山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

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南洲墓地の大久保利通慰霊塔を撤去せよ。南洲墓地に大久保利通慰霊塔を設置した責任者を厳しく糾弾せよ!

南洲墓地の大久保利通慰霊塔を撤去せよ。南洲墓地に大久保利通慰霊塔を設置した責任者を厳しく糾弾せよ!

南洲墓地での大久保利通慰霊祭が、内弘志さんら反対派の抗議に直面して、慰霊祭名称変更や講演タイトルの変更に追い込められたらしい。当然である。今後、事情を知れば、さらに問題は大きくなり、騒然となることだろう。これは、単なる大久保家、西郷家、そしてその子孫たちだけの問題でもない。西南戦争の歴史の改竄に関する大問題だ。大久保利通慰霊祭が南洲墓地で行われるということは、西南戦争はなかった、というようなものだろう。許してはならない。名称変更を強いられた大久保利通慰霊祭に、「大久保洋子」という大久保利通の子孫の1人が出席していて「ゆっくり話し合って~」とか言っていたらしい。そもそも「ゆっくり話し合って~」やるような問題ではないだろう。問題の本質を何も理解していないということだ。「やしゃご」だかなんだか知らないが、お前らの出る幕ではないだろう。大久保利通慰霊祭は、やりたいなら、身内で静かにやるべきだろう。アエラにこんな記事も出ているらしい。言うまでもなく、南洲墓地と大久保利通慰霊塔、大久保利通慰霊祭の問題は、子孫だと称する馬鹿息子や馬鹿娘たちが気楽に立ち入れる問題ではない。「歴史の真実」をじっくり勉強してから発言しろと言いたい。

ーーーーー以下引用ーーーーー
 ドラマや小説で描かれる偉人たちを先祖にもつ末裔の存在をご存じだろうか? 華やかな印象がある一方で、末裔ならではの苦悩もまたあるという。大河ドラマ「西郷どん」に登場する偉人の末裔たちに集まって頂き座談会を開催した。

【幕末・明治の人物相関図はこちら】

●末裔座談会の参加者
島津家の子孫/島津義秀さん(54)
しまづ・よしひで/1964年生まれ。島津家の筆頭分家である加治木島津家第13代当主。初代当主忠朗は島津中興の祖・義弘の孫にあたる。鹿児島・精矛神社宮司。薩摩琵琶の弾奏者

大久保利通の子孫/大久保洋子さん(52)
おおくぼ・ようこ/1965年生まれ。明治の元勲で初代内務卿の大久保利通の直系の玄孫

西郷隆盛の子孫/西郷隆太郎さん(35)
さいごう・りゅうたろう/1983年生まれ。西郷隆盛本家直系の5代目(玄孫)

坂本龍馬の子孫/坂本匡弘さん(52)
さかもと・まさひろ/1965年生まれ。坂本龍馬の長兄・権平の直系子孫。郷士坂本家10代目当主

島津家の子孫/島津久崇さん(25)
しまづ・ひさたか/1992年生まれ。加治木島津家第14代。大学在学中に神職の資格を取得、精矛神社権禰宜を務める

川路大警視の子孫/川路利樹さん(40)
かわじ・としき/1977年生まれ。日本警察の父と呼ばれ、初代大警視(現在の警視総監)である川路利良の来孫

*  *  *
──先祖を意識したのは、いつ頃ですか。

島津義秀:うちは女系で、母は島津を出て他家に嫁いでいたので、子どもの頃は自分の出自を知らなかったんです。祖父から話があって初めて知った。高校時代に古流剣術の野太刀自顕流に出合って鍛錬し、島津と薩摩を調べるうちに、人生が変わって、現在に至ります。加治木(かじき)島津家は筆頭分家ですから、島津本家に何かあったら駆けつけてお仕えする、という意識は常にありますよ。

