山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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昨年は、「兄の死」や『ネット右翼亡国論』の刊行、「沖縄=琉球新報講演会」、「鹿児島=西郷隆盛講演会」、「フェにミ=ファシストとの闘い」など、それなりに記念すべき年だった。今年も頑張りたい。私は、『ネット右翼亡国論』に、次の一文(「亡き我が兄・仏淵浩を追悼する。」)を収録した。私の、これからの思想言論活動の原点になる文章だ。新年度の始まりに当たって 、ここに再録して決意を新たにしたい。〜〜〜(下へ続く。本文を読みたい人は、ここをクリック。)

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昨年は、「兄の死」や『ネット右翼亡国論』の刊行、「沖縄=琉球新報講演会」、「鹿児島=西郷隆盛講演会」、「フェにミ=ファシストとの闘い」など、それなりに記念すべき年だった。今年も頑張りたい。私は、『ネット右翼亡国論』に、次の一文(「亡き我が兄・仏淵浩を追悼する。」)を収録した。私の、これからの思想言論活動の原点になる文章だ。新年度の始まりに当たって 、ここに再録して決意を新たにしたい。


======以下引用======

亡き我が兄・仏淵浩を追悼する。

私の人生の導き手であった、尊敬する兄、仏淵浩(ほとけぶち・ひろし)が、先日(5/7)、遂に息を引き取った。わずか3歳しかはなれていなかったにもかかわらず、小さい時から父親のような存在だった。高校進学も大学進学も、私は、この兄の 助言通りに兄の跡を追った。この兄がなければ、現在の私はない。
私は、今、病気療養中だった兄が亡くなったために、鹿児島県の薩摩半島の山奥にある寒村の生家へ帰省している。葬式も終え、することもなくボンヤリしている。なにもやる気が起きない。大学やカルチャーセンターの講義予定があるのだが、全部休講にして 、実家(「毒蛇山荘」)に一人引きこもり、寝転びながら、手元にある哲学関係の本や雑誌を拾い読みしている。私の実家の書棚に眠る哲学関係の蔵書とは、私のものではなく、兄嫁が、「嫁入り道具」とともに持ってきたものだ。その兄嫁も10年ぐらい前に亡くなっている。
兄は「仏淵浩(ほとけぶち・ひろし)」。兄嫁は、旧姓で「原口悦子」。
兄と私で、姓が違うのは、兄が母方の姓を受け継いだからである。この母方の「仏淵一族」には、つい最近まで佐賀大学学長だった整形外科の権威、仏淵孝夫(鹿児島県立鶴丸高、九州大学医学部卒)もいる。私たちは、ともに薩摩半島の山奥の小さな寒村に生まれ、育っている。
さて、私は、今、私の人生に決定的な影響を与えてくれた、この二人(兄と兄嫁)について語る以外に、その他のものにほとんど興味がわかない。物書きの「はしくれ」となった私に出来ることは、あるいはしなければならないことは、私を精神的に育ててくれた、この兄と兄嫁を追悼すること以外にないような気がする。

夏目漱石の『こころ』にこういう一節がある。
『記憶してください。私はこんな風にして生きてきたのです。』
『こころ』の「先生」も、最高の知性派インテリであるが、何も残さず死んでいくところの、市井の、無名の一般庶民である。しかし、その死に際して、「先生」ですら 、女々しくも、『記憶してください。私はこんな風にして生きてきたのです。』と遺書に書き遺さざるを得ない。何故、「先生」は遺書を書き遺すのか。無名の一般庶民らしくて、黙って死んで行けばいいではないか?
おそらく人間は、黙って死んで行けるほど、そんなに強い存在ではない。人間は何事かを書き遺し、あるいは何事かを書き遺してもらうことなしに、この世に別れを告げて、黙って旅立って行けるような存在ではない。
そして、そこに宗教や文学の存在意義と役割がある。文学、あるいは文章の本質は、死を唄ったり書いたりした柿本人麻呂夏目漱石を持ち出すまでもなく、そこにある、と私は確信している。

さて「私情を語る」とは何か。
文学が「私情」を語れなくなって「正義」を語り始めた頃から、文学の衰弱と衰退が始まったと、江藤淳は言っている。<<私が戦後を喪失の時代というのは「私情」である。しかし、私情以上に強烈な感情があるのか。
 マルクス階級闘争も私情から発して、それが広い支持を得たのではなかったか。私は敗戦でそれまで圧迫されたり、拷問された屈辱を「ザマアミロ」と言う人の私情ももちろん否定しない。戦後の自由と繁栄を全面的に肯定する人も否定しない。
 しかし、自分自身は、この喪失とそれを耐えてきた自分の私情以上に強力な感情や哲学についに出会っていない 文学が「正義」を語ることができると錯覚したところに、「戦後文学」の誤りがある。
 戦後の文化は、今だに一人の鴎外、一人の漱石を生み得る品位を得ていない(「戦後と私」)」

私は江藤淳の弟子である。他人が何と言おうと、少なくとも、私の個人的な意識の中では、江藤淳の一番弟子である。私は、江藤邸の書斎の部屋に横たわる江藤淳の最期の「死顔」も拝ませてもらっている。誰もいない奥の部屋に、「君も最期のお別れをしなさい」と案内してくれたのは、元「新潮」編集長の坂本忠雄さんだった。私は、身内の死者以外で、そんなに死者と接したことは、江藤淳以外にない。
ならば、私が「私情」を語ることは不自然ではないだろう。言い換えれば、最近の文学や哲学が駄目なのは、この「私情」を語れなくなっているからではないのか。

