山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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マルクスとエンゲルス(43) ー小林秀雄の「マルクスの悟達」を読む。 〜〜〜(下へ続く。本文を読みたい人は、ここをクリック。)

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マルクスエンゲルス(43) ー小林秀雄の「マルクスの悟達」を読む。

 以前にも書いたことだが、東大時代の友人の一人・中島健蔵によると、学生時代の小林秀雄は、当時の学生達が、マルクス主義の登場と流行に対して、それを受けいれるべきか、反発して否定すべきかを決定しかねて、右往左往している頃、「マルクスは正しい。それだけだ。」と言い放ったらしい。
 この時、小林秀雄は、マルクス主義を信奉する陣営の側の人間としてではなく、それを否定し、批判する反マルクス主義、つまり芸術派の人間として発言している。何故、小林秀雄は、「マルクスは間違っている」と言わなかったのだろうか。私は、ここに、「小林秀雄柄谷行人」系列のマルクス論の神髄があると考える。小林秀雄は、マルクス主義マルクス主義者たちを激しく批判しながら、マルクスその人の思考は、高く評価しているということではなかろうか。つまり、この「マルクスは正しい」という奇妙な断定的発言は、「マルクスマルクス主義の差異」を、小林秀雄が明確に認識していたことを示している。
 若い頃の小林秀雄には、マルクスマルクス主義に関する言及が少なくない。それらは、「マルクスマルクス主義は間違っている」という立場からの言及ではない。ここが、凡庸な反マルクス、反マルクス主義の立場に立つ人達と、あるいはマルクス主義を信奉するマルクス主義者達と、小林秀雄が決定的に違うところだ。
 小林秀雄の初期作品に「マルクスの悟達」という論文がある。当時、高校生(旧制)だった本多秋五が、タイトルを見ただけで失笑し、「変な奴だ」と嘲笑したという論文である。今は、「様々なる意匠」や「アシルと亀の子」などとともに、「小林秀雄全集」の第一巻に収録されている初期作品である。
 この論文は、当時の代表的なマルクス主義者・大森義太郎に対する反論、あるいはマルクス主義的方法論への批判として書かれている。「マルクスの悟達」は、文芸批評の「科学性」をめぐる文章から始まっている。当時、「マルクス主義は科学である」という前提で、マルクス主義が語られていたことに関する小林秀雄の批判である。小林秀雄によると、文芸批評だって、「科学的」なのだ、という見地からの批判である。


《「新潮」十一月号誌上で平林初之輔氏が科学的批評といふものに就いて甚だ悲観した懐疑を述べられた。私はこれを読んだ時、何の興味も感じなかった。だが十二月「改造」で大森義太郎氏がこの一文の駁論を書かれたのを読んで私は今動揺する私の心を語りたい想ひに駆られる。》(『小林秀雄全集第一巻「マルクスの悟達」』)
 
 小林秀雄は、平林初之輔というマルクス主義系の文芸批評家が、文芸批評は「科学的ではない」と嘆いた文章ではなく、それを批判した大森義太郎の文章を攻撃している。要するに、この二人の文章は、マルクス主義は科学的であるが、文芸批評は科学的ではない、あるいは科学的な文芸批評はマルクス主義的な、唯物弁証法的な文芸批評である、と主張する文章なのだ。小林秀雄は、この二人の主張に反論しているということだろう。
 まず、平林初之輔に反論している。

《「作品の評価の最終決定者は主観だといふことだ。こんな状態はのぞましくはない。だが仕方がない」。この平林氏の文章は以上の言葉で終わってゐた。十年一日の文芸批評家等のふやけ切った吐息であった。平林氏の一文が何故に私を少しも動かさなかつたかと言へば、氏の文章に対する理論的な駁論は私には次の一口で足りたからだ。批評家達が吐息をついたにしろつかなかったにしろ、今日まで批評が綿々としてうち続いて来た事実は如何にも為し難い。では何故続いたか。批評に科学性があつたからだ。ある批評家が少なくとも一人の読者を持ち得た事情は批評の一般科学性ををはらむ、とむ。これは馬鹿々々しい駁論である。私には馬鹿々々しい抗議をする興味がなかっただけの事である。若し私が平林にものを言ふとすれば何故あなたは悲観なんぞしてをられるのか、悲観なんぞする暇があるか、それだけだ。これこそ大切な事である。》(同上)

