哲学者=山崎行太郎のBlog『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

へーゲル『精神現象学』をどう読むべきか。つまり、『精神現象学』を哲学書として読むと、ある種の困難さに突き当たるということだろう。へーゲルの『精神現象学』は、小説を読むように読まなければならないということであろう。したがって、ルカーチの『若きへーゲル』やコジェヴの『へーゲル読解入門』、イポリットの『へーゲル精神現象学の生成と構造』など、多くのへーゲル研究書は、へーゲル読解に、それなりに役に立つ名著だろうが、厳密なへーゲル読解にとっては、百害あって一利なし、という可能性もないわけではない。(続く)

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へーゲル『精神現象学』をどう読むべきか。


  デカルトというと、哲学史的常識では、「コギト・エルゴ・スム」(「我思う、故に我あり」)ということになっている。この「コギトの哲学」から近代哲学始まった、と。つまり、デカルト哲学の本質は、この「コギト・エルゴ・スム」(「我思う、故に我あり」)に要約される、と。しかし、デカルトのこの言葉は、デカルトの書いたものの中にはない。つまり、この言葉は、デカルトの言葉ではない。後世の哲学者や哲学研究者たちが、デカルト哲学をわかりやすく要約したものにすぎない。しかし、要約がうますぎたために、デカルトについて語る者の多くが、デカルトよりも、デカルトのこの言葉にこだわる。デカルトを読むのではなく、デカルト主義ともいえる「コギト・エルゴ・スム」(「我思う、故に我あり」)という言葉を読む。言い換えれば、これは、我々が読むデカルトデカルトそのものではないということであり、深読みすれば、デカルトデカルト主義者ではない、ということだ。

 これは、小林秀雄柄谷行人が力説するように、マルクスマルクス主義とは異なる、ということと類似的だ。小林秀雄は、昭和初期、マルクス主義全盛の時代にマルクス主義者たちと激しい論争を繰り返したが、小林秀雄マルクス主義批判の論拠は、マルクス批判ではなく、マルクス主義者批判であった。マルクス主義者は、マルクスではないし、しかもマルクスの思想を理解してもいないというのが、小林秀雄マルクス主義批判の論拠であった。逆に、小林秀雄は、学生時代から、「マルクスは正しい」と話していたということだ。つまり、小林秀雄は、マルクス主義の受け売りしか出来ない、エビゴーネンとしての日本のマルクス主義者たちの知的退廃を批判したのであった。

  私は、へーゲルについても、同じことが言えると思う。へーゲルはへーゲル主義者ではない。つまり、へーゲル哲学と言われている「観念論」にしろ「弁証法」にしろ、厳密に言うと、へーゲル自身の思想とは微妙に異なる。

 誰もが認めるように、へーゲルの『精神現象学』は難解である。しかし、その難解さは、必ずしも、へーゲルの「弁証法的観念論」、言い換えれば「へーゲル主義」という哲学思想の難解さに由来する難解さではない。いわば、へーゲルが、思想内容を要約する代わりに、その思想過程、あるいは思考過程をそのまま文章化したことに発する難解さである。右往左往する思考、悪戦苦闘する思考、不可解な思考、それこそが、へーゲルの思考である。言い換えれば、へーゲルの複雑怪奇な思考回路と思考過程を共有しない限り、へーゲルを理解したことにはならない、ということである。 長谷川宏は、こう言っている。

《わたしは、若さゆえの粗暴さ、といった。別の面からいえば、それは、『精神現象学』が哲学ならざる哲学書、文学的な、あまりに文学的な哲学書だということである。》
長谷川宏『新しいへーゲル』)

