山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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マルクスとエンゲルス●小林秀雄とマルクス主義者たち。

マルクスエンゲルス』 ●小林秀雄マルクス主義者たち

マルクスマルクス主義を区別する小林秀雄マルクス論の思考は、デビュー作『様々なる意匠』から晩年の『本居宣長』まで一貫している。言い換えれば、それが小林秀雄の批評的思考の本質となっている。『様々なる意匠』は、「意匠」という論理や概念をはぎ取り、対象としての現実=実在へ、純粋な眼で立ち向かえというものだが、晩年の『本居宣長』の分析と思考もまたた同じ思考である。
  小林秀雄は、本居宣長における「からごころ(漢意)」と「やまとごころ」の差異を強調している。比喩的に言えば、「からごころ(漢意)」とは、概念的、理論的、体系的思考であり、「やまとごころ」とは、概念的、理論的、体系的思考を批判、排除した上での、純粋直観的思考のことである。
  小林秀雄の『本居宣長』論では、まず『源氏物語』を読むことによって、「からごころ」という概念的、理論的思考を捨てて、「やまとごころ」という純粋直感的思考で、実在=現実を捕まえようとするものである。その先に、「もののあわれ」があり、「もののあはれ知る」ことが目標となる。
 
概念や理論による現実=実在への接近を批判、排除しようとする思考姿勢は、フッサールの「現象学」や「現象学的還元」にも似ていない訳ではないが、その先が明確に違っている。フッサール現象学は、原理論や方法論にとどまつている。
 小林秀雄の方法は、方法論にとどまってはいない。小林秀雄は、あらゆる概念的思考や理論的思考を批判、排除した上で、現実や実在の把握を実践的に試みるからだ。
 私の考えでは、マルクスもまた同じである。この実践的試みが、小林秀雄の場合、文芸批評作品であり、あるいはマルクスの場合、哲学作品である。たとえば、小林秀雄ドストエフスキー論(『ドストエフスキーの生活』『モオツアルト』『本居宣長』など)それであり、マルクスの『資本論』がそれである。

 小林秀雄は、『本居宣長』論の冒頭を、折口信夫を訪ねた話から始めている。折口邸を辞去する時、見送りに出てきた折口に、「本居宣長は、やはり源氏ですよ」と言われて、とまどうところを書いている。つまり、小林秀雄の『本居宣長』論は、『源氏物語』から始まっている。
 では、『源氏物語』とは何か。何故、『源氏物語』なんなのか。
 言うまでもなく、『源氏物語』の世界は、「やまとごころ」の世界であり、「からごころ」は排除されていてる。実は、「やまとごころ」の世界の文献である『古事記』を読み解き、その神髄を理解するためには、まず『源氏物語』を読みながら、「からごころ」を捨て去る必要がある、というわけである。それが、『古事記』を読むためには、まず『源氏物語』を読め、ということだ。
 実は、そこに、小林秀雄マルクス論の秘密も隠されている。
 マルクスは、あらゆる概念や理論を充分に理解、咀嚼した上で、それらをかなぐり捨てて、素手で「現実」に立ち向かったが、小林秀雄もまた、あらゆる概念や理論を理解、咀嚼した上で、それらをかなぐり捨てて、素手で「現実」に立ち向かったのである。それが、マルクス小林秀雄にとって、思考することだったのである。
 
 『源氏物語』を読むことは、日本に漢字や仏教、儒教が入ってくる前の書物である『古事記』を読むためには、是が非とも必要なことだった。『源氏物語』は、仏教や儒教とは無縁の不倫物語だった。この不道徳な物語を読むことによって、中国的な道徳観や倫理観から解放され、自由になる必要があった 。つまり、まず「からごころ」という道徳や倫理の 衣を脱ぎ捨てる必要があったからだ。
 漢字以前の「無文字社会」の日本の姿を描いた『古事記』を、漢字や仏教や儒教というような中国的な価値観を前提にして読むことは、『古事記』を中国的に解釈することになる。本居宣長小林秀雄は、それを拒絶するのである。言い換えれば、本居宣長小林秀雄も、マルクス主義者ではなく、マルクスだった。
 私は、マルクス主義者たちを、マルクスのエビゴーネンであり、マルクスの使った言葉や論理や概念を借用し、それらを振り回すだけの「考えない人たち」と見なし、マルクスを、独力で、物事を「考える人」と見なす。この「考える人」と「考えない人たち」との差異は決定的に大きい。
 ここに、小林秀雄の「マルクス主義者批判」がある。
 デビュー作『様々なる意匠』で、すでに小林秀雄は、こう言っている。

