哲学者=山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

*パンツを脱いだサル=呉座勇一に告ぐ(3)・・・呉座勇一よ、パンツぐらい穿けよ。(笑) 「 パンツを脱いだサル」とは、私が学生だった頃、ベストセラーだった栗本慎一郎の『 パンツをはいたサル』のパクリである。もちろん、「パンツをはいたサル 」とは人間のことである。では「 パンツを脱いだサル」とは何か。それは、ホンモノのサル、つまり呉座勇一のことである。その呉座勇一の「 恐喝メール」のことを 、「 私信」だから 公開するのは、ルール違反だとコメントしてきた、自称「東大卒」の無名の馬鹿がいる。即、

・・・・・・・ パンツを脱いだサル=呉座勇一に告ぐ(3)・・・呉座勇一よ、パンツぐらい穿けよ。(笑) 「 パンツを脱いだサル」とは、私が学生だった頃、ベストセラーだった栗本慎一郎の『 パンツをはいたサル』のパクリである。もちろん、「パンツをはいたサ…

パンツを脱いだサル=呉座勇一に告ぐ(2)・・・呉座勇一よ、パンツぐらい穿けよ。(笑)

・・・・・・・ パンツを脱いだサル=呉座勇一に告ぐ(2)・・・呉座勇一よ、パンツぐらい穿けよ。(笑) トンデモ歴史学者=呉座勇一から「 恐喝メール」の続報が、Twitterのリクエストメール欄に届いていた。私、普段、そういうところは見ない。気が付かなかった…

トンデモ歴史学者=呉座勇一に告ぐ!!! パンツぐらい穿けよ。ー『南洲伝』覚書(18)ー西郷南洲と重野安繹。 閑話休題。ちょっと話が、脇道へそれる。あの、例の「トンデモ歴史学者・呉座勇一」から、Twitterのmessage欄に、またまた、吹き出しそうな「 リクエスト・メール 」なるものが届いていた。さっきまで、気が付かなかった。前にも書いたように、私は、今、あまりTwitterを重視していない。Facebookやblogを優先している。Twitterは短文投稿なので、「お茶の間の正義 」を振り回す一

・・・・・・・ トンデモ歴史学者=呉座勇一に告ぐ!!! パンツぐらい穿けよ。『南洲伝』覚書(18)ー西郷南洲と重野安繹。閑話休題。ちょっと話が、脇道へそれる。と言うか、あの、例の「トンデモ歴史学者・呉座勇一」の先月の話題に戻る。呉座勇一から、Twitter…

『南洲伝』覚書(17)ー西郷南洲と重野安繹。 西郷の学問や思想とは、最初の頃は「 朱子学」中心であったが、しかし、成長するにしたがって、西郷の学問や思想の中心は、「 陽明学」へと移っていった。13歳の時に、大阪で「大塩平八郎の乱」 が起きているが、その影響もあったのかもしれない。大塩平八郎は「 陽明学者 」だったからだ 。陽明学の中心思想は「知行合一 」の思想だ。知行合一の思想とは、行動や実践を求める思想のことだ。つまり、学んだだけではダメで、実践や行動や実践の伴わない学問を否定し、実践哲学や行動哲

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岩田温『偽善者の見破り方 』を読む。 岩田温氏の新著『偽善者の見破り方 』を読んだ。岩田氏は、彼が、まだ早稲田大学政治経済学部の学生だった頃からの知り合いなので、どうしても点数が甘くなりそうになるが、そういうことを差し引いたとしても、なかなか鋭い、情勢論的な政治評論集になっている。岩田氏は、一応、「 保守派」の政治学者ということになっているが、いわゆる、集団でしか物の言えない最近の「保守派文化人 」( 私は、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』『 エセ保守が日本を滅ぼす』等で批判した? )とは、

・・・・・・・・・岩田温『偽善者の見破り方 』を読む。岩田温氏の新著『偽善者の見破り方 』を読んだ。岩田氏は、彼が、まだ早稲田大学政治経済学部の学生だった頃からの知り合いなので、どうしても点数が甘くなりそうになるが、そういうことを差し引いた…

『南洲伝』覚書(16)ー西郷南洲と重野安繹。 これは、西郷が 、沖永良部島から奄美大島の「得藤長( とく・とうちょう)」に送った手紙だが、次のように書いている。 《 昨冬はお手紙いただき、遠方へお心がけ下さり、かたじけなくお礼申し上げます。私は異議なく消光(日を送る )いたし、この島でも詰役人がしごく丁寧で仕合わせの至りです。囲い入りになっておりますので脇から見れば、よほど窮屈 に見えるようですが、拙者にはかえってうよろしく、俗事に紛れることもなく、余念なく学問一辺にて、今通りに行けば、学者のもな

