山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

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翁長知事逝去に思う。『沖縄独立論 』。

まだ67歳だったんですね。大変な心労が重なったのでしょうが、私は、よくやったと思う。

昨年、琉球新報の招待で、沖縄、那覇で、『沖縄 独立論のすすめ』という講演会をやったが、私の意図は、翁長知事、及び沖縄県民に、『沖縄独立論 』の気概を持て、というものだった。

その日、太田元知事が亡くなった。講演会の翌日は、太田氏の葬式だった ことを思い出す。私は、その日、永井漠氏( 元琉球大学教授 )の車で、辺野古を見学したが、永井氏は、そのまま、太田氏の葬儀会場へ向かった。

私は、遠慮して、那覇へ帰り、那覇の街を1人で飲み歩いた。翌日は、琉球新報編集長の普久原さんの招待で、呑んだ。

私の父は、沖縄の南大東島で、沖縄戦に参加し、命からがら、生き延びて、帰還した敗残兵である。その敗残兵の子供が私である。だから、私は、沖縄問題に浅からぬ興味を持つている。だから、沖縄県民を蔑視、愚弄する言論を繰り返していた曽野綾子小林よしのりと、『 沖縄集団自決論争』を、闘ったのである。

二三年前、豊島公会堂で行われた『 翁長知事とともに闘おう』という共同講演会にも、私は出席し、登壇した。翁長知事も出席予定だったが、急遽、用事が出来、欠席で、翁長知事にー会えるチャンスを逃した。

私は、『 本土左翼 』が嫌いである。言うまでもなく、被害者史観に凝り固まった思考しか出来ないヒロシマナガサキ中心の『平和イデオロギー 』が嫌いである。ヒロシマナガサキと、オキナワを一緒にする左翼的思考が嫌いだ。本土左翼が、一斉に、翁長知事追悼文を発表しているが、私には違和感がある。

私は、翁長知事にも沖縄県民にも、本土左翼の『 可哀想に』『 気の毒に』というような、沖縄や沖縄県民を被害者に仕立てて、上から目線で語り掛ける被害者史観に騙されるな、と言いたかった。

沖縄よ、沖縄県民よ、日本政府などに期待するな! 本土左翼にも日本政府にも期待するな。 日本から独立せよ。日本を、あるいは本土左翼をも見捨てて、沖縄独立を思考=志向せよ、と。そうすれば、尖閣諸島も、南シナ海の海も、日本のものではなくなる。まさしく、日本沈没となるだろう、と。

私は、翁長知事は、それが出来る政治家だと思っていた。既に太田元知事は、『沖縄独立論 』に関心を寄せていた。安倍政権とは、沖縄独立論で、対決せよ、と。よし、それなら『沖縄独立戦争 』だよ、と。安倍自民党を追い詰めよ。