西郷隆盛と征韓論。征韓論騒動を仕掛けたのは西欧視察組だった?

西郷隆盛征韓論

征韓論騒動の謎が解けてきた。欧米視察組が帰国すると、留守政府では「征韓論」が沸き起こっていた、というのが司馬遼太郎を始め、歴史学者の間にまでいきわたっている通説だが、それを証明する第一次史料はない。むしろ征韓論などなかったというのが現実である。つまり、世間に流布している征韓論論争と騒動は、西欧視察組が政争の具としての仕掛けた可能性が高い。たとえば、当時の西郷隆盛は、征韓論を活発に主張し、政治的論陣をはれるほど、健康ではなかった。政治的野心に燃えていなかったむしろ逆に、欧米視察組が帰国すれば、病気療養も兼ねて、政府の役職を辞職した上で鹿児島に帰郷する予定であった。大久保利通ら欧米視察組は 、西郷隆盛の退職帰郷に頭を悩ましていたほどだった。しかも不思議なことに、帰国後の大久保利通は、西郷隆盛に会おうよしなかった。西郷隆盛は会いたがっていたにも関わらず。なぜか。大久保利通の側に、なにか含むものがあったと思われる。それは何か。いずれにしろ、その頃、征韓論が沸き起こっていたという第一次史料はない。司馬遼太郎歴史学者たちの征韓論話は、作り話である可能性が高い。


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