『南洲伝』覚書(16)ー西郷南洲と重野安繹。これは、西郷が 、沖永良部島から奄美大島の「得藤長( とく・とうちょう)」に送った手紙だが、次のように書いている。 《 昨冬はお手紙いただき、遠方へお心がけ下さり、かたじけなくお礼申し上げます。私は異議な…

『南洲伝』覚書(15)ー西郷南洲と重野安繹。 西郷は、「 人徳」「行動力」「 決断力 」「担力 」・・・などが高く評価されるのに反比例するかのように、「学 」「 学問 」「 思想」という側面が、あまり評価されない。極端になると、これが、西郷批判や西郷否定論にしばしば使われる。西郷擁護論である『丁丑公論 』で、福沢諭吉が、わざわざ、「西郷の弱点は、『 学問』 がなかったことだ」と言ったように、西郷を絶賛するにせよ、誹謗中傷するにせよ、これが定番になっている気配がする。しかし、私は 、そうは考えない。

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『南洲伝』覚書(14)ー西郷南洲と重野安繹。 奄美大島時代、西郷の話し相手として、学者・重野安繹(しげの=やすつぐ )がいたことは、重要である。しかも、この重野は、西郷の証言者としても重要である。寝食を共にしたというわけではないが 、かなり頻繁に交流し、二人は、会っている時は、昼夜を問わず、話し込んでいる。雑談や世間話に明け暮れていたわけではないだろう。漢学や漢詩にも造詣が深い学者・重野安繹を相手に、西郷が学ぶことは少なくなかっただろう。重野も、昌平黌でも優秀な成績をおさめて、安井息軒などに高く評価され

・・・ 『南洲伝』覚書(14)ー西郷南洲と重野安繹。 奄美大島時代、西郷の話し相手として、学者・重野安繹(しげの=やすつぐ )がいたことは、重要である。しかも、この重野は、西郷の証言者としても重要である。寝食を共にしたというわけではないが 、かなり頻…

『南洲伝』覚書(13)ー西郷南洲と重野安繹。 西郷が、安政6年1月12日、奄美大島の龍郷村に着いた時、33歳、迎えの船が、阿淡崎港にやって来たのが、文久2年1月12日で、西郷は36歳になっていた。つまり、合計3年もの間、奄美大島という孤島に閉じ込められていたことになる。この時代に3年間の空白は長い。時代は、西郷の存在など無視して、激しく動いていた。しかし、西郷にとって、この3年間は、あるいは、再度の島流しの時代の2年間と合わせて5年間は、無駄な5年間ではなかった。ある意味では、豊かな5年間であった。学問

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『南洲伝』覚書(12)ー西郷南洲と重野安繹。 私が、この『南洲伝』という西郷の評伝を書こうと思い立った切っ掛けは、幾つかあるが、その一つが、徳之島出身の稲村公望さんと、沖永良部島出身の内弘志さんに出会い、西郷の「島流し 」時代の話を聞くようになったことからである。言うまでもなく、徳之島と沖永良部島は、奄美大島とともに、西郷が島流しにあった島である。私は、鹿児島生まれ、鹿児島育ちなので、小さい頃から「 西郷さん 」の話は、よく聞きながら育った。しかし、あまり、「島流し 」時代の話は詳しくは聞いていなか

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『南洲伝』覚書(11)ー西郷南洲と重野安繹。 私は、重野安繹(しげの=やすつぐ )という人物に興味を持っている。西郷南洲や、あるいは明治維新や西南戦争について知っていても、かなり 、細かいところまで探求したことがなければ、重野安繹という人物は知らないと思う。西郷南洲を批判、嘲笑する類の本を読むと、必ず、重野安繹という名前が出てくる。司馬遼太郎の『 翔ぶが如く』にも頻繁に証言者として登場するが、人となりについてはあまり詳しい説明はない。いずれにしろ、『 翔ぶが如く』は、重野安繹の「 西郷批判 」の証言がな

私は、重野安繹(しげの=やすつぐ )という人物に興味を持っている。西郷南洲や、あるいは明治維新や西南戦争について知っていても、かなり 、細かいところまで探求したことがなければ、重野安繹という人物は知らないと思う。西郷南洲を批判、嘲笑する類の本を…

