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山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『ネット右翼亡国論』『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

【現象学的 還元と存在論的原体験ー桜井誠と廣松渉と佐藤優の接点】 存在論的原体験とは必ずしも自覚できるものではない。半ば無意識の領域に属している。存在論的原体験とは、無意識の領域の体験であり、本人にも自覚できないが故に、本質的なのである。思想とは、思想家が自分の意思で自由に選択できる限り、本質的ではない。そういう思想は、知識や雑学に属する。思想家や学者たちの思想は、しばしば、その種の知識や雑学に属している。……<<下に続く。ここをクリック。>>……

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現象学的還元と存在論的原体験ー桜井誠廣松渉佐藤優の接点】

存在論的原体験とは必ずしも自覚できるものではない。半ば無意識の領域に属している。存在論的原体験とは、無意識の領域の体験であり、本人にも自覚できないが故に、本質的なのである。

思想とは、思想家が自分の意思で自由に選択できる限り、本質的ではない。そういう思想は、つまり自由に選択できたり、交換出来たりする思想は、知識や雑学に属する。思想家や学者たちの思想は、どんなに深く原理的に見えようとも、しばしば、その種の知識や雑学に属している。

何処かの大学教授や准教授や、あるいはその予備軍のインテリたちが、習い覚えたばかりの現代思想、たとえば古くはマルクス主義とか実存主義、そして構造主義やポスト・モダン分析哲学や科学哲学、ギリシャ哲学やドイツ観念論・・・などに関する高説を、どんなに巧みに解説し、披露しようとも、その思想が、その人の血肉と化していない限り、その思想は「知識」 や「雑学」「教養」の範囲を超えない。

私に言わせれば、知識や雑学にすぎない思想や哲学は、本物の思想や哲学ではない。思想や哲学と呼ぶには値しない。思想や学問が、その人の存在論的原体験と結びついていないからである。

存在論的原体験が思想と結びつくためには、現象学的還元(反省的思考)が不可欠だ。無意識の領域に属するとしても、何かがあるという自覚は必要だからだ。

むろん、存在論的原体験とは、無知無学だから自覚できないのではない。十分に、明敏であり、深い思考力を有するが故に、自覚できないのである。たとえば、夏目漱石について 柄谷行人は 、漱石は「何が起きるか分からない」と言っているが、それは、無知だったからそう言っているのではなく、十分に自覚的だったからこそ、自覚できないものの存在を知っていた、というようなことを言っている。

<<おそらく、漱石は人間の心理がみえすぎて困る自意識の持ち主だったが、それゆえに見えない何ものかに畏怖する人間だったのだのである。何が起きるかわからぬ、漱石はしばしばそう書いている。漱石が見ているのは、心理をこえた現実である。科学的に対象化しうる「現実」ではない。対象として知りうる人間の「心理」ではなく、人間が関係づけられ相互性として存在するとき見出す「心理をこえたもの」を彼は見ているのだ。>>(『畏怖する人間』)

「心理をこえたもの」を見ようとする漱石の文学や思想には、存在論的原体験が結びついている。

私が、桜井誠廣松渉佐藤優らに注目するのは、その思想的知識や教養の広さや深さの故ではない。彼等の思想や哲学が、変更不可能な、つまり交換不可能な宿命的な思想や哲学だからである。つまり、土着化=血肉化された思想だからである。土着化=血肉化された思想とは、知識や雑学とは根本的に異なる。

たとえば、佐藤優は、外交官として、北方領土返還交渉をめぐる「鈴木宗男事件」の関連で逮捕され、約一年の獄中生活を送っている。しかも、佐藤優は、獄中で転向することもなく、つまり鈴木宗男を裏切ることもなく、厳しい取り調べを乗り切っている。

さらに付言すれば、釈放後も、鈴木宗男と政治行動を共にし、鈴木宗男が、野党側から自民党寄りに「政治的転向」を行うと、そこでも行動を共にし、「安倍自民党」寄りの発言を行なっている。野党から自民党政権へ。普通なら、明らかに変節であり、転向である。

おそらく、思想家、言論人としての佐藤優にとって、一挙に信用をなくすような、致命的な「政治的転向」と言っていいだろう。しかし、佐藤優には動揺も逡巡もしていないように見える。何故か。それは、おそらく、佐藤優にとって、自分自身の思想的一貫性などより、鈴木宗男を行動を共にする事が、重要だったからだろう。「思想的一貫性」より、迷うことなく「鈴木宗男」との同志的結合の方を選んだのである。

佐藤優にとって「鈴木宗男」とは、文字通り「存在論的原体験」であったと言っていい。佐藤優にとって、キリスト教マルクス主義という思想よりも、「鈴木宗男という思想」が優先したということだ。おそらく、佐藤優にとっても、それは、自分の意思で選んだというよりも、何ものかに選ばされたものだった。言い換えれば、選ばざるをえなかった道だったと言っていい。

(続く)

保守論壇亡国論

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