哲学者=山崎行太郎のBlog『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

桜井誠と廣松渉の共通性。「思想の存在論化」「思想の土着化」という見地から見ると、桜井誠と廣松渉には共通性がある。

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。何故、東大教授の廣松渉と反社会集団=在特会のリーダー桜井誠を同列に論じるのか?廣松渉桜井誠と言えば、月とスッポンだろう。何か、共通するテーマでもあるのか?それが、あるのだ。それは、「思想の土着化」「思想の血肉化」「思想の内在化」「思想の存在論化」とでもいうべき原理論的問題である。廣松渉は、タダの東大教授ではない。桜井誠も同じく、タダの「ネット右翼」ではなhい。

彼等の思想や哲学には、生きるか死ぬかの根本的な問題があり、それは彼らの生い立ちや生まれ育った風土とも切り離せない。彼等の思想や哲学が難解であり、複雑怪奇、荒唐無稽であるにもかかわらず、人を惹きつけるのは、そこに理由がある。

つまり、廣松渉は哲学研究者であるが、単なる哲学研究者ではない。そこが、廣松渉廣松渉の弟子を売り物にしている東大教授=熊野純彦と違うところである。熊野純彦は、ハイデガーの『存在と時間』の翻訳でも知られるように、典型的な「哲学研究者」である。それだけのことである。廣松渉は違う。

廣松渉の第一義的な仕事は、哲学のではない。「革命家」である。 廣松渉マルクス研究は、研究のためのマルクス研究ではない。革命(実践)のためのマルクス研究である。私が、廣松渉桜井誠を同列に論じるのは、そこである。実践を伴った思想や哲学。それこそ「思想の血肉化」「思想の血肉化」「思想の土着化」である。私は、敢えて、それを「思想の存在論化」と呼んでいるのである。



ネット右翼A」と「ネット右翼B」の差異。思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」。安倍晋三的「ネット右翼A」と桜井誠的「ネット右翼B」との差異は、思想を「血肉化」しているかどうかの差異である。「ネット右翼A」の特質は、受け売りやパクリ。思想がどんなに高級でも、受け売りやパクリに終始している限り、その思想はニセモノに過ぎない。大学系知識人や大手ジャーナリズム系知識人の多くは、あるいは左翼市民運動家たちの多くは、この種のニセモノに過ぎない。たとえば、桜井誠在特会を、反社会的な犯罪者集団のごとくに批判=告発する安田浩一有田芳生等は、間違いなく、この種のニセモノで

思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」とは何か。たとえば、吉本隆明は、「転向論」で、日本の知識人に特有の転向の原因は、「大衆からの孤立」にあると言っている。私見によれば、「大衆からの孤立」が、思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」を怠った結果、生じる思想現象である。

私は、桜井誠在特会に集まる人たちは、dその思想がどんなに稚拙、幼稚であろうとも、少なくとも「大衆からの孤立」という問題に関しては、決して「孤立」はしていないと考える。それ故に、彼等の思想や言動は強く、揺るぎない。頑強である。故に安易な「転向」もない。つまり、「ネット右翼B」の特質は、思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」にある。要するに思想の「土着化」である。


桜井誠在特会の思考は土着化した思考である。思想が血肉化し、内在化している。それは、大学やメディアを通じて学んだような習い覚えの、薄っぺらな知識や思想ではない。生きるか死ぬかの問題と直結した思考であり、思想である。私は、桜井誠と同じような人物を、もう一人知っている。誰か。それは、誰でも知っている竹中平蔵である。私は、竹中平蔵の思考にも「土着化」した強靭な思想の匂いを感じる。

私は、俗に「新自由主義」と言われる竹中平蔵の経済政策や経済理論に賛成ではない。むしろ、一貫して反対している。しかし、私は、竹中平蔵の素早い行動力や強靭な思考力には驚嘆を禁じえない。私は、「竹中平蔵批判」や「新自由主義批判」を繰り返す経済学者や政治家たちにはあまり興味がないが、竹中平蔵には興味がある。竹中平蔵は「思想の土着化」を体現する人物だからだ。

『市場と権力』という「新潮ドキュメント賞を受賞した本がある。作者の佐々木実は元日本経済新聞経済記者らしい。しかし、私は、佐々木実にほとんど興味がない。佐々木は、竹中平蔵を批判するつもりで、竹中平蔵の故郷・和歌山に取材して、氏素性を調べ上げたあげく、書いたかもしれないが、私は、反対の意味で読んだ。

私は、この竹中平蔵批判の本を読んで、初めて竹中平蔵という人物(少年)に興味を持った。竹中平蔵は、善かれ悪しかれ、新自由主義的な構造改革という「思想の血肉化」をやり遂げているように見える。おそらく、構造改革反対派よりも、その思想は強固である。われわれが考えているような、洗脳された愚かな人物ではなくて、「思想の土着化」「思想の血肉化」を成し遂げた、かなり手強い人物だということが分かった。

佐々木実によると、竹中平蔵は、和歌山市 内の「下駄屋の息子」だそうである。佐々木は、この事実を重視している。むろん、私も重視したい。しかし、その解釈は、佐々木と私とでは180度違う。頭もいい下駄屋の息子は、父親の後姿を見ながら育ち、その思想を鍛え上げていった(「思想の血肉化=土着化」)のだろう、と私は考える。大衆の原像」(吉本隆明)を直視しながら成長した少年がそこにいる。

佐々木さんの竹中平蔵少年のようを見る「眼差し」は違う。桜井誠を追う安田浩一の目線と似ている。いわゆる「上から目線」である。私は、これでは、竹中平蔵には勝てない、と思う。私は、佐々木実がどういう経済思想の持ち主か知らないし、知りたいとも思わない。佐々木実の思想は、借り物であり、ニセモノであることは間違いない。佐々木の思想が血肉化(土着化)したものだったら、竹中平蔵少年を見る目が、もう少し真剣なものになったはずである。
(続く)




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