『南洲伝』覚書(10)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論論争に関する歴史学者たちの歴史記述は当てにならない。露骨な勝者史観の立場からなされている気配がある。大久保利通が、後世の歴史学者たちの歴史記述に、かなり神経を使っているからだ。西郷南洲が、城山で戦死したという情報がもたらされた直後、大久保利通邸を訪問してきたのが、重野安繹(しげの=やすつぐ )だったことが、それを象徴している。重野は、言うまでもなく、後に東京帝国大学国史学科教授となり、「 近代実証主義史学 」を主張、確立する歴史学者である。この重野安繹

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小林秀雄とベルグソンとマルクス。( 続編 ) ベルグソンに『 思考と動くもの』という論文がある。小林秀雄もしばしば引用する論文である。ポイントは、人間の思考は、「動くもの 」を「動くもの 」として思考することは難しいというものだ。つまり、動いているものを、静止した点の集まりとして考えて、それで満足している 、と。言うまでもなく、動いているものの軌跡は、点の集合ではない。動いているものに切れ目はない。「 動いているもの」を、「 動いていないもの」に、つまり静止した点に置き換えることが、形而上学の始

小林秀雄とベルグソンとマルクス。( 続編 )ベルグソンに『 思考と動くもの』という論文がある。小林秀雄もしばしば引用する論文である。ポイントは、人間の思考は、「動くもの 」を「動くもの 」として思考することは難しいというものだ。つまり、動いている…

『南洲伝』覚書(9)ー明治天皇と西郷南洲。 江藤淳は、『南洲残影』で、西郷の全的滅亡を、「 歌」を中心軸に描いている。たとえば、軍隊の行進曲「 抜刀隊」の歌、「 孝女白菊の歌」、「 一かけ、二かけ 、三かけて」という童歌。それらに勝海舟の「 城山 」という薩摩琵琶歌を加えてもよい。不思議なことに、いづれも西郷の全的滅亡を、哀愁を込めて歌っている。軍隊から庶民、婦女子、幼児まで、近代の日本国民の多くは、「逆賊 」である西郷の悲劇を歌ってきたと言っていい。そこに、江藤淳は注目する。何故か。おそらく、歴史

・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(9)ー明治天皇と西郷南洲。江藤淳は、『南洲残影』で、西郷の全的滅亡を、「 歌」を中心軸に描いている。たとえば、軍隊の行進曲「 抜刀隊」の歌、「 孝女白菊の歌」、「 一かけ、二かけ 、三かけて」という童歌。それらに勝…

『南洲伝』覚書(8)ー明治天皇と西郷南洲。 江藤淳の『南洲残影』について、もう少し続ける。江藤淳は、西郷と明治天皇の微妙な関係にもふれている。西郷は、 大久保利通や岩倉具視等が、明治天皇を巻きこんで、既に決定事項であった征韓論( 遣韓論?)をひっくり返し、強引に征韓論論争に決着をつけようとしていることを知ると、あっさり、明治天皇へも「あいそををつかし」、自らが貢献し、作り上げた明治新政府へも「 見切り」をつけて、辞職し、故郷・鹿児島へと帰郷した。歴史学者たちの通説では、西郷が、「 征韓論論争や明治六

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(8)ー明治天皇と西郷南洲。江藤淳の『南洲残影』について、もう少し続ける。江藤淳は、西郷と明治天皇の微妙な関係にもふれている。西郷は、 大久保利通や岩倉具視等が、明治天皇を巻きこんで、既に決定事項であった征韓論…

『南洲伝』覚書(7)ー明治天皇と西郷南洲。 我が師=江藤淳先生の『南洲残影』は 、「偉大なる敗北者=西郷隆盛 」を主題として描いている。「失敗への情熱 」を心中深くに秘めながら、まっしぐらに破滅=自滅へと突き進んでいく西郷南洲。歴史学者たちには、そういう発想はない。歴史的史料や文献をいくら正確に読み込んだとしても、そんなことは何処にも書いていない。では、書いていないことは、なかったことなのか。歴史学者にとっては、それでいいだろう。しかし、人間にとって「 歴史」とは、そういうものではない。「 歴史

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(7)ー明治天皇と西郷南洲。我が師=江藤淳先生の『南洲残影』は 、「偉大なる敗北者=西郷隆盛 」を主題として描いている。「失敗への情熱 」を心中深くに秘めながら、まっしぐらに破滅=自滅へと突き進んでいく西郷南洲。歴…

