山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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(続24)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。当初、杉田論文や小川論文を世間の空気に付和雷同して、自信満々に、「揶揄、罵倒、批判」していた「野次馬たち」は、その後、どうしているのか? まだ、「揶揄、罵倒、批判」を続けているのか? ( 続く)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (続24)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。当初、杉田論文や小川論文を世間の空気に付和雷同して、自信満々に、「揶揄、罵倒、批判」していた「野次馬たち」は、その後、どうしているのか? まだ、「揶揄、罵倒、批判」を続けているのか?
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と思ったら、どうも様子がおかしい。小川榮太郎の『 HANADA論文』が出ると、ころりと態度を豹変させて、小川榮太郎の方がマトモだとかなんとか呟きつつ、高橋源一郎矢野優を揶揄 、批判しているではないか。なんだ、その見識のなさは。その尻の軽さは。だから言ったじゃないか。お前たち、金魚の糞のような野次馬文化人こそ、本も雑誌も論文も、ろくに読みもせず、ただ騒ぐだけしか能のない「 ネット右翼 」であり「 ネット左翼」なのだ。恥を知れ、と言いたいが、言わない。この世から、消えろ、馬鹿ども。死ぬ時は、パンツぐらい、穿いとけよ。(笑) 私が、田舎の高校を卒業し東京へ出てきたばかりのころ、「お上りさん」らしく、早速、当時から憧れ、尊敬していた「花のお江戸の文化人」たち、つまり、 小林秀雄大江健三郎等の合同講演を聴きに行ったことがあった。共立講堂だった。その時、小林秀雄が「 馬鹿は、さっさと死ね。」と、吠えていたことを、久々に思い出した。いつの時代も、変わらないらしい。私は、その時、私自身は、「 馬鹿は、死ね 」と言われる側の人間なのか、それとも「馬鹿は死ね」と吠える側の人間なのか、と悩んだものだが、出来るなら、小林秀雄のように、「 馬鹿は死ね 」と吠える側の人間になりたいと思ったものだ。と言うのは半分、冗談。半分、真実。さて、昨日、Amazonから、大江健三郎の『政治少年死す 』や深沢七郎の『風流夢譚』が収録された怪しい本(雑誌? )が届いた。今回の「『新潮45』廃刊事件」から、デモやテロによる言論弾圧事件として、戦時中の蓑田胸喜事件とともに、死者をも出した大江健三郎の『セブンティーン 』事件や深沢七郎の『 風流夢譚』事件を連想し、もう一度、ちゃんと読んでみたいと思ったからだ。特に絶版になっていた大江健三郎の『 政治少年死す』を読みたかった。私は、自慢じゃないが、上京する時、大江健三郎の『 個人的な体験』と『日常生活の冒険 』の二冊だけをバッグに入れていた。それほど、大江健三郎に夢中だった。上京して最初に買ったのも大江健三郎のエッセイ集『 厳粛な綱渡り』だった。早稲田の学生だった兄が、大学の帰りに買って来てくれたことを思い出すと、涙が出る。兄は、昨年の五月の連休明けに、桜島が目の前に見える病院で亡くなった。手帳の最後に、「 〇〇帰る」と書いてあった。〇〇とは私のことであった。私が 、予定より二日遅れで帰った時は、もう意識不明の状態だった。前夜、ベッドから落ちて意識不明に陥ったというのだった。私は、顔が殴られたかのように変色し、荒れていたので、誰かに殴り殺されたのではないかと思ったが、もう無駄だと判断し、兄の名誉のためにも、その方がいいと思って、黙った。私の文学や哲学は、文学や哲学とは全く無縁な兄とともにあった。兄は、自分は文学にも哲学にもまったく興味がなかったが、文学や哲学に夢中だった私には興味を持ち、いつも応援してくれていた。そういう兄のことは、『ネット右翼亡国論』に書いたので、これ以上は書かない。