哲学者=山崎行太郎のBlog『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。元・東工大講師、元・埼玉大学講師。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『それでも私は小沢一郎を断固支持する』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『柄谷行人とヘーゲルとマルクス』など。緊急連絡(レポート)は、メールフォームからお願いします。➡︎https://ws.formzu.net/fgen/S49964599

『ネット右翼亡国論』の「後書き」より。ー<<情勢論>>と<<原理論>>と<<存在論>>の接点。 本書のテーマは、本文でも、何回も書いたように、「ネット右翼」ないしは「思想の土着化」、あるいは「思想家の土着化」という問題である。「思想の土着化」とは、思想が、その思想家の生き方の問題に直結しているかどうかという問題である。思想が、「生き死にの原理」と直結しているかどうかという問題である。

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ネット右翼亡国論』の「後書き」より。

あとがきー<<情勢論>>と<<原理論>>と<<存在論>>の接点。

本書のテーマは、本文でも、何回も書いたように、「ネット右翼」ないしは「思想の土着化」、あるいは「思想家の土着化」という問題である。「思想の土着化」とは、思想が、その思想家の生き方の問題に直結しているかどうかという問題である。思想が、「生き死にの原理」と直結しているかどうかという問題である。
誤解されると困るので、あらかじめ言っておくが、私は、「ネット右翼」の定義などには興味がない。私が関心を持っているのは、「ネット右翼現象」のほうである。私は、「ネット右翼」を「ネット右翼A」と「ネット右翼B」に分類している。桜井誠に象徴される「ネット右翼B」は、「思想の土着化」という問題を生きている人たちだと、肯定的に論じている。安倍晋三麻生太郎、あるいは櫻井よしこ百田尚樹等に象徴される人々を、「ネット右翼A」に分類している。「ネット右翼A」は、「思想の土着化」が分かっていない人たちである。情勢論だけで生きている人達である。

私は、この問題を、分かりやすく 「<<情勢論>>、<<原理論>>、<<存在論>>の接点」にある問題として分析した。

世の中には情勢論的言説が蔓延している。国際政治や国内政治などを、訳知り顔で、声高に語る言説である。素人も、自称専門家も、大学教授もジャーナリストも「情勢論的言説」に忙しい。しかし、私は、彼等の言説には、何かが足りないと思う。
それは、原理論と存在論である。特に存在論が欠如している。
原理論は、大学教授や思想家たちが得意とする分野である。彼等は、マルクスヘーゲル、カント、デカルトソクラテスプラトン等の名前を出しながら、あるいはマックス・ウェーバーハンナ・アーレント、あるいはフーコーラカンデリダ等の名前を出しながら、情勢論的言説に、巧妙に学問的、思想的裏付けをおこなう。しかし、そこに存在論的裏打ちがなければ、その情勢論も原理論も、無内容で、無力である。「よく勉強しましたね、ご苦労様。では、さようなら」とでもいうしかない。

私は、保守イデオロギーとか左翼イデオロギー、あるいは民族派とか国際派、あるいは理論派とか実践派、正義と悪、正義とテロ・・・とかいうような思想内容や思想行動の対立や差異にはそれほど関心がない。私は、その種の二分法にこだわらない。いづれも相対的なものでしかないからだ。

私がこだわるのは、思想家の「生き方」である。私は、それを、「存在論」と呼ぶ。存在論とは、「善か悪か」という問題でも「真か偽か」という問題でもない 。その思想が、その人の生き方の問題に直結しているかどうかという問題である。人は、それが「悪」と分かっていても、また「偽」と分かっていても、やらなければならないことがある。それ が存在論の問題であり、「思想の土着化」という問題である。思想家の生き方の中に、「思想の土着化」という問題がある、と私は考える。

たとえば、イスラエルの国是に、<<全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る>>

という言葉がある。私は、ここに「ポリティカル・コレクトネス」(正義)と「存在論」(生き方)の相克があると考えると。むろん、イスラエルの国是は、「ポリティカル・コレクトネス」より「存在論」を重視している。


江藤淳も、晩年の名作『南洲残影』の中で、同じことを言っている。


《何故なら人間には、最初から「無謀」とわかっていても、やはりやらなければならぬことがあるからである。日露開戦ときがそうであり、
日米開戦ときも同じだった。勝った戦が義戦で、敗北に終わった戦は不義の戦だと分類してみても、戦端を開かなければならなかったときの切羽詰まった心情を、今更その儘に喚起できるものではない。況んや「方略」がよければ勝てたはずだ、いや、そもそも戦は避けられたという態の議論にいたっては、人事は万事人間の力で左右できるという当今流行の思い上がりの所産というべきではないか。》