島津久崇:僕はまず周囲から「島津」だと聞きました。父に尋ねると、いくつかキーワードを挙げられて、「自分で調べなさい」と(笑)。小学校が加治木城の跡にあったので、「自分の家の城に通っているんだぞ」と言われたことがありましたね。

坂本匡弘:さすが島津家ですね。龍馬は子どもがいなかったから、子孫だというと「?だろう」と言われる。自分からはだんだん話さなくなります(笑)。

川路利樹:わかります。うちも自分から家系の話はしない。最近付き合いの長い友人に言ったら、びっくりされました。どうして言ってくれなかったのって。

──末裔ならではのご苦労はありますか。

川路:90年、父が鹿児島へ行ったとき、現地の案内係に「宿帳に本名を書かないほうがいいですよ」と言われたそうです。鹿児島には、川路に悪い感情を持っている人もいるというんです。その9年後の99年には鹿児島県警本部前に川路の銅像ができて、その除幕式に両親が行きました。その時は特に嫌な思いはしなかったと聞いていますし、先日お会いした鹿児島の方は、「大丈夫だよ」と言ってくださいましたが……。

坂本:歴史上の人物には世間のイメージも付きまとうので、複雑な思いを抱えて先祖を明かしていない末裔も少なくないんです。でも、みんなそれぞれ命をかけて進んだ道でしょう。どういう思いで生き抜いたのか、先祖のためにも伝えてほしい、と僕は思っています。

川路:子どもの頃は、「川路は悪いことをしたのかな」と思ったこともありました。年を重ねるにつれて、いい悪いではなくて、考え方や立場の違いだ、と考えるようになりました。川路も公を取るか、私を取るかという葛藤はあっただろうと個人的には思います。でも、今でも隆太郎さんにはつい、「すみません」と言ってしまいます(笑)。

大久保洋子:いつだったか、川路さんのお父さまが、父に「ごめんなさい」とおっしゃったことがあります。「護衛をつけていたら、大久保は死なずに済んだかもしれない」ということでしょうが、子孫がそんな思いを持つのはつらいことですね。大久保についてはいろいろな評価がありますが、常に今何をすべきか考えて行動していた人だと思います。

坂本:まず、善か悪かではないですよね。当時20代、30代の若者が、それぞれの立場で、命をかけて日本をなんとかしようとやったことですよ。いまの政治家にそういう気概があるかといったら、どうでしょう(笑)。日本の歴史のすごいところを、学校ではあまり教えません。もったいないですよね。

大久保:私も、維新を駆け抜けた方々は、やり方や考え方は違っても、日本をよくしようとした思いや決意は共通していたと思います。

島津義:歴史的な確執があると肩を組むのが難しいこともあるかもしれませんが、お互いの思いや立場の理解はできるでしょう。私が懸念しているのは、歴史の一面が注目されると、一部に極端に善悪を断じる、原理主義的な歴史観や考え方が出かねないことです。ですから、今日、西郷も大久保も川路もここに集えてよかったと思っています。

西郷隆太郎:たとえば、西郷家と大久保家は親戚同士でもありますし、殿がおっしゃるとおり、私たちみんなお互いに敬意を抱いていますし、仲がいいんです。

島津義:今年、西郷の命日にみんなで鹿児島に行きませんか。

川路:いいですね。僕は鹿児島にまだ行ったことがないので、皆さんとご一緒できるのは、感慨深いです。

島津義:時代は進んでいくんです。先ほど、大阪の船宿に預けたという義弘公の稲荷のご神体の話をしたでしょう。最近、久光公の直系の玉里島津家のご当主から連絡があって、玉里島津家の東京・広尾の屋敷にそのご神体があると連絡を受けたんです。「義弘公が祭っていた稲荷が家にあるから、返したい」という話になり、今その準備をしています。ご神体は、義弘公の没後400年にあたる来年、精矛神社に来る予定です。
(構成/編集部・熊澤志保)
AERA 2018年3月12日号より抜粋
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