 小林秀雄は、ここで「科学」とか「科学性」というものを、当時の流行思想であるマルクス主義的な「科学」や「科学性」とは違ったものを考えていることが分かる。マルクス主義こそ科学であると考えているらしい平林初之輔は、従来の文芸批評が科学的ではないのではないかと「悲観」しているようだが、平林初之輔の方が、科学という概念の理解と解釈が間違っているというわけだ。そもそもマルクス主義は、「主義」である段階で科学的ではない。マルクス主義は、「科学」でありたいと希望はしているかも知れないが、それは、マルクス主義が「科学」である事とは関係ない。小林秀雄に言わせれば、マルクス主義は、あらゆる流行思想がそうであるように、立派なイデオロギーでしかない。むしろ、イデオロギーでしかないからこそ、多くの信仰者を持ち得たのである。そう小林秀雄は考えたと言っていいかもしれない。
 要するに、小林秀雄は、ここで、厳密な意味で、「科学とは何か」を考えていると言っていい。むしろ、今まで続いてきた文芸批評こそ科学的なのだ、と小林秀雄は言う。小林秀雄の言葉は、へーゲルの「現実的な物は理性的である」という命題を連想させる。科学的、合理的でないものが、現在まで存在し続けてきたはずはないからだ。マルクス主義は、科学を標榜するが、標榜することと、現実的に科学であることとは異なる。
 マルクス主義の優れた理論家であると思われていた大森義太郎には、次のように反論している。

《私は大森氏の終わった処から始めよう。そして恐らく後戻りする。氏は言ふ。凡そ芸術評価の科学性を各人の評価が十人十色であるといふわかり切った事実に依つて否定するのは間違ひである。又整理された評価が最も利巧なものなら、馬鹿につける薬はないことを嘆くのは無意味である。人さまざまは、この世の定めであり、すべての人を改宗させる事がどうしても必要なら、マルクシストも坊主もやりきれたものではない。評価の帰一性は科学の表徴ではない。科学性とは科学の方法に存する、と。これはまことに明瞭で正確である。(中略)私は氏の言葉を空言とは申すまい。》(同上)

 文芸批評をマルクス主義並に科学の段階に高めようとするのが、マルクス主義者達である。むろん、小林秀雄は、そんな無謀な試みを、信じていない。小林秀雄は、自信満々で、科学的な文芸批評なるもの実現性や可能性を嘲笑している。そんなものはエセ科学であって、科学的文芸批評でもなんでもないと言うかのように。

《扨氏は一歩を進める。かかる科学的方法はどうして得られるか。氏の言ふところをこ約言すれば次の通りである。芸術を人間の精神活動の一つとしてその成立、構造、機能を明らかにするならば、又われわれが今日生きて今日の社会の必然的な展望を有する事が出来るならば、この事から芸術作品は評価することが出来る。この二つ共に、新カント派風な表現をかりれば、存在学としての芸術学の任務に属する。そして凡そ芸術学なるものは存在学としてのみ可能であり、且充分である。と。これも亦全く正確な理論である。私は世に充満するマルクス主義者と称する人々の言説的雀踊りは、一向に興味をもたぬから知らぬ。併し以上の大森氏の言葉はマルクスの心を正当に汲んだ理屈であると思ふ。扨てこの正確な条理が、今日未だ何等見るべき実現をみないのは、ただただこの条理発見の日が猶浅い為だ、と氏の文章は諷爽としておわるのだ。》(同上)
 
 小林秀雄のこの文章「マルクスの悟達」は、「弁証法唯物論」や「自然科学的真理」という言葉を武器に、それを振り回せば何事も簡単に解決すると錯覚しているらしい「マルクス主義者」たちのイデオロギー的思考法を揶揄したものだ。おそらく、この小林秀雄の皮肉は、マルクス主義を信じ込んでいる当時のマルクス主義者たちには通じない皮肉だったかもしれない。しかし、この揶揄と皮肉が、現代日本でも通用することは明らかだろう。


弁証法唯物論とは今日猫も杓子も口にする処である。何故に猫も杓子も口にするのか。はやりだからだ。口にするのは易いからだ、とは言ふも愚かな事であるが、又、この言葉がいかにも屈伸自在な言葉であるが為だ、屈伸自在に現れる言葉を、猫は猫、杓子は杓子の眺める処から固定するのは、固定した言葉を猫は猫なりに、杓子は杓子なりに、掴むよりも遙かに容易であり、これに準じて種々様々な猫と杓子の数は増加する道理である。何故にこの言葉は屈伸自在に現れるか。この言葉は屈伸自在な真理を語るが為か。違ふ。この言葉の明かす真理は厳然として動かす事は出来ぬものだが、それは言はば屈伸自在である事によつてのみ固定できる真理であるが為だ。真理は詭弁的なものではない。併し真理を語るには詭弁的に語るのが最も適するといふ事もあるのだ。自然科学的真理の言語による表現が詭弁学の見本の如き外観を呈する様を知る為には、人々はエンゲルスの「自然弁証法」を読めば足りるであらう。》(同上)

 「弁証法唯物論」や「自然科学的真理」という言葉を、「グローバリズム」や「新自由主義」や「構造改革」と、あるいはまた「保守主義」や「民族主義」などの言葉と入れ替えて見れば、小林秀雄の揶揄と皮肉は、そのまま現代日本の思想風景にも当てはまることが分かるはずだ。(続く)



(続く)

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