ここで、江藤淳は、情勢論でも原理論でもなく存在論を主張している。「負ける」と分かっていても「戦う」という論理は、情勢論や原理論からは出てこない。言い換えれば、存在論に裏打ちされていない思想は、つまり情勢論も原理論も、不毛で、無意味だということだ。
 さらに江藤淳は、西郷について、こう書いている。

《このとき実は、山県(有朋)は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。陽明学でもない。「敬天愛人」ですらない。国粋主義でも、排外思想でもない。それらすべてを超えながら、日本人の心情を深く揺り動かして止まない「西郷南洲」という思想。マルクス主義アナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポストモダニズムも、日本人はかつて「西郷南洲」以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった。》


江藤淳は、ここで、「ポリティカル・コレクトネス」ではなく「存在論」を主張しているのである。

「思想の土着化」を徹底している文学者や思想家、言論人に、私は興味がある。私が本書で取り上げた人たちは、「思想の土着化」を実践し、それを生きている人たちだ。

私が、本書で、廣松渉佐藤優らと並べて、桜井誠を取り上げたのは、桜井誠の発言や思想、行動に全面的に賛成だからではない。桜井誠の生き方に、「思想の土着化」と、その 徹底性が感じられたからである。思想家としての生き方に、あるいは市民運動家としての生き方に、首尾一貫したものを感じ取るからである。
「反社会的」とか「反道徳的」、あるいは「ヘイトスピーチ」とか「ヘイトクライム」などと、世間の社会的良識派に、厳しく批判され、糾弾され、罵倒されようとも、その批判や糾弾や罵倒にひるまない桜井誠の思想的一貫性とその生き方を、私は支持したいのだ。
そもそも社会的良識派の主張する「正義」(ポリティカル・コレクトネス)とは何か。私は、それもまた怪しいものだと思う。世の中に「絶対的正義」など存在しない。

たとえば、私は、本書で、廣松渉佐藤優桜井誠らと並べて、ドストエフスキー研究家の清水正との対談や、元共産同赤軍派の議長だった塩見孝也との対談をも収録している。

私は、清水正塩見孝也の思想や政治行動、あるいは研究や業績にも興味があるが、それ以上に、その生き方に興味がある。つまり、
私は、彼等の思想や学問研究以上に、その存在論、つまり実存に興味がある。

私は、学生時代から、政治思想的立ち位置はまったく異なるが、「塩見孝也」という人物に興味があった。対談の機会があった時、私は、連合赤軍事件やハイジャック事件、あるいはテルアビブ・ロッド空港事件などについて、聞いてみたいと思った。しかし、会ってみると、私は、それだけで満足した。塩見孝也という人物(実存)を目の前にした時、それで十分だと思った。獄中で二十年を過ごした男がここにいる・・・。

 塩見孝也とは、1960~70年代、革命を目指し、武装蜂起を主張した赤軍派の元議長である。70年、ハイジャックの共謀や爆発物取締法、破壊活動防止法違反などで逮捕され、獄中で約20年を過ごし、89年に出所した。
塩見孝也を批判、罵倒する人は多いが、塩見孝也が転向して、「保守思想家」になったという話は聞かない。

私は、本書で、「存在論的原体験」という言葉を使っている。存在論的原体験とは何か。綺麗事としての原体験ではない。その人の生き方や死に方に決定的影響を与えた原体験である。私は、「存在論的原体験」を所有する思想家や活動家に興味がある。
廣松渉における「母親体験」、佐藤優における「鈴木宗男体験」、塩見高耶における「革命運動体験」、清水正における「ドストエフスキー体験」などはそういう「存在論的原体験」ではないのかと、私は想像する。おそらく桜井誠の「存在論的原体験」は、故郷=北九州における「母親体験」だったのではないか。
この存在論的原体験を持つものは、時代や流行がどんなに変わろうとも、転向、変節しない。
小林秀雄は、敗戦直後、こう言っている。
「利巧な奴は、たんと反省してみるがいいじゃないか。僕は莫迦だから反省しない。」

本書執筆、刊行の過程で多くの人のお世話になった。まず、福岡で新興出版社「春吉書房」を立ち上げた社長の間一根(あいだ・かずね)氏、「月刊日本」(ケイ・アンド・ケイプレス)副編集長の中村友哉氏、そして推薦の言葉をいただいた佐藤優氏。さらには対談の相手をしていただいた清水正氏、塩見孝也氏。各氏にお礼を申し上げたいと思う。

本書の刊行を目前にして、私の育ての親と言うべき兄の仏淵浩(ほとけぶち・ひろし)が、5/7に、「桜島」と「錦江湾」と「甲突川」に囲まれた病院で、74才で亡くなった。本書を、私の本が出るたびに我が事のように喜んでくれた兄の霊前に、感謝の気持ちとともに、捧げたい。