、自閉的な閉鎖社会であった。が、「 LGBT騒動 」の勃発とともに左派論壇との対決を迫られ、窮地に立たされている。今こそ、強力な論陣をはり、左派人権派の攻撃に立ち向かうべきだろう。しかし、私の予想では 、保守論壇も左派論壇も、外部との本格的な論争は避けられず、いずれ自滅、没落に追い込められそうな気配だ。ところで、「 LGBT騒動 」も、単なる性的マイノリティーの問題にとどまらず、法律問題が絡んでいるらしい。 同性愛から同性婚へ。おそらくそこには、家族制度優遇作としての年金や配偶者控除の問題などが、複雑に絡み合っているようだ。私は、あまり興味ないが、西欧キリスト教社会では、同性愛は、長く、悪として禁止され、犯罪とみなされてきた。それが、犯罪というカテゴリーから解除され、同性愛が市民権を得たのも、まだ最近のことらしい。それ故に、最近では、欧米先進国を中心に、同性愛の解放から、同性婚の法的容認へと劇的変化を遂げつつあるというわけだ。「異性愛イデオロギー」を中心とする家族制度から「同性愛」や「同性婚」を容認する新家族制度へ。おそらく、「 LGBT騒動 」で、保守論壇は分裂し、自滅する可能性が高い。最近の保守論壇には、この言論闘争を突破出来るだけの才能の持ち主は、おそらくいない。台風が過ぎ去るのを穴の中で待つか、転向、変節を繰り返すか。LGBT運動は「正義」ではあろうが、「本質 」ではない。江藤淳は、文学が「正義」に負けて、「 私情 」を語れなくなった時点で、文学は滅ぶと言った。( 続く)

( 続3)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎、小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり!( 続く)

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( 続3)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり

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LGBT騒動 」が波紋を広げているようだ。雨後の筍のように、賛成するにせよ、反対するにせよ、付和雷同する軽薄な、通俗的言論が蔓延する一方で 、議員会館などでも、この「 LGBT騒動 」と「「新潮45」廃刊事件」が、取り上げられ、政治問題化しつつあるようだ。私は、「 LGBT騒動 」にも、「「新潮45」廃刊事件」にも、さほど興味はないが、この一連の騒動の背景にあるもの、あるいは根底に横たわる思想問題には大いに興味がある。私は、かねがね、被害者史観、弱者史観とでも言うべき歪んだ病理現象が、日本社会を蝕みつつあると思ってきたが、今回の「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」を見ていると、まさにそれを象徴しているのではないかと思われる。実は、私は、昔から、「 弱者 」や「 被害者」を装ったエセ弱者やエセ被害者等が繰り広げる左翼や戦後民主主義市民運動、あるいは最近の立憲主義というようなものが嫌いであった。そこには、本当の弱者も被害者もいない、むしろ既得権益層の利権固定化の運動でしかない、というのが、私の認識であった。もっと具体的に言うと、私は、護憲派でも護憲論者でもない。法学者や弁護士等が主導する護憲運動にも平和運動にも、既得権益層の利権固定化の匂いがする。今回の「 LGBT騒動 」にいち早く反応し、抗議の声を上げ、『新潮45』を廃刊にまで追い詰めたのは、その種のエセ左翼やエセ文化人であり、エセ市民運動家たちであったように見える。江藤淳は、こういう病的な思想状況を憂えて、「 治者の文学」という概念を提起した。「弱者の思考を排す 」というわけである。私が、若い頃から愛読し、影響も受けているニーチェドストエフスキーの哲学や文学にも、「弱者の思考」「 被害者の思考」への批判がある、と私は思う。弱者や被害者の思考とは何か。弱者は、目前の現実の闘争に負けるがが故に、その負けを認めたくない。その代理として、正義や善や理想という観念論を持ち出す。ニーチェキリスト教道徳がそれであると考える。『善悪の彼岸 』や『 道徳の系譜学』がそれである。ルサンチマンの道徳である。それ故に、ニーチェは、「弱者のルサンチマン」としての「善 」「正義 」「 道徳 」を批判し否定する。言い換えれば、強者や超人はどうするか。強者や超人は「善 」「 正義」「道徳」という観念論を必要としない。

( 続2)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な、小林よしのり等の言説に異議あり!( 続く)

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( 続2)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な、小林よしのり等の言説に異議あり

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 高橋源一郎は、「北条裕子盗作疑惑」について、何か発言したのか?高橋源一郎は、責任をとったのか?高橋源一郎は、群像新人文学賞の選考委員で、北条裕子の『 美しい顔』受賞にゴーサインを出していた当人だったのではないか。《北条裕子『 美しい顔 』盗作疑惑事件》である。まー、それはどーでもいい。高橋源一郎は、今度の《「新潮45」廃刊事件》でも、例によって例の如く、周辺の空気を読んで、今が勝負だと勘違いして、いいタイミングで、登場してきたのではないのか?私は、杉田某氏や小川某氏を擁護するつもりはないが、高橋源一郎のような日和見芸者が、颯爽と登場して来たのを見て、「ちょっと待てよ」と思う。そう思うのは私だけか? おそらくは、高橋源一郎センセイは、「新潮」編集部に泣きつかれて、「よし、おれがやってやるよ」と格好つけたんだろう。高橋源一郎は、《「新潮45」廃刊事件》を、「新潮社」や「新潮45」編集部の責任問題を、あるいは出版界全体の責任問題を、回避、隠蔽して、小川某氏の文章の問題に矮小化しようとしているのではないか。高橋源一郎よ、お前はそれほどのタマか? 高橋源一郎のような作家が、「出版社の使いパシリ」、「御用聞き」、「太鼓持ち」・・・でしかなくなっているところに、出版界全体の危機、文壇や論壇の危機、そして日本の危機と衰退の根本原因は、あるのではないか。