哲学者=山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

石原バッシングもヘイトスピーチである。ヘイトスピーチとナショナリズムとポリティカル・コレクトネス。 ヘイトスピーチという問題が深刻になっている。 最近のヘイトスピーチは、明らかに異常である。当然、許されるべきことではない。取り締まるべきである。しかし、警察権力や法律を適用することには、私は、反対である。 私見によればヘイトスピーチは思想問題である。思想問題であるならば、思想的レベルで対応すべきである。ヘイトスピーチは、単純に批判し、否定し、排除していけば、それで済むという問題ではない。 最近の

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◼️ヘイトスピーチナショナリズムポリティカル・コレクトネス。

ヘイトスピーチという問題が深刻になっている。

最近のヘイトスピーチは、明らかに異常である。当然、許されるべきことではない。取り締まるべきである。しかし、警察権力や法律を適用することには、私は、反対である。

私見によればヘイトスピーチは思想問題である。思想問題であるならば、思想的レベルで対応すべきである。ヘイトスピーチは、単純に批判し、否定し、排除していけば、それで済むという問題ではない。

最近のヘイト問題が、迷走し、混迷に陥っているのは、ヘイトスピーチを批判し否定する側にも、つまり左翼側にも問題がある。あまりにも単純素朴なレベルで、ヘイトスピーチを批判し、否定しているからだ。

「一寸の虫にも五分の魂」というが、ヘイトスピーチにも「五分の魂」はある。私は、この「 五分の魂」の観点に着目しつつ、ヘイトスピーチの問題を論じてみたい。つまり、ヘイトスピーチには、ある種の思想的根拠も思想的必然性もあるということである。

私は、近刊予定の『ネット右翼亡国論』という著書で、「ネット右翼」について論じている。内容は「ネット右翼」の批判であると同時に「ネット右翼」の擁護である。

私は、「ネット右翼」や「ヘイトスピーチ」を単純に批判できないと思う。それは、日本民族や日本国家の根幹に関わる問題をはらんでいる。

たとえば、韓国や中国を対象にしたヘイトスピーチは、明らかに「民族差別反対」だけで解決しない。なぜなら、そこには、日本民族や日本国家の「戦争」と「敗戦」の記憶が絡んでいるからだ。つまり、「敗戦」という深い民族的コンプレックスが複雑に絡んでいる。特に、韓国や朝鮮に対するヘイトスピーチが、深刻の度を増しているのは、戦争、敗戦、戦後に渡る「日韓關係史」、あるいは「日朝關係史」に深く絡んでいるからだ。

近代的価値観や市民社会的常識では、ヘイトに対抗できない。彼等のヘイトスピーチも根が深いのだ。言い換えれば、ヘイト問題は、近代的価値観や市民社会的常識 、あるいは国際社会の常識や理想論というようなものに、違和感と抗議を表明してもいるのだ。ヘイトスピーチが、説得力と思想的影響力を持つに至ったのは、そこに大きな理由がある。

しかし、ヘイトスピーチを批判し否定する側には、その認識がないか、足りない。ヘイトスピーチ批判が混迷する原因はそこにあるように思われる。



マルクス」と「マルクス主義」は違う。マルクスは「マルクス主義」を考え、体系化した人かもしれないが、「マルクス主義者」ではない。「マルクス主義者」は、「マルクス主義」を盲信している人たちだが、マルクスは、「マルクス主義」を真理として盲信していない。たえず、疑い、思考し、思い悩んでいる人である。

つまりマルクスは自分の頭で考えたが、「マルクス主義者」たちは、マルクス主義という思想体系を盲目的に信じ、暗記し、復唱しているに過ぎない。もちろん少数の例外はあるかもしれないが。


最近の保守主義者もそうだが、左翼系の平和主義者や市民主義者たちも、「マルクス」のように自分の頭で考えない。そこに思想的退廃と混迷の原因がある。保守論壇も左翼論壇も劣化しているのである。特に私は、左翼論壇の劣化と低俗化が、保守論壇の隆盛と劣化をもたらしていると考える。

私は、最近、ヘーゲルの『法の哲学』を読んでいる。ヘーゲルは、今は常識となっているが、「法律」や「議会」「言論表現の自由」などについて論じている。ヘーゲルの時代に、これらの問題を論じることと、今、ここで、つまり21世紀の今、論じることは同じではない。

ルソー、ホッブス、ロックなどとともに、長い歴史を経て、近代的価値観や近代的常識は形成されてきた。我々が「個人」や「人権」「言論表現の自由」を自明の価値として受け入れているのは、彼等の思考と努力による。


石原慎太郎バッシング」が行われている。東京都の築地市場の移転問題に絡んで、「石原慎太郎バッシング」が起きている。小池百合子新知事は、連日のように、石原慎太郎の悪口を言い続け、人気取りのためかどうか分からないが、意識的に「石原バッシング」を仕掛けている。東京都民や国民は、それに乗せられて、拍手喝采している。

さて、そこで、沖縄の問題について考えてみよう。