哲学者=山崎行太郎のBlog『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

『マルクスとエンゲルス』22 ー必然性の哲学と偶然性の哲学。

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マルクスエンゲルス』22

■必然性の哲学と偶然性の哲学。

柄谷行人は、対馬斉の『人間であるという運命ーマルクスの存在思想』(作品社)の推薦文の中で、こう書いている。

対馬斉氏と知り合ったのは、二四歳のときだった。私は、この年長の友から、マルクスの存在論的読み方、そして、「学位論文」の読み方に関して、深い影響を受けた。それは今も、私の中に活きている。》

この文章は、前にも引用したが、もう一度、引用しておく。ここに、実は、マルクス学位論文の思想的核心、あるいはマルクス哲学の思想的核心があるからだ。
マルクス学位論文、つまり『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』の読み方には、それなりの方法がある。それを知らなければ、この学位論文の価値は読みとれない。だから、マルクスマルクス主義研究の先進国である日本でさえ、「初期マルクス」というと誰もが取り上げる『経哲草稿』や『へーゲル法哲学批判序説』などに比べると、この学位論文に対する関心度は、きわめて低い。「存在論的読み方」が、経済学を中心とするマルクス主義者たちの「イデオロギー的読み方」には馴染みがないからだろう。
 
 柄谷行人対馬斉から学んだというマルクスの「存在論的読み方」は、マルクス主義者たちには、むしろ観念的な読み方と思われるかもしれない。「存在論的読み方」は、経験主義的、実証主義的な読み方というより、主観的、独断的な読み方に近いからである。
 しかし、マルクス主義というイデオロギー的思考とは逆に、マルクスもまた、「存在論的読み方」をしている。マルクス学位論文における存在論的読み方を理解するためには、読者である我々自身にも、その「存在論的読み方」が不可欠である。
 マルクスが、デモクリトスではなく、エピクロスを擁護しているのは、エピクロスの思想の中に「存在論的な読み方」「存在論的思考」を発見したからだろう。

エピクロスの思考とは何か。マルクスは『資本論』で、価値形態論にふれながら、次のように言っている。

《価値形態、その完成した姿である貨幣形態は、はなはだ無内容かつ単純である。にもかかわらず人間の頭脳は、二千年以上も前からこれを解明しようとつとめてきてはたさず、しかも他方、これよりはるかに内容ゆたかで複雑な形態の分析には、少なくともほぼ成功している。なぜだろう?成体は、体細胞よりも研究しやすいからである。しかも、経済的形態の分析においては、顕微鏡も、化学試薬も、役にたたない。抽象力が、両者にとってかわらねばならない。》

ここで、マルクスは自分の方法論を自覚的に説明している。マルクスエピクロスと同様に、デモクリトスのような経験主義的、実証主義的な態度ではなく、哲学的態度を重視している。マルクスは「抽象力」という言葉を使っている。マルクスが「抽象力」というのは哲学的態度のことである。おそらくエンゲルスにはその抽象力はない。つまり、マルクスエンゲルスの差異は、この抽象力の有無にある。
 たとえば、価値形態論や貨幣形態論は、マルクスの『資本論』のもっとも重要な部分である。しかはし、マルクスが価値形態論や貨幣形態論に深い関心を寄せたことは、なかなか明らかではない。言い換えれば、何故、アダムスミスやリカードは、価値形態論や貨幣形態論に関心を寄せなかったのか。
 マルクスの『資本論』を、マルクスが学んだ古典経済学やヘーゲル哲学と分かつのは、あるいは両者が断絶するのは、この価値形態論や貨幣形態論においてである。たとえば、アダム・スミスリカード等の古典経済学は、貨幣形態にも貨幣形態にも、関心をもたなかった。というより、価値形態と貨幣形態を発見も分析もできなかった。
アダムスミスやリカードマルクスの差異は、「抽象力」の差異であるといっていい。

柄谷行人は、こう書いている。

マルクスの『資本論』の主要な課題は、貨幣形態に関する顕微鏡的な解明によって、経済学または貨幣経済の歴史と同じ位古い「偏見」を打倒することにある。だが、微細なものとは、貨幣形態の謎であり、またそこにこそマルクスと古典経済学またはへーゲルとの゛差異゛が存するのだ。》(『マルクスその可能性の中心』)