ところで、「『新潮45』廃刊事件」において、新潮社は、エセ左翼の新潮社本社前での抗議デモに恐怖を感じたらしく、あっさりデモ隊の抗議に屈服し、本来、命懸けでも護るべき「執筆者」( 杉田水脈小川榮太郎 )を生贄にしつつ、エセ左翼の抗議デモに土下座したわけだが、ちょっと待てよ、と言いたい。新潮社社員や社長等は、命の危険でも、あるいは会社の存亡の危機でも、あのデモに感じたのか。そんなはずはあるまい。明らかに、エセ左翼のエセ・デモに過ぎなかった。それなのに、何故? 何故、あんなに安易に、白旗を掲げたのか。出版社はそんなに堕落しているのか。多くの日本国民を戦場に残して、自分たちだけトンズラした関東軍とおなじではないか。何処が違うのか? 関東軍の残党は、その後、南方の玉砕戦や沖縄戦に向かい、命懸けの悲惨な戦いを戦ったのだから、それを考えると、今回の新潮社の土下座と敵前逃亡は、関東軍に比肩すべくもないだろう。軍法会議が、もし、あるとすれば、全員銃殺ものだろう、と思うが、どうだろうか。考えすぎか。私は、櫻井よしこ池上彰等のように、「 出版社や編集者は執筆者を護るべきだ 」と言うような、いい加減な、当たり前な原則論( イデオロギー )を述べているのではない。存在論( オントロギー )を述べているのだ。馬鹿は、さっさと死ね、と。夏目漱石は、弟子の鈴木三重吉に送った手紙に、こう書いた。『 僕は一面に於て俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい。それでないと何だか難をすてて易につき劇を厭(いと)うて閑に走る所謂(いわゆる)腰抜文学者の様な気がしてならん 』と 。漱石の言う『 死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい』とは何か。あるいは、「 腰抜文学者」とは誰か。 ( 続く)

(続23)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。杉田水脈論文の本当の筆者は、「ゴーストライター」(「新潮45」編集部員 )だったって本当のことなのか。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。どちらも思想的に堕落しているからだ。 月刊誌で文筆表現する者はゴーストライターを使うな!と言いたい。それとも、最近の月刊誌は、「ゴーストライター原稿」で成り立っているのか?( 続く)

(続23)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。杉田水脈論文の本当の筆者は、「ゴーストライター」(「新潮45」編集部員 )だったって本当のことなのか。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。どちらも思想的に堕落しているからだ。 月刊誌で文筆表現する者はゴーストライターを使うな!と言いたい。それとも、最近の月刊誌は、「ゴーストライター原稿」で成り立っているのか? 「 LGBT騒動 」の起源は「LGBTには『 生産性 』がない」という言説だったはずだが、この言語表現は、ゴーストライター( 「新潮45」編集部員 )によるものだったとすれば。杉田水脈が沈黙するのも、「新潮45」が、その後、沸き起こったらしい杉田水脈論文批判に、わざわざ反論する特集記事を組んで、さらに騒動を拡大しようとしたことも、当然か。今回の「『新潮45』廃刊事件」は 、結局、ゴーストライターが仕組んだゴーストライター事件だったということになるではないか。ゴーストライターに踊らされた珍事件(笑)。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。思想的堕落は同じようなものだからだ。私は、これまで、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』などで、西部邁小林よしのり、あるいは櫻井よしこ百田尚樹など、をはじめとするエセ保守やエセ右翼を、「 思想的堕落 」と「 思想的貧困」を理由に批判してきたが、別に、エセ左翼やエセ左翼市民運動を肯定、擁護してきたわけではなかった。