哲学者=山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

安田浩一の『ネットと愛国』を読むーポリティカル・コレクトネス亡国論  私が、「桜井誠」に注目するようになったのは、三つの事件が関係している。  一つは、大阪市長・橋下徹との「激突対談」と「喧嘩別れ」の場面をテレビ画面で見たこと。  もう一つは、韓国との間で安倍首相が締結した「従軍慰安婦合意」に、桜井誠が決然と反対し、安倍政権批判に転じたこと。 そして最後の一つが、安田浩一の『ネットと愛国』を書店で立ち読みしたこと、である。……<<下に続く。ここをクリック。>>……


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安田浩一の『ネットと愛国』を読むーポリティカル・コレクトネス亡国論

 私が、「桜井誠」に注目するようになったのは、三つの事件が関係している。
 一つは、大阪市長橋下徹との「激突対談」と「喧嘩別れ」の場面をテレビ画面で見たこと。
 もう一つは、韓国との間で安倍首相が締結した「従軍慰安婦合意」に、桜井誠が決然と反対し、安倍政権批判に転じたこと。
そして最後の一つが、安田浩一の『ネットと愛国』を書店で立ち読みしたこと、である。


 私は、これらの一連の事件をきっかけに「桜井誠」という人物に思想的な関心を持つようになった。
橋下徹との論戦対決の場面では、世間がどう評価したかはともかくとして、私の見たところでは、明らかに桜井誠が論戦には勝っていた。私だけではなかった。佐藤優も、桜井誠の勝ちを認めている。これらのことから考えても、少なからぬ人が桜井誠の勝ちを認めたはずである。私も桜井誠の勝ちを認めた一人だった。
さらに、安倍首相の「従軍慰安婦合意」問題でも、桜井誠は、いち早く、安倍首相を批判し、桜井誠的な「ネット右翼」が、権力迎合、政権べったりの、「政府の飼い犬」ではないことを示した。
私は、桜井誠は、単純素朴な「ネット右翼」ではないこと、また桜井誠は、それが何であれ、独自の思想の持ち主である、と判断した。


特に、安田浩一の『ネットと愛国』を読んだことから、本書(『ネット右翼亡国論』)の主要なテーマである「思想の土着化」や「思想の存在論化」、あるいは「思想の血肉化」や「思想の内面化」などの問題を考えるようになった。

 それまで、私は、桜井誠を「ネツト右翼」の一人と見なし、どちらかといえば、その言動を軽視し、軽蔑していた。その時点までは、私は、桜井誠や「在特会」の名前は知っていたが、思想的関心を持つことはなかった。
 しかし、私は、先の三つの事件を契機に、桜井誠を、思想的に論じる価値があると考えるようになった。そこでの問題は、現代日本の思想的停滞や危機と深く結びついていると考えた。
 むろん、私は、桜井誠のすべてを肯定し、擁護するつもりはない。しかし、思想や哲学や政治を語り、論じるときに、もっとも大事な、もっとも本質的な「思想の土着化」という問題を、桜井誠の中に見いだし、その「思想の土着化」という問題を通じて、桜井誠を肯定し、擁護したいと思った。
  その「もっとも本質的な問題」とは、思想家や政治家の「生き方の問題」でもある。

安田浩一の『ネットと愛国』を読んで、私が、桜井誠を擁護し、肯定しなければならない、と思ったのは、安田浩一の書き方にに違和感と不快感を感じたことが大きな理由である。
たとえば、安田浩一は、桜井誠を批判するために、あるいは桜井誠の社会的地位を失墜させ、桜井誠を社会的に抹殺するために、桜井誠の出生や生い立ちなどを、桜井誠の出身地である北九州に現地取材し、『ネットと愛国』を書いたように見える。
特に私は、安田浩一が書いた「桜井誠の母親」の部分が問題だと思う。桜井誠の母親は、いわゆる「水商売」の人だった。そこを、安田浩一が、執拗に、しかも面白おかしく、侮蔑的な視線で、書いている、と私は思った。そして不快感と違和感がこみ上げてきた。安田浩一本人は、事実を書いただけだと言うだろう。しかし、私は、安田浩一の「鈍感さ」に、強い怒りを感じた。安田浩一は、「ザマーみろ、お前の母親の職業を暴露してやったぜ」と思いながら、書いたのではないか、という疑念が消えない。
安田浩一はこう書いている。