『南洲伝』覚書(6)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論や西南戦争なしに西郷南洲(西郷隆盛 )はありえない。西郷は、「 失敗」し、「 敗北」し、「 偉大なる敗者」になったからこそ、西郷南洲なのだ。西郷が、勝ち続けて、幸せな老後をまっとうしていたら、西郷南洲はありえない。西郷は、失敗し、負けることが出来たからこそ、西郷南洲なのだ。負けることにも才能が必要なのだ。私は、鹿児島県の片田舎に生まれ、そこで育ったので、「 西郷さん 」については、かなり詳しく知っている。しかし、不思議なことに、西郷が、大活躍した明治

q・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(6)ー明治天皇と西郷南洲。征韓論や西南戦争なしに西郷南洲(西郷隆盛 )はありえない。西郷は、「 失敗」し、「 敗北」し、「 偉大なる敗者」になったからこそ、西郷南洲なのだ。西郷が、勝ち続けて、幸せな老後をまっとう…

『南洲伝』覚書(5)ー明治天皇と西郷南洲 ■昨日は、上野、不忍池の湖畔にある旧桐野利秋邸跡( 旧岩崎邸庭園 )に行ってきた。以前、数年前にここを通りかかったのだが、その時は、昔、ここに桐野利秋が住んでいたとは知らなかったので、門前を通り過ぎただけだった。今回、はじめて、中へ入った。元々は、新潟の高田藩の江戸屋敷だったらしい。徳川幕府が滅んでさびれていたのを桐野利秋が購入し、住まいにしていたのだろう。しかし、桐野利秋時代の面影は、おそらく残っていない。「 岩崎家 」二代目が購入して、洋館を新築したのだろう

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(5)ー明治天皇と西郷南洲■昨日(4/4@docomo.ne.jp )は、上野、不忍池の湖畔にある「 旧桐野利秋邸跡」(「 旧岩崎邸庭園」 )に行ってきた。以前、数年前にここを通りかかったのだが、その時は、昔、ここに桐野利秋が住んでい…

『南洲伝』覚書(4)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論論争の山場は、太政大臣=三条実美の「 急病」であった。三条は、明治6年、3月18日、急病で、意識不明の人事不省に陥る。三条は、西郷等の征韓論推進派と、岩倉・大久保等の反征韓論派の激しい対立・抗争に巻き込まれて、最高責任者として追い詰められていたことは確かである。しかし、この肝心な時に「 倒れた 」ことには、疑問の余地が残る。大久保利通等は、この「三条、倒れる 」を、絶好の機会とみて、得意の宮廷工作を開始する。素早く三条実美太政大臣の代理として、岩倉具

・・・・・・・・・「 南洲伝』覚書(4)ー明治天皇と西郷南洲。征韓論論争の山場は、太政大臣=三条実美の「 急病」であった。三条は、明治6年、3月18日、急病で、意識不明の人事不省に陥る。三条は、西郷等の征韓論推進派と、岩倉・大久保等の反征韓論派の激…

『南洲伝』覚書(3)ー明治天皇と西郷南洲。 トンデモ歴史学者=呉座勇一は、歴史学者は信用出来るが、歴史的史料の読み方の厳しい訓練を受けていない「 在野の歴史研究者 」は信用出来ないと言うが、果たしてそうだろうか。むしろ、「 歴史学者」こそ、文献や史料に、簡単に騙されているのではないか。西郷や征韓論論争、いわゆる「明治六年政変 」に関する文献や史料を探っていくと、多くの「 歴史学者」が、史料の読み方で、初歩的な間違いをしていることが分かる。歴史学者や歴史作家たちの「 通説 」では 、岩倉使節団の一人

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(3)ー明治天皇と西郷南洲。トンデモ歴史学者=呉座勇一は、歴史学者は信用出来るが、歴史的史料の読み方の厳しい訓練を受けていない「 在野の歴史研究者 」は信用出来ないと言うが、果たしてそうだろうか。むしろ、「 歴史…

『南洲伝』覚書(2)ー明治天皇と西郷南洲。 征韓論論争と西南戦争において、はじめて西郷は、「 西郷隆盛」「 西郷南洲」になった、と言っていい。確かに、歴史的事実としては、西郷は、大久保利通や岩倉具視等の策謀に負けた。しかし、西郷は、「 負ける」ことによって 、「 永遠の命 」を得ることになった。西郷は、無能な木偶の坊だったから負けたのではない。負けて勝ったのである。西郷は、ここで、明治天皇と袂を分かち、敵対関係になる。そして、最後は、天皇に刃向かった「逆賊 」として死ぬことになる。だが、むしろ、

