哲学者=山崎行太郎のBlog『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

小林秀雄とマルクスーー私が、この『マルクスとエンゲルス』の連載で、何が言いたいのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。そこで、もう一度、執筆意図を確認しておきたい。

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◼️小林秀雄マルクス

 私が、この『マルクスエンゲルス』の連載で、何が言いたいのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。そこで、もう一度、執筆意図を確認しておきたい。
 さて、私が、この『マルクスエンゲルス』の連載で、最初に確認したことは、「マルクスエンゲルスの差異」は、「マルクスマルクス主義の差異」であるということであった。私は、それを柄谷行人の『トランスクリティーク』から学んだ。そして、それが、私が敬愛してきた小林秀雄江藤淳吉本隆明にも通じる文芸批評的テーマであることを学んだ。換言すれば、マルクスエンゲルスの差異、あるいはマルクスマルクス主義の差異というテーマは、文芸批評にとっては、かなり自明のテーマであった。
 批評家・小林秀雄の誕生とは、まさに、ここにあった。小林秀雄は、マルクス的思考とマルクス主義的思考の差異に着目することによって、昭和初期、隆盛を極めつつあったプロレタリア文学マルクス主義の運動の前に立ちはだかり、それらを、「概念的思考」、つまりマルクス的思考(唯物論)ではなく、マルクス主義的思考(観念論)だと批判し、次々に論破していったのだ。
 そこで、柄谷行人の言葉を、もう一度、思い起こそう。

《柄谷ーぼくは昔から哲学を哲学的にやるということがどうしてもできなかったのですね。今でも、哲学者というものをどこかでいかがわしいく思っているところがあるんです。(笑)たとえば日本の哲学者が、言語について深い考察をもっていたとしても、その人の文章がいかにも貧しく鈍感であるならば、その人は何も考えてこなかったのだとぼくは思うのです。それはごまかしのきかないものだと思います。そして、それは実は日本でものを考えるということの困難とつながっている。ぼくの偏見では、西田幾多郎を例外にすると、日本の哲学はむしろ文芸批評家にあったのではないかと思うのです。西欧ではけっしてそうではない。哲学者の方がすぐれた批評家だったといってよいかもしれません。たとえば、ニーチェは、「真理によって破滅しないために、われわれは芸術をもっている」といっている。ぼくは自分の仕事を、その対象がどんなものだとしても、文芸批評の延長として考えています。実際また、マルクスについて考えることについて考えることにおいても、ぼくは批評家から学んできたのです。》
広松渉柄谷行人対談「共同主観性をめぐって」)


 柄谷行人は、ここで、マルクスを、文芸評論家、あるいは批評家から学んだと言っている。たぶん、批評家とは小林秀雄のことであって、小林秀雄からマルクスの読み方を学んだということである。
 繰り返しになるが、柄谷行人は、『トランスクリティーク』で、こんなことも言っていた。

マルクスは膨大な著作を残したが、それらは基本的に断片的であって、マルクスの哲学とか経済学とかコミュニズムというものをそれ自体で取り出すことはできない。最初にそれらを体系化しようとしたのは、マルクス死後のエンゲルスであった。彼はへーゲルの哲学の哲学大系に合わせて、マルクス主義の体系を構成した。》(『トランスクリティーク』)

 マルクスマルクス主義を体系化していない、体系化したのはエンゲルスだった。たとえば、「弁証法唯物論」とか「唯物史観」とかいう言葉を、一度もマルクスは使っていない。逆に、エンゲルスは、この「弁証法唯物論」「唯物史観」という言葉を、マルクス主義の重要なキーワードとして何回も使っている。もちろん、後のマルクス主義者たちは、「弁証法唯物論」をマルクス主義の代名詞のごとく多用している。これは何を意味するのか。
 対馬斉は、次のように書いている。

《私が実はここで直裁に問題にしたいのは、弁証法唯物論なるものをマルクスの哲学とする論拠が、たんにこの『反デューリング論』のエンゲルスの序文だけに求められており、マルクスの思想がマルクスの思想として究明されず、ましてやエンゲルスの思想との関係が十全な思想的究明ももされぬまま、いうなれば、ア・プリオリに、マルクス=エンゲルス=弁証法唯物論として疑わない、今日のマルクス主義者の全く教条的な、非思想的態度をこそ問題にしたいのだ。》(対馬斉『人間であるという運命』)