《私は高校時代の高田が住んでいた北九州市八幡西区の住宅街を訪ねた。学校からさほど離れた場所ではない。
 高田の実家は、すでに人手に渡っていた。この土地に係累は残っていない。父親は大分前から家を離れ、スナックを経営していた母親は13年に亡くなっていた。高田が東京に出てむしぱらくは彼の弟夫婦が住んでいたというが、現在は県内の別の場所へ転居している。
  近隣住民の多くが、高田のことを覚えていた。ただし返ってくるのは「目立たない」「おとなしそう子」といった通り一遍の言葉でしかない。高田家とわずかに交流を持っていたという主婦だけが、こめかみに指を当てながら、彼に関する記憶を無理やりに絞り出してくれた。》(33)


私は、この書き方に強い違和感を感じた。同時につよい怒りを感じた。これは、何を書かれても抗議も反論もできない凶悪犯や殺人者に関する記述の仕方ではないか。
「差別」を批判するものは、なんでも書いていいのか、と。韓国・朝鮮人への「差別」を強調し、それを批判、告発しようとする人だったら、書くべきではないように、私には思えた。
そこで、私は、安田浩一の「ポリティカル・コレクトネスの形而上学」という問題を考えざるをえなっかなかった。
安田浩一は、国際的にも承認されている「差別批判」という正義(ポリティカル・コレクトネス)を背景に、桜井誠の母親の職業まで出して、桜井誠を批判、罵倒している。安田浩一桜井誠批判の背景には、ポリティカル・コレクトネスがある。正確にいうと「ポリティカル・コレクトネスの形而上学」である。

多くの人は、『ネットと愛国』を読んで、桜井誠って、「貧しく、学歴もない、職業不詳のダメな奴」だと思ったはずである。だから、反社会的な「レイシスト」や「ヘイトスピーカー」になったのだろう、と。

しかし、私は違った。
私は、安田浩一の書き方に違和感を感じ、そして逆に怒りを覚えた。
安田浩一は、桜井誠の母親が、二人の男の子を育てるために、「スナック経営」をしていたことを、周辺の人物たちに聞き込み取材をして、詳しく書いている。そして、高校時代、桜井誠が二度の家出事件を起こしたことも書いている。


《朝鮮高校の最寄り駅である折尾駅から二駅ーーjr黒崎駅近くの飲み屋街を私は歩いた。13年前に亡くなった高田の母親は、その一角にある雑居ビルのなかで、スナック『たそがれ』のママをしていた。『たそがれ』のあった場所には当然ながら他のの店が入り、高田の母親を知っている者はそこにはいなかった。》

さらに、次のように書いている。


《ママや近所の人のの話など総合すると、地元でアルバイト生活を送っていた高田が上京したのは1997年、彼が20代半ばのときだったという。町工場や古い住宅が軒を連ねる東京の下町で、高田は家賃3万5000円のアパートを借り、警備員の仕事に就いている。
「無口で目立たない男」だった高田が、カリスマ「桜井誠」として世間から注目を集めるようになるのは、それから10年の月日を要する。》


確かに、事実はその通りかもしれない。しかし、繰り返すが、私は、安田浩一なる物書きが、何者なのか知らないが、この書き方には、違和感と不快感を禁じ得ない。
安田浩一のなかには、あるいは安田浩一の本を読んで納得し、賞賛している「読者たち」のなかには、上から目線の「大衆蔑視論」がある。必死で生きている、恵まれない生活者たちへの侮蔑と差別である。
私は即座に、大衆や民衆を侮蔑する上昇型インテリを厳しく批判した吉本隆明の『転向論』や、ドストエフスキーの小説『悪霊』を連想した。吉本隆明ドストエフスキーは、「大衆」や「民衆」というものを、もっと深く観察し、畏怖にも似た愛情を持って描写している。

(続く)




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