山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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渡部直己から秋山駿へ。 今頃、秋山駿と言っても、何人の人が知っているだろうか?先日来、本棚を整理していたら、秋山駿の本が大量に出てきたので、ついつい、懐かしくなり読みふけってしまった。 そして、最も大事なことを忘れてしまっている自分を発見して愕然とした。 そして、中原中也の望郷の詩を思い出す。「ああ、これが僕の故郷だ、吹ききたる風が言う、お前は何をしてきたのだ、と。」 秋山駿の本は、若い頃、夢中になって読んだ。秋山駿の本を片っ端から買い集める日々。『内部の人間』から『無用の告発』・・・( 続く。)

渡部直己から秋山駿へ。

今頃、秋山駿と言っても、何人の人が知っているだろうか?先日来、本棚を整理していたら、秋山駿の本が大量に出てきたので、ついつい、懐かしくなり読みふけってしまった。

そして、最も大事なことを忘れてしまっている自分を発見して愕然とした。

そして、中原中也の望郷の詩を思い出す。「ああ、これが僕の故郷だ、吹ききたる風が言う、お前は何をしてきたのだ、と。」

秋山駿の本は、若い頃、夢中になって読んだ。秋山駿の本を片っ端から買い集める日々。『内部の人間』から『無用の告発』『時が流れるお城が見える』『歩行と貝殻』『抽象的な生活』・・・。

やがて、秋山駿本人と交流できるうようになると、秋山駿本人から贈呈本がおくられてくるようになった。一冊一冊が懐かしい。通俗的な話だが、私の青春時代そのものだ。

私は、文学や哲学を専攻し、そして、それを職業とするようになってからも、世に氾濫している、いわゆる文学や哲学が嫌いであった。その原因は、文学や哲学の本質は、秋山駿の本の中にしかない、と思っていたからである。

セクハラ問題で話題になっている渡部直己の本や論文など、面白いかもしれないが、あるいは大切な問題を扱っているかもしれないがか、あるいは社会的に成功していくためには必要なことかもしれないが、私にとっては、何か不純なもの、無用のもの・・・のようにしか見えなった。

だから、私は、フランス現代思想や文学を振り回す渡部直己等と論争のようなものをやり、罵倒を繰り返したのだった。蓮實重彦大先生にまで喧嘩を売り、逆に罵倒されました。

私は、秋山駿的なものを、つまり存在論的な批評と批評家を尊敬し、それに依拠して文筆業をやろうとしていたから、渡部直己蓮實重彦の批評が許せなかったらのだ。

秋山駿の慣用句は「石」であった。「私は石ころを拾ってきた」と言うような文章から始まっていた。「石」との対話。それが秋山駿の思考の原点であり武器であった。しかも、強力な破壊力を持つ最強の武器であった。

世間や社会に飛び交う思想や理論や道徳やルールと言うようなものを、すべて剥ぎ取ったあとに残るのが「石ころ」であり「内部の人間」だった。私は、それに深く共感し支持していた。

今では、秋山駿の「小石との対話」は、私の言う「存在論」的な純粋思考のことだった、ということがわかる。当時は、そこまでは分からなかったが・・・。

秋山駿の主要なテーマは文学だったが、文学よりも、むしろそれ以上に重要なテーマは犯罪と犯罪者だった。秋山駿は犯罪者の中に「石との対話」を見出していたと思う。犯罪者こそ「純粋思考」の人種、「存在論的思考」の人種であったのであろう。

小松川女子高生殺しの李珍宇から連続射殺魔・永山則夫まで。秋山駿は、人畜無害な、健全な社会人よりも、凶悪犯罪者に、心の美しさを見出していた。

というわけで、私も、秋山駿の影響を受けたらしく、今でも「犯罪者(?)」や「反社会的人物(?)
」が好きである。残念ながら、私自身は、人畜無害の小市民の一人に過ぎないが・・・。







(続く)

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