柄谷行人は、マルクスの『資本論』の独創性は、『資本論』第一巻冒頭部の「価値形態論」にある、といっている。普通なら、飛ばし読みする価値形態論や貨幣形態論の部分にこそ、マルクス思想の秘密がある。そこで、マルクスの思考力は生き生きと躍動している。
 そのマルクスの独特の思考力は、マルクスエピクロスの中に見出したものでもある。エピクロスの哲学的、あるいは存在論的思考こそは、マルクスのものでもあったからだ。
 だから、学位論文デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』は、単に学位を得るために書いた論文ではない。



マルクスは、デモクリトスの「経験主義的方法」とエピクロスの「哲学的方法」の差異を強調した後で、「必然性と偶然性」という問題意識の元に、デモクリトスが「必然性」を重視するのに対して、エピクロスは「偶然性」を重視すると分析している。
まず、デモクリトスと必然性について、マルクスはいう。

《さてデモクリトスが現実を反省するために利用する形式は、必然性の概念である。アリストテレスによると、デモクリトスはすべてのものが必然性によって生じると考えていた。》(同上)

こう書いた後で、マルクスは、アリストテレスに続けて、古代の多くの哲学者、思想家、神学者たちが、デモクリトスと必然性について、書き残していることを列挙している。擬プルタルコス(『哲学者たちの教説』)やストバイオス(『自然学抜粋』)、エウセビオス(『福音のの準備』)も、アリストテレスと同じように、デモクリトスと必然性について言及している、という。



《これについては、『哲学者たちの教説集』の著者は、さらにはっきりと語っている。すなわちデモクリトスによると、必然性は宿命であり、正義であり、神意であり、世界の創造主である。》


《ストバイオスの『倫理学抜粋』に記録されているデモクリトスの次の文章は、エウセビオスの第一四巻でもほぼそのまま反復されている。すなはち、偶然とは、人間が作りだした虚像であり、これは人間が困惑しているのことを示すものにすぎない。偶然は、人間の強力な思考と争うからである。シンプリキオスも、アリストテレスが偶然を否定する古い学説としてあげている説は、デモクリトスのものであると解釈している。》(同上)


マルクスが、デモクリトスの思想の根幹に必然性があるというのは、おそらく「無神論」と関係しているかもしれない。デモクリトス唯物論は、「神意」とか「創造主」を前提にしている。言い換えれば、デモクリトスエピクロスよりも古代から近代にいたる哲学者たちに賞賛され続けてきたのは、デモクリトス唯物論が、有神論的唯物論だったからのように見える。

 デモクリトスに対してエピクロスはどうだろうか。マルクスは、エピクロスの思想として、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』とセネカの『道徳書簡集』から引用している。

《「必然性がすべてのものを支配する女王であるという主張もある。しかしじつは必然性などというものは存在しない。偶然に生まれるものがあるし、人間の恣意によって生まれるものもあるだけだ。必然は人間の手に負えないものであり、偶然は定まらないものだ。自然学者はヘイマルメネー(宿命)なるものを唱えるが、その奴隷になるぐらいなら神々についての物語を信じている方がましだ。神話を信じていれば、まだ神々を敬うことで願いが聞きとどけられるという希望がある。ところが宿命なるものを信じてしまうと、過酷な必然性しか残らない。多くの人々が神の働きだと信じているものは、偶然の働きなのである」》(同上)

 この文章は、マルクスが、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』から引用したものである。末尾に「多くの人々が神の働きだと信じているものは、偶然の働きなのである」というところがポイントであろう。「偶然性」を重視するエピクロス無神論の立場に立っていることは明らかだ。
 マルクスは、学位論文デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』において、「必然性と偶然性」という問題に言及して、デモクリトスエピクロスの差異を強調する。 

《このように、歴史的にみても、デモクリトスが必然性の概念を利用し、エピクロスが偶然性の概念を使ったこと、そしてたがいに激しく論難しながら相手の見解を否定していることはたしかである。》(同上)


必然性と偶然性。デモクリトスエピクロス。この対立は、言い換えれば、ヘーゲルととマルクスの対立でもある。ヘーゲル的な必然性とマルクス的な偶然性。ヘーゲルの歴史哲学には原因と結果が対応している。つまり、歴史的必然性である。マルクス主義というと歴史的必然性や決定論を連想する人も少なくないだろうが、マルクス自身は、学位論文の時代から必然性や決定論を批判している。
 柄谷行人は、ヘーゲルの思考は結果からの思考であり、マルクスの思考は事前の思考であるという。結果論的思考は必然性に直結し、事前の思考は偶然性に直結する。










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