《世のマルクス主義文芸批評家は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。しかし、諸君の脳中においてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているいるではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。》(小林秀雄『様々なる意匠』)

これは、最も厳しいマルクス主義者批判である。マルクス主義者たちは、小林秀雄のこの批判から逃げることはできない。それはその後の歴史が証明している。昭和4年前後、小林秀雄マルクス理解が不十分であり、浅薄であると嘲笑し、我こそはマルクス主義者であると公言し、有頂天になっていたマルクス主義者たちは、現在、マルクス主義者として歴史に残ってさえいない。彼等、昭和前期のマルクス主義者たちの書いたテキストは、歴史の藻屑のなかにゴミとして埋もれ、今や完全に消滅している。それらのテキストを探し出して読むことさえ、困難である。
 マルクス主義者たちは、マルクス主義の重要な理論である「商品論」を表面的には理解していた。しかし、彼等の商品論には、「自分自身」が含まれていなかった。つまり、マルクス主義者たちは、マルクスの理論や概念や言葉を、他人事『資本論』のように、振り回すだけで満足し、有頂天になっている「考えない人たち」であり、言うならば、「論語読みの論語知らず」でしかなかった。

小林秀雄は、さらにこうも書いている。
《脳細胞から意識を引き出す唯物論も、精神から存在を引き出す観念論も等しく否定したマルクス唯物史観における「物」とは、飄々たる精神精神ではない事はもちろんだが、また固定した物質でもない。(中略)現代を支配するものはマルクス唯物史観における「物」ではない、彼が明瞭に指定した商品という物である。》

 「現代を支配するものはマルクス唯物史観における「物」ではない、彼が明瞭に指定した商品という物である。」という小林秀雄の指摘は重要だ。
 小林秀雄は、昭和4年の時点で、マルクス唯物論唯物史観における「物」が、単なる「物」ではなく、「商品という物」だということが、よく分かっていた。これは、小林秀雄マルクスと同様に「考える人」だったから理解できたと言っていいだろう。多くのマルクス主義者たちには、それは理解できていなかった。たから、当時のマルクス主義者たちは、次のマルクス的実践という段階に進むことができなかった。口舌の徒で終わるしかなかった。
 さて、小林秀雄の『本居宣長』論に戻ろう。
 「からごころ」を捨てて「やまとごころ」で『古事記』の世界に分け入っていく。それは、本居宣長だけがやったことではなく、マルクスがやったことであり、小林秀雄がやったことでもある。だからこそ、マルクス小林秀雄も、オリジナルな創作物という作品を残すことができたのである。
 本居宣長について、小林秀雄は書いている。
《彼は、「源氏」を熟読する事によって、わが物とした教え、「すべての人は、雅(ミヤビ)の趣をしらでは有るべからず」といふ教えに準じて、「古事記」をわが物にした。「古事記」が「雅の趣」を知る心によつて訓読(ヨマ)れたとは、其処に記された「神代の古事(フルゴト)」に直結している「神々の事態(シワザ)」の「ふり」が取り戻されて、自足した魅力ある物語として、蘇生したのだ。》(『本居宣長』)

 本居宣長は、『源氏物語』を熟読することよって、「からごころ」を排除し、捨て去ることを経て、「やまとごころ」を身につけ、我が物にすることによって、『古事記』の世界に、分け入っていくことができたのである。この「からごころ」から「やまとごころ」への道は、言い換えると、「マルクス主義」から「マルクス」への道だということができる。


《この尋常で簡明な事が、極めてむつかしい。宣長に言わせれば、学問でもしようと思ふ人には、どうしても「さかしら心」といふ「魔」が、附纏はずにはゐないからである。》(同上)

 この「さかしら心」といふ「魔」こそ、まさしくマルクス主義者たちにつきまとって、マルクス主義者たちを勘違いさせ、物を「考えない人たち」にさせているものである。小林秀雄マルクス論の神髄は、ここにある、と私は思う。


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