今回の「『新潮45』廃刊事件」で白日のもとに晒され、露呈してきたのは、エセ保守の思想的堕落の現状と実態だけではなく、同時にエセ左翼の思想的堕落だったと言ってよい。「 LGBT騒動 」の張本人と見られる杉田水脈小川榮太郎を、激しく批判するエセ左翼やエセ左翼市民運動の連中が、食いついた「生産性 」や「痴漢 」という表現も、ほぼ誤読や錯覚や無知に基づいていていたと言っていいが、言葉尻を捉えて付和雷同し、思考停止に陥るのは、エセ左翼もエセ保守も同じだろう。その意味で、批判やバッシングの矢面に立たされた小川榮太郎が、月刊誌で、正々堂々と反論反撃を開始したことは評価して良い。『新潮』編集長の矢野優も、小川榮太郎に名指しで批判され、『新潮』新人賞をめぐる裏事情まで暴露された以上、『新潮』編集長の地位( クビ )を賭けて、ちゃんと反論してもらいたい。矢野優『新潮』編集長が書いた編集後記の「小川榮太郎批判 」の思想的責任を明確にしてもらいたい。バックに、高橋源一郎平野啓一郎等をはじめとする高名な文学者たち(笑)が、応援団として、ついているからと言って、有耶無耶にして欲しくない。高橋源一郎を含めて「命懸けの論争」を期待したい。矢野優は、幻冬舎の凄腕編集者=箕輪厚介の批判には、Twitterで、素早く反論したようだが。 (続23)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。杉田水脈論文の本当の筆者は、「ゴーストライター」(「新潮45」編集部員 )だったって本当のことなのか。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。どちらも思想的に堕落しているからだ。 月刊誌で文筆表現する者はゴーストライターを使うな!と言いたい。それとも、最近の月刊誌は、「ゴーストライター原稿」で成り立っているのか? 「 LGBT騒動 」の起源は「LGBTには『 生産性 』がない」という言説だったはずだが、この言語表現は、ゴーストライター( 「新潮45」編集部員 )によるものだったとすれば。杉田水脈が沈黙するのも、「新潮45」が、その後、沸き起こったらしい杉田水脈論文批判に、わざわざ反論する特集記事を組んで、さらに騒動を拡大しようとしたことも、当然か。今回の「『新潮45』廃刊事件」は 、結局、ゴーストライターが仕組んだゴーストライター事件だったということになるではないか。ゴーストライターに踊らされた珍事件(笑)。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。思想的堕落は同じようなものだからだ。私は、これまで、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』などで、西部邁小林よしのり、あるいは櫻井よしこ百田尚樹など、をはじめとするエセ保守やエセ右翼を、「 思想的堕落 」と「 思想的貧困」を理由に批判してきたが、別に、エセ左翼やエセ左翼市民運動を肯定、擁護してきたわけではなかった。今回の「『新潮45』廃刊事件」で白日のもとに晒され、露呈してきたのは、エセ保守の思想的堕落の現状と実態だけではなく、同時にエセ左翼の思想的堕落だったと言ってよい。「 LGBT騒動 」の張本人と見られる杉田水脈小川榮太郎を、激しく批判するエセ左翼やエセ左翼市民運動の連中が、食いついた「生産性 」や「痴漢 」という表現も、ほぼ誤読や錯覚や無知に基づいていていたと言っていいが、言葉尻を捉えて付和雷同し、思考停止に陥るのは、エセ左翼もエセ保守も同じだろう。その意味で、批判やバッシングの矢面に立たされた小川榮太郎が、月刊誌で、正々堂々と反論反撃を開始したことは評価して良い。『新潮』編集長の矢野優も、小川榮太郎に名指しで批判され、『新潮』新人賞をめぐる裏事情まで暴露された以上、『新潮』編集長の地位( クビ )を賭けて、ちゃんと反論してもらいたい。矢野優『新潮』編集長が書いた編集後記の「小川榮太郎批判 」の思想的責任を明確にしてもらいたい。