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山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『ネット右翼亡国論』『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

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「価値形態論」から「貨幣の形而上学」へ。---柄谷行人の「マルクス論」を読む。……


柄谷行人は、マルクス資本論』の冒頭で展開されている商品論、つまり価値形態に異常に固執し、価値形態論こそ、マルクス思想の本質であると強調している。言うまでもなく、従来のマルクス研究では、価値形態論は、『資本論』の冒頭に書いてあるにもかかわらず、あまり重視されてはこなかった。おそらく、マルクスが、価値形態論に込めた思想の意味がよくわからなかったからではなかろうか。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーー
マルクス経済学者は、価値形態論をたんに「貨幣の必然性」を証明するための章として片づけてしまっている。だが価値形態論こそ「資本」の秘密を明かすのであり、「労働時間」の仮説をとることなく、資本の根拠を明らかにしうるのである。(柄谷行人マルクス その可能性の中心』)
ーーーーーーーーーー引用終りーーーーーーーーーー


柄谷行人は「価値形態論」という商品の世界から貨幣という商品が誕生し、やがて「貨幣の形而上学」が成立する過程を、進歩や発展ではなく、「後退」か「退歩」と見ている。ここに、柄谷=価値形態論の面白さがある。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーー
確かに、価値形態論は、一見すれば、「貨幣の必然性」を、証明しているだけのように見える。しかし、貨幣の自己実現というヘーゲル的展開にもかかわらず、マルクスは、貨幣の成立が商品あるいは価値形態をおおいかくすことを語っているのだ。(同上)

ーーーーーーーーーー引用終りーーーーーーーーーー


貨幣が誕生し、貨幣による交換が可能になることによって、我々は、日常生活が便利になり、それが進歩、発展であると考えがちである。つまり、価値形態の世界が、「中心のない関係の体系」であったのに対して、貨幣形態の世界は、貨幣という「中心を持つ関係の体系」だから、価値形態から貨幣形態への移動は、論理や体系を重視する視点から見ると、進化であり、発展、進歩である、というのが、常識的な考え方、言い換えれば、古典経済学者の考え方であろう。


しかし、柄谷行人はそうは考えない。柄谷行人は貨幣の実現、貨幣の誕生を、発展とか進歩とは考えない。むしろ、そこに多くの謎があると見ている。マルクス資本論』の意義はそこにある。マルクスは、こう言っている。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーー
価値形態、その完成した姿である貨幣形態は、はなはだ無内容かつ単純である。にもかかわらず人間の頭脳は、二千年以上も前からこれを解明しようとつとめてきたはたさず、しかも他方、これよりもがるかに内容ゆたかで複雑な形態の分析には、少なくともほぼ成功している。なぜだろう? 成体は、体細胞よりも研究しやすいからである。(マルクス資本論』第一版序文)
ーーーーーーーーーー引用終りーーーーーーーーーー


価値形態や貨幣形態は、ある意味で単純である。たとえば「100円」で「アンパン一個」を買う。これは、「アンパン一個」には「100円」の価値があるということである。しかし、「アンパン一個」それ自体に、「100円」の価値があるわけではない。「アンパン一個」には、本来的に「100円」の価値が備わっている、というのは幻想であり、それが「貨幣の形而上学」である。



「アンパン一個」は、今日は「100円」で買えたが、明日以降は、「10円」かもしれないし、「1000円」になるかもしれない。あるいは貨幣では買えないかもしれない。価値は変動する。当たり前だというかもしれない。それが価値形態論の世界である。


ところが、そこに、貨幣が登場すると、貨幣が普遍的価値であるかのような錯覚が起きる。価値形態の商品世界は、貨幣を尺度になる論理的に体系化される。


「100円」という貨幣は、価値形態という商品世界の中心になる。貨幣は、そうなることによって、人間的世界の各所で、猛威をふるい始める。「貨幣さえあればなんでも買える」ということになる。この単純素朴な事実を詳細に観察することから、『資本論』を始めている、というわけである。


(続く)




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