 つまり、「マルクス=エンゲルス=弁証法唯物論」とう図式化した単純な思考は、マルクス本人とは無縁な思考である、と対馬斉は言いたいのであろう。言い換えると、エンゲルスマルクス主義者の思考は、この図式化した単純な思考であって、深くものを考えていないということだろう。いわば、こういう図式的思考こそ観念論だといっていい。観念論を否定するマルクス主義者たちの思考こそ、実は観念論的思考だということになる。
 

 柄谷行人が言うマルクスエンゲルスの差異は、マルクスマルクス主義の差異と言い換えてもいい。
これを、マルクス主義者やエンゲルスは理解できない。たとえば、日本のマルクス主義者やマルクス主義研究者の多くは、今でも、それはかわらない。
本多秋五という、のちに左翼系の文芸評論家になる青年は
、高校時代に、小林秀雄を「変な奴だ」と思っていたらしい(『転向文学論』)。

小林秀雄は、マルクス主義の台頭期に、あるいは全盛期に、マルクス主義批判の旗手として登場してきた文芸評論家である。厳密に言うと、小林秀雄が「近代批評の創始者」と言われることが象徴しているように、日本の文芸評論は、マルクス主義との対決・論争の中から生まれてきた。
 小林秀雄は、マルクス主義を批判したが、マルクスを批判したわけではない。
 小林秀雄の東大時代の同期である中島健蔵は、大学時代の小林秀雄について、こう言っている。

《三年の頃には、小林秀雄とも時々話をするようになったが、彼の態度ははっきりしていた。左翼思想について、こちらが割り切ることができず、もたもたしていると、彼は、こんなことをいった。「マルクスは正しい。しかし、正しいというだけのことだ。それはなんでもないことだ。」(中略)大ていの芸術派は、マルクスを否定していたが小林は、あっさりと、「マルクスは正しい」という。》(中島健蔵バラック時代の断片」)

 「マルクスは正しい」という小林秀雄は、私見によれば、マルクスマルクス主義者ではないと言っているといっていい。  
 対馬斉や柄谷行人を除いて、この問題に敏感なマルクス論者やマルクス研究者はいない。多くのマルクス論者やマルクス研究家は、「マルクス主義」研究家である。


たとえば、小林秀雄は、こう言っている。

《プロレタリア作家は、外国からマルクスの世界観と、プロレタリア小説を両手にぶらさげて帰って来た。マルクスの世界観は成程新しい、だがその世界観によって素材が変更されたその小説は昔乍らの感傷小説だ。現今の日本のプロレタリア小説より、ゾラの小説の方が百倍も立派て゛新しい。(中略)凡そ、平凡な事実を見ぬ振りをする理論家程世に有益無益な存在はない。色々な事実を見ぬ振りすればする程理屈は云い易い。》(「新興芸術派運動」)

 繰り返しになるが、小林秀雄の批評は、マルクス主義プロレタリア文学に対する批判から始まった。その時、小林秀雄が主張したことは、「理論的思考」に対する実践的、具体的思考の立場や観点からの批判であった。つまり、小林秀雄マルクス主義批判は、マルクス批判ではなく、あくまでもマルクス主義批判であった。これは、換言すれば、エンゲルス的思考批判であって、マルクス的思考批判ではなかった。
 
柄谷行人の「マルクス論」の原点は、小林秀雄の批評にある。柄谷行人マルクス論も、マルクス主義的思考に対するマルクス的思考からの批判である。つまり、マルクス批判ではなく、エンゲルス批判である。


マルクスが一度も思想を体系化しようとしなかったのは、時間がなかったからではない。それを拒絶していたからである。われわれは、経済学とか哲学とか政治学とかいった分類をとりあえず括弧に入れなければならない。何を対象にするにしても、マルクスがとった態度を見るべきなのだ。明白なことは、マルクスの「思想」は、それ以前のものに対する「批判」としてしか存在していないということである。》(柄谷行人トランスクリティーク』)

したがって柄谷行人は、「批評家」としての小林秀雄マルクスを、同列に見ているということができる。小林秀雄マルクスも、「批評家」なのだ。「批評家」について、柄谷行人はさらに書いている。


《たとえば、未完成であるにせよ、体系的に書かれた書物といえる『資本論』も、「国民経済学批判」というサブタイトルが示すように、批判の書である。だが、それは前代の理論を批判するという意図を持っているのではない。「批判」は、たんに相手を否定することではない。だから、マルクス先行者を否定して、何か積極的な学説を定立したかのように見なすのはまちがっている。》

批判とは、古い理論を否定して、新しい理論を打ち立てることではない。マルクスは、弁証法的観念論に対して、弁証法唯物論を打ち立てたのではない。批判とは、実存の深淵としての虚無の前に立ち続けることである。それが唯物論的に思考することである。



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