バックに、高橋源一郎平野啓一郎等をはじめとする高名な文学者たち(笑)が、応援団として、ついているからと言って、有耶無耶にして欲しくない。高橋源一郎を含めて「命懸けの論争」を期待したい。矢野優は、幻冬舎の凄腕編集者=箕輪厚介の批判には、Twitterで、素早く反論したようだが。 (続23)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。杉田水脈論文の本当の筆者は、「ゴーストライター」(「新潮45」編集部員 )だったって本当のことなのか。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。どちらも思想的に堕落しているからだ。 月刊誌で文筆表現する者はゴーストライターを使うな!と言いたい。それとも、最近の月刊誌は、「ゴーストライター原稿」で成り立っているのか? 「 LGBT騒動 」の起源は「LGBTには『 生産性 』がない」という言説だったはずだが、この言語表現は、ゴーストライター( 「新潮45」編集部員 )によるものだったとすれば。杉田水脈が沈黙するのも、「新潮45」が、その後、沸き起こったらしい杉田水脈論文批判に、わざわざ反論する特集記事を組んで、さらに騒動を拡大しようとしたことも、当然か。今回の「『新潮45』廃刊事件」は 、結局、ゴーストライターが仕組んだゴーストライター事件だったということになるではないか。ゴーストライターに踊らされた珍事件(笑)。私は、エセ保守やエセ右翼も嫌いだが、エセ左翼も嫌いである。思想的堕落は同じようなものだからだ。私は、これまで、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』などで、西部邁小林よしのり、あるいは櫻井よしこ百田尚樹など、をはじめとするエセ保守やエセ右翼を、「 思想的堕落 」と「 思想的貧困」を理由に批判してきたが、別に、エセ左翼やエセ左翼市民運動を肯定、擁護してきたわけではなかった。今回の「『新潮45』廃刊事件」で白日のもとに晒され、露呈してきたのは、エセ保守の思想的堕落の現状と実態だけではなく、同時にエセ左翼の思想的堕落だったと言ってよい。「 LGBT騒動 」の張本人と見られる杉田水脈小川榮太郎を、激しく批判するエセ左翼やエセ左翼市民運動の連中が、食いついた「生産性 」や「痴漢 」という表現も、ほぼ誤読や錯覚や無知に基づいていていたと言っていいが、言葉尻を捉えて付和雷同し、思考停止に陥るのは、エセ左翼もエセ保守も同じだろう。その意味で、批判やバッシングの矢面に立たされた小川榮太郎が、月刊誌で、正々堂々と反論反撃を開始したことは評価して良い。『新潮』編集長の矢野優も、小川榮太郎に名指しで批判され、『新潮』新人賞をめぐる裏事情まで暴露された以上、『新潮』編集長の地位( クビ )を賭けて、ちゃんと反論してもらいたい。矢野優『新潮』編集長が書いた編集後記の「小川榮太郎批判 」の思想的責任を明確にしてもらいたい。バックに、高橋源一郎平野啓一郎等をはじめとする高名な文学者たち(笑)が、応援団として、ついているからと言って、有耶無耶にして欲しくない。高橋源一郎を含めて「命懸けの論争」を期待したい。矢野優は、幻冬舎の凄腕編集者=箕輪厚介の批判には、Twitterで、素早く反論したようだが。

(続22)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。「『新潮45』廃刊事件」のもう一人の中心人物=小川榮太郎が、『 月刊HANADA』で反撃を開始したようだ。高橋源一郎は、小川榮太郎の「 『新潮』新人賞落選問題(事件 ) 」を 面白半分に取り上げて、「文藝評論家になれなかった小川榮太郎 」が、政治評論に活路を見出して、挙句の果てに、読むのも汚らわしいような「 公衆便所の落書き」を、つまりトンデッモナイ痴漢論文を、「新潮45」に発表、「『新潮45』廃刊事件」を引き起こしたと書いていたよ