私は、今、兄と兄嫁のことを記さなければならない。兄嫁は旧姓で「原口悦子」といった。ちなみに兄嫁の実弟は、原口酒造社長の「原口俊一」である。先日の葬式で、久しぶりに会ったので、教えられたのだが、北朝鮮による拉致問題で、「新証言者現わる!」と、最近、産経新聞南日本新聞などで大きく取りあげられ、話題になっているそうである。実は、彼は学生時代に、鹿児島県吹上浜で起きた「吹上浜拉致事件」における拉致現場を目撃している。私たちは、拉致問題が大きくなる以前から、ヒソヒソと、この話をしていたように記憶している。
さて、兄嫁は、兄と同じように、鹿児島県立鶴丸高校を経て、立命館大学で哲学を専攻した、身内が言うのもなんだが、賢い女性だった。指導教授は梅原猛で、「ニーチェ」に関する卒論を書いて卒業した、というのが自慢だった。したがって、理想社版の「ニーチェ全集」も、我が「毒蛇山荘」の書棚には揃っている。
兄嫁は、大学時代に読んだり集めたりした蔵書類を、捨てることが出来なかったのだろう。それとも子育てが終わった後、 あるいは老後にでも、もう一度、哲学の勉強でもやるつもりだったのだろうか?

才媛とか才女とかは他にたくさんいるだろうが、私の見るところ、兄嫁もまた、「才媛、才女」の一人だった。しかし、その持って生まれた才能や能力を、十分に発揮する前に、10年ほど前に、「膠原病」とかいう謎の病気で亡くなった。そして、今、兄も亡くなった。
兄嫁は、私とは同世代だった。しかも当時、私はまだ哲学専攻の大学院生(慶應)だったので、兄嫁とは、政治や哲学や文学について、夜遅くまで、よく議論したものだ。私の、現在の哲学的思考(『マルクスエンゲルス』など)の中にも、その頃の兄嫁との議論の影響が、少しは残っているかもしれない
兄嫁の蔵書の中に、マルクスの『資本論』やヘーゲルの『法の哲学』もあった。私は、実は、「哲学専攻」とは言っても、マルクスヘーゲルをほとんど読んでいない。学生時代から、つい最近まで、マルクスヘーゲルに関心はなかった。私は、今、兄嫁の遺した蔵書で、マルクスヘーゲルを読んでいる。

さて、兄は、私の手を握りながら逝った。連休最後の日だった。兄の最期を看取ることが出来たことを想うと感無量である。いずれ、 私も、そしてすべての人間が行かねばならない道だ。
「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを」(存原業平)
この歌を思い出すと、胸が締め付けられる 。
私たちは、鹿児島県の薩摩半島の山奥の寒村で生まれた。兄は、何事にも真剣に取り組み、小さい時から、スポーツも勉学も、常に一番を目指して努力する人だった。何事にも積極果敢に取り組み、泣き言を言わず、次々と未開地、新開地を切り開き、二人の弟を導いてくれた。
小さい時から野球少年だった。中学にはいると野球部に入り、キャッチヤーをやっていた。私たちは、日曜日になると、家族総出で、練習試合の応援に行った。兄は、野球だけでなく、マラソンでも才能を発揮し、学校代表で、駅伝競争にも選ばれるほどだった。
しかし、野球もマラソンも、あまり才能はなかったようで、早々に見切りをつけ、引き止めるのも聞かず、鹿児島市内の中学に、単身で転校し、下宿しながら勉学に励むようになった。そして鹿児島県立鶴丸高校に進学。大学は早稲田大学理工学部に進んだ。元々は、両親の希望で医学部志望だったが、受験に失敗すると、心境の変化があったらしく上京し、予備校に通い始めた。そして早稲田大学へ。角帽をかぶった写真がある。美男子だ。この時代が、兄の絶頂期だったかもしれない。
当然、私にも「早稲田へ来いよ」と、早稲田進学を勧めてくれた。結果的には、私は慶応に進学することになるのだが、それでも、家庭内での早慶戦ということで、アニは喜んでくれた。二人で早慶戦の応援に行ったこともある。
長男である兄は、父が亡くなると、「お前はいいな、好きなことがやれて」「俺の分まで頑張ってくれよ」と言い残しつつ、故郷・鹿児島に戻った。鹿児島ではそこそこに活躍したようだが、あくまでも一般庶民の死、つまり無名戦士の死であった。だが、私は、無名戦士のまま、兄を死なせるわけにはいかない。それでは、「おどま薩州薩摩ブニセ」(薩摩兵士唄)の義理がすたる。だから、私は、この文章を書いた。「俺の大好きだった兄貴が死んだんだよ」と誰かに伝えたい。
小さい頃から、私の自慢の兄だった。最後に 、iPhoneで、兄の青春の思い出がいっぱい詰まった早稲田大学校歌「都の西北」の歌声を聴かせせてあげた。名もない、平凡な生涯を終えた兄だったが 、私にとっては、かけがえのない偉大な人だった。
『記憶してください。私はこんな風にして生きてきたのです。』(夏目漱石『こころ』)

======引用終り======




(続く)

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