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(2)ー明治天皇と西郷南洲。征韓論論争と西南戦争において、はじめて西郷は、「 西郷隆盛」「 西郷南洲」になった、と言っていい。確かに、歴史的事実としては、西郷は、大久保利通や岩倉具視等の策謀に負けた。しかし、西…

『南洲伝』覚書(1)ー明治天皇と西郷南洲。 西郷南洲は、征韓論論争の果てに、あっさりと身をひいて、公職を辞職して、鹿児島に帰っていった。その時、西郷南洲は、「 私は策謀をしなかった」と言ったと伝えられているが、この言葉の意味は小さくない。普通は、西郷南洲は、征韓論論争に敗れて、敗走するように、故郷・鹿児島へ帰って行ったということになっている。私は、そうは思わない。西郷南洲は、征韓論論争に負けてもいなければ、敗走したのでもない。そもそも「 征韓論論争 」は、あるいは「 明治六年政変 」は、征韓論をめぐる

・・・・・・・・・ 『南洲伝』覚書(1)ー明治天皇と西郷南洲。西郷南洲は、征韓論論争の果てに、あっさりと身をひいて、公職を辞職して、鹿児島に帰っていった。その時、西郷南洲は、「 私は策謀をしなかった」と言ったと伝えられているが、この言葉の意味は…

【歴史学者亡国論( 26)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 一昨日(4/28 )、都内某所で、「山崎行太郎=哲学研究会 」を開催した。取り上げたテーマは「 呉座勇一問題。」。我が哲学研究会は少数精鋭主義をモットーとしているので参加者は少なかったが、「歴史 とは何か」「 歴史学とは何か 」「 歴史学者とは何か 」などについて、ヘーゲルの『歴史哲学講義 』 、柄谷行人の『哲学の起源』、小林秀雄の『歴史と文学 』などを参考資料にしながら、小生の見解を講義し、後に討論会。呉座勇一は 、論じるに値しない

・・・・・・・・・ 【歴史学者亡国論( 26)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】一昨日(4/28 )、都内某所で、「山崎行太郎=哲学研究会 」を開催した。取り上げたテーマは「 呉座勇一問題。」。我が哲学研究会は少数精鋭主義をモットーとしているので参加者は…

【歴史学者亡国論(25)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 柄谷行人は『哲学の起源』の中で、ギリシャ哲学やそれ以前のイオニアの哲学などについて書いている。我々は、ギリシャの哲学やイオニアの哲学などについ、て、プラトンやアリストテレスの書き残した「 文献 」や「 史料 」を通してしか知らないが、プラトンやアリストテレスの書きのこした文献や史料は、明らかに 、ギリシャ哲学の観点から書かれている。従って ギリシャ哲学以前の哲学である「イオニアの哲学 」については、正確ではない。そこで、柄谷行人は、「 文

・・・・・・・・ 【歴史学者亡国論(25)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】柄谷行人は『哲学の起源』の中で、ギリシャ哲学やそれ以前のイオニアの哲学などについて書いている。我々は、ギリシャの哲学やイオニアの哲学などについ、て、プラトンやアリストテ…

【歴史学者亡国論(24)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体!⠀】 私は、拙著『ネット右翼亡国論』で、言論一般について、『 情勢論・原理論・存在論』の三位一体論を提示した。情勢論だけの人、原理論( 学問的思考)まで深めた人 、それを「生き死にの原理 」(存在論 )まで問い詰めた人。呉座勇一の研究・言論活動は、何処に属するだろうか。私見によれば、呉座勇一の議論は底が浅く、最近の社会情勢を論じた、薄っぺらな「 情勢論 」に終始しているように見える。たとえば、『 一揆の原理』は、「 3・11東日本大震災」

yy ・・・・・・・・【歴史学者亡国論(24)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体!⠀】私は、拙著『ネット右翼亡国論』で、言論一般について、『 情勢論・原理論・存在論』の三位一体論を提示した。情勢論だけの人、原理論( 学問的思考)まで深めた人 、それを「生…