(続22)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。「『新潮45』廃刊事件」のもう一人の中心人物=小川榮太郎が、『 月刊HANADA』で反撃を開始したようだ。高橋源一郎は、小川榮太郎の「 『新潮』新人賞落選問題(事件 ) 」を 面白半分に取り上げて、「文藝評論家になれなかった小川榮太郎 」が、政治評論に活路を見出して、挙句の果てに、読むのも汚らわしいような「 公衆便所の落書き」を、つまりトンデッモナイ痴漢論文を、「新潮45」に発表、「『新潮45』廃刊事件」を引き起こしたと書いていたように、私は読み取ったが、実情は、大分違うようだ。

小川榮太郎が、今月号の『 HANADA』に、かなり過激な反論を書いて、高橋源一郎矢野優=『新潮』編集長らに反撃している。特に小川榮太郎は、『新潮』編集長矢野優に向かって、『新潮』新人賞落選事件の舞台裏を暴露して、問題の小川榮太郎糾弾の編集後記を書いた矢野優編集長も、その事件に深く関与していた と、明らかにした上で、「おかしいんじゃないか」と反撃している。実は、私は 『月刊HANADA 』を、これまで、「 公衆便所の落書き雑誌 」( ?)と思っていたので、読んだことがない。今回初めて、昨夜の「東京西南塾 」に参加した塾生の一人が買って持っていたので、雑誌を手に取り、「 小川榮太郎独占手記 」なるものを真面目に読んだ。面白かった。久々に興奮した。小川榮太郎手記によると、『新潮』新人賞落選事件は、単なる落選事件ではなかったらしい。音楽評論家=遠山一行の仲介による持ち込み原稿を、『新潮』編集部の意向で、新人賞に回し、当選が確約( ヤラセ?)されていたものらしい。当選作として『新潮』に発表する 予定だった、と。それが落選となったためい『新潮』編集部に混乱が起きたが、その時の編集長が、編集長になったばかりの矢野優だったと。前後のやり取りや、背景について、小川榮太郎は次のように書いている。 ーーーーー以下引用ーーーーー さて、新潮社を訪れた私は控室で待たされた。そこに転がり込むように飛び込んできたのが、矢野君、君だったではないか。顔を真っ赤にしながら「申し訳ございません 」と全身で詫びを入れる君の手は激しく震えていたね。(中略) 私が駄作を応募して新人賞を取り損ね、新潮社に片恋を重ねてきたかのような嘘っぱちで嫌味な文章を、事情も知らぬ高橋氏に平気で書かせる君に、一体いつ変質してしまったのか。( 中略 )私のこの質問状に、答えてくれたまえ。(中略 )言論の責任を身を以て示してほしい。 (「 小川榮太郎独占手記 」『月刊HANADA 』12月号 ) ーーーーー引用終了ーーーーー

さー、どーする、矢野優編集長。むろん、矢野優編集長の側には、また別の言い分があるかもしれない。どっちの言い分が正しいのか、私には、それほど興味はない。が、いずれにしろ、当初の予想を覆して、「『新潮45』廃刊事件論争」は、私の予想=期待通り、泥沼化の様相を呈してきたようだ。面白い展開だ。さー、論争(戦闘 )の始まりだ。待ってました(笑)、と言いたいくらいだ。さー、小川榮太郎の暴露反撃に、高橋源一郎矢野優編集長等はどう答えるのだろうか? それとも沈黙を貫き通して、嵐が通り過ぎるの待つか。私は、沈黙を貫き通すことは出来ないだろうと思う。どちらかが倒れるまで、徹底的な論争をやってもらいたい。論争の内容や結果はどーであれ、泥沼の論争劇の果てに、日本の論壇や文壇に新しい時代が始まるだろうと私は思う。矢野優『新潮』編集長や、現代日本の大文豪高橋源一郎センセイ等は 、「『新潮45』廃刊事件」も「 LGBT騒動 」もなかったことにしたいだろうが、自分たちが、初めに、「 LGBT騒動 」の仕掛け人=立憲民主党尾辻かな子議員やそれに付和雷同するエセ左翼市民運動に屈服し 、杉田水脈小川榮太郎等、執筆者に罪を擦り付けて 、「 LGBT騒動 」を仕掛けた側に土下座した以上、エセ保守側も黙ってはいないだろうから、論争の泥沼化は避けがたいだろう。私は、高橋源一郎矢野優『新潮』編集長等を巻き込んだ泥沼論争を大歓迎する。私は、今、大江健三郎の『 セブンティーン』と『政治少年死す 』を読み直しているところだ。「大江健三郎『 セブンティーン』事件」では、死者も出たはずだ。そして絶版騒動へと。私は 、今回の「『新潮45』廃刊事件」も、このままで火消しに成功し、有耶無耶になるとは、とても思えない。 ( 続く)