 つまり、『精神現象学』を哲学書として読むと、ある種の困難さに突き当たるということだろう。へーゲルの『精神現象学』は、小説を読むように読まなければならないということであろう。したがって、ルカーチの『若きへーゲル』やコジェヴの『へーゲル読解入門』、イポリットの『へーゲル精神現象学の生成と構造』など、多くのへーゲル研究書は、へーゲル読解に、それなりに役に立つ名著だろうが、厳密なへーゲル読解にとっては、百害あって一利なし、という可能性もないわけではない。原典と解説。やはり解説書や研究書より、原典そのものを読むべきなのだ。特にへーゲルの『精神現象学』は。たとえば、これは、ドストエフスキーの小説を読むのに、バフチンの名著『ドストエフスキー論』を読む必要がないのと同じだろう。バフチンを読むことによって、理解は深まるかもしれないが、ドストエフスキー文学を理解できないということはありえない。かえって理解の妨げになることだってありえないわけではない。

 長谷川宏は、へーゲルの『精神現象学』をゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』と比較しながら、論じている。これは、「意識」という主人公が、「絶対知」に至るまでの成長物語として、『精神現象学』を読むということである。言い換えれば、『精神現象学』は理路整然とした体系的著作、あるいは体系的物語ではない。その意味で、小説や物語が、一言で要約できないように、『精神現象学』も、一言では要約できない。『精神現象学』の難解さは、一言で要約できない小説や物語の難解さである。

《似ているというのは、へーゲルの『精神現象学』も、固有名を持つ主人公ではないが、「意識」という名の主人公が、さまざまな境遇に投げこまれて経験を重ね、精神的に成長していく過程をたどるものだからである。しかも、すでにいったように、その道筋が単純ではない。道草を食ったり、遠まわりしたりがしょっ中で、しかもへーゲル自身がそれを楽しんでいるふうなのだ。》(同上)

 なるほど、と思う。矛盾や脱線、複雑怪奇な展開は当然なのである。それを要約し、むりやり、哲学的体系化をするという方法が間違っている。へーゲルの『精神現象学』は、うまく要約するのではなく、小説を読むように、矛盾や脱線をそのまま容認しつつ、読むべきなのである。しかし、たとえば、「マルクス主義者たち」は、へーゲル哲学を分かりやすく要約し、その、分かりやすくなったへーゲル哲学を、「へーゲルからマルクスへ」という図式の元に、いとも簡単に要約し、いとも簡単に批判し、乗り越える。へーゲルの読み方に関しても、マルクスマルクス主義者たちと同じではない。確かに、マルクスは、こう言っている。

弁証法は、へーゲルのばあい、頭で立っている。神秘的なヴェールのなかに合理的な核心を発見するには、それを、ひっくりかえさねばならない。》(『資本論』序文)

これを読んだ「マルクス主義者たち」は、へーゲルをまじめに読まない。マルクスにならって、へーゲル弁証法を、観念論から唯物論へ、ひっくり返せばいいと考えるからだ。しかし、この文章の前に、マルクスは、こうも言っている。


《へーゲル弁証法の神秘的な側面を、私はほぼ三十年前、それがまだ流行していた時代に、批判した。ところが私が『資本論』の第一巻を仕上げたまさにそのとき、いま教養あるドイツで大きな口をきいている不愉快な、不遜な、無能な亜流どもが、へーゲルを、ちょうどレッシングの時代に勇敢なモーゼス・メンデルスゾーンスピノザを取り扱ったように、つまり「死せる犬」として取り扱って、得意になっていたのである。だから私は、自分があの偉大な思想家の弟子であるとおおぴらに認め、しかも価値論に関する章のあちこちでへーゲル特有の表現法におもねることさえした。弁証法がへーゲルの手中で神秘化されたとしても、このことによって、弁証法の一般的な運動形態を最初に包括的また意識的に述べたのが彼であったということは、いさささかも妨げられるものではない。》(同上)

マルクスは、へーゲルの論理や思想を批判したが、へーゲルの思考方法や表現方法を批判してはいない。むしろ、思考方法や表現法ほうに関する限り、マルクスもへーゲル的である。マルクスの『資本論』も、へーゲルの『精神現象学』と同様に、要約不可能な書物である。「マルクス主義
者たち」には、それが見えていない。 (続く)ー

(以下は、「月刊日本」11月号でお読みください。)








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