【歴史学者亡国論(23)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体!】 呉座勇一の著書『 応仁の乱』から『一揆の原理 』『陰謀の日本中世史 』『 戦争の日本中世史』と読んでいって 、そこに「メタフィジック」がないことに気づく。事実や現実や史料や文献を重視するあまり、メタフィジカルな思考が、あたかも妄想や空想の類と、つまり「 陰謀論 」と捉えられているように見える。要するに思想や哲学がないのだ。言い換えれば、存在論や存在論的思考がないのだ。だから、呉座勇一の歴史研究には 、史実や事実や事件しか書かれていない。意味

・・・・・・・・【歴史学者亡国論(23)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体!】呉座勇一の著書『 応仁の乱』から『一揆の原理 』『陰謀の日本中世史 』『 戦争の日本中世史』と読んでいって 、そこに「メタフィジック」がないことに気づく。事実や現実や史料や…

【歴史学者亡国論(22)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 呉座勇一は、著書に『陰謀の日本中世史 』があるように、呉座勇一自身が、かなり「 陰謀論談義」が好きのようで、それを「売り 」にしているようでもある。しかし、私見によれば、呉座勇一の「陰謀論談義 」には、呉座勇一の思想的未熟さを象徴するような、根本的欠陥がある。呉座勇一は、STAP細胞騒動で知られた「小保方晴子事件」や明治時代の超能力スキャンダル「御船千鶴子事件 」も、陰謀論として扱っているように見える。二つの事件とも、私も興味ある事件

・・・・・・・・ 【歴史学者亡国論(22)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】呉座勇一は、著書に『陰謀の日本中世史 』があるように、呉座勇一自身が、かなり「 陰謀論談義」が好きのようで、それを「売り 」にしているようでもある。しかし、私見によれば、…

【歴史学者亡国論(21)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 繰り返して言うが、私は、呉座勇一からの反論や反撃 などが・・・、誹謗中傷を含めて 、あるとは、最初から期待してはいない。私は、呉座勇一からの反論や反撃があろうとなかろと、他の誰のためでもなく、私のために書いている。私は、私のネット日記『毒蛇山荘日記』を、もっと大事な 、貴重な著作物だと思っている。ネットの書き込みや記事は、『 便所の落書き』と貶す人も少なくないが、私は、そうは思はない。そこが、根本的に違う。大げさに言えば、私の現在の存

・・・・・・・・ 【歴史学者亡国論(21)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】昨日( 4/23)は、日大芸術学部に出講の日だった。講義が早目に終わったので、日芸図書館へ。いつも図書館へ入ると眠くまるのだが、ようやく慣れたみたいで、昨日は、図書館で、史料…

【トンデモ歴史学者亡国論(20)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】 呉座勇一が、歴史研究には『 人生経験』はいらない、それでは『学問としての歴史学』はなりたたない 、とか自信満々に言っていたが、そこに 呉座勇一の馬鹿さ加減が良く出ている。しかも 、呉座勇一は、神戸大学教授=キムラカンの証言を引き合いに出している。キムラカンって誰だ? いずれにしろ、気の毒に、この連中は、自分が才能のない凡庸な三流学者であり、救いがたい 学者馬鹿だということにも気がついてない。呉座勇一は、こう言っている。 《 ・・

うj・・・・・・・・・ 【トンデモ歴史学者亡国論(20)★トンデモ歴史学者=呉座勇一の正体】呉座勇一が、歴史研究には『 人生経験』はいらない、それでは『学問としての歴史学』はなりたたない 、とか自信満々に言っていたが、そこに 呉座勇一の馬鹿さ加減が良…

【トンデモ歴史学者亡国論(19)★トンデモ歴史学者=呉座勇一への宣戦布告!】 「呉座勇一」や「 日本史史料研究会 」が論争から逃亡し、「 恫喝メール」で、話をつけようとする態度が意味するものは、最近の思想や学問の沈滞と崩壊以外の何物でもない。呉座勇一が、井沢元彦や八幡和郎を相手に居丈高に、暴言を吐きまくったのはバッシングの一種であって、論争でもなんでもない。呉座勇一には、論争に立ち向かうだけの思想的力量も学識もない。音楽的才能のない人間が音楽活動を続けていくために、覚醒剤や大麻などに手を出すように、思想

い・・・・・・・・・ 【トンデモ歴史学者亡国論(19)★トンデモ歴史学者=呉座勇一への宣戦布告!】「呉座勇一」や「 日本史史料研究会 」が論争から逃亡し、「 恫喝メール」で、話をつけようとする態度が意味するものは何か。最近の思想や学問の沈滞と崩壊以外…