山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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小林秀雄とベルグソンとマルクス。( 続く)

小林秀雄マルクス主義的思考を激しく批判し、一方で、マルクス的思考を徹底的に擁護している。つまりイデオロギー的思考を否定し、存在論的思考を肯定している。イデオロギーから存在論へ。このマルクス主義的思考、つまりイデオロギー的思考を批判して、マルクス的思考、つまり存在論的思考を擁護する、という小林秀雄的批評の真髄というべき論理は、小林秀雄の思いつきでも、独断でも、文学的妄想でもない。ちゃんとした論理的裏付けがあってのことである。むろん論理的裏付けとは哲学的裏付けのことである。

では、小林秀雄の依拠した論理的裏付けは如何なるものだっただったのか。小林秀雄が依拠したのは、ベルグソンでありベルグソン哲学であった。東大フランス文学科に学んだ小林秀雄は、学生時代からランボーボードレールと同時にベルグソンに熱中していた。この事実は重要だが、あまり、論じられていない。小林秀雄自身も、ベルグソンについては、あまり語っていない。ランボーボードレールニーチェドストエフスキーデカルトマルクスなどについては、多弁に語り、論じているが、ベルグソンについては、沈黙している。小林秀雄は、その批評活動の理論的、哲学的根拠であったと思われるベルグソンについて、戦前は、ほとんど言及していない。

ところが、戦後、小林秀雄は、戦後、昭和22年、「表現について」という作品で、ベルグソンについて書いている。そして、昭和年、未完に終わったが、『感想 』というタイトルで、本格的な長編のベルグソン論の連載を、『 新潮』で開始している。

《嘗て真理と言えば、科学的真理の異名の如き観を呈していたが、もうそんな事では駄目で、言わば、真理というものの次元が変わって来る時が来た。所謂合理主義、主知主義の哲学に疑いを抱いた思想家のうちで最も影響力を持ち、又事る実最も精緻な哲学的表現をした思想家は、ベルグソンであります。ここではお話に必要な事だけを申し上げるのが、ベルグソンの哲学は、直観主義とか反知性主義とか呼ばれているが、そういう哲学の一派としての呼称は、大して意味がないのでありまして、彼の思想の根幹は、哲学界からはみ出して広く一般の人心を動かしたところのものにある、即ち、平たく言えば、科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳を哲学的に救助したというところにあるのであります。》 (『 表現について』 )    繰り返すが、戦前の小林秀雄は、若い時、影響を受けたベルグソンについて、あまり書いていない。「手の内」を見せたくなかったのだろうか。おそらくそうだろう。だから、論争家としての小林秀雄の恐ろしさを多くの論敵達は知らなかったと見ていい。小林秀雄ベルグソンを通じて、哲学にも科学史にも現代科学にも精通していた。小林秀雄を、単なる一介の文芸評論家としてしか認識していなかった論敵達、特にマルクス主義者たちが、無惨に論破され続けた理由が、そこにある。だが、未だに、それを認識していない人は少なくない。小林秀雄が魔法でも使ったかのように見ている。むろん、小林秀雄は魔法など使っていない。  小林秀雄は、『表現について』というエッセイが示すように、ベルグソンから、「科学」や「合理主義」「知性主義」への批判精神を学び取っている。ベルグソン小林秀雄が、主張するのは、「直観」や「超能力」、あるいは「常識」である。  昭和三〇年四月、「新潮」の「感想」にもベルグソンの名前が出ているが、昭和四九年、ユリ・ゲラーという「超能力者」が来日して話題になっていた頃、「心霊学」に関するエッセイでは、ベルグソンの「心霊学」に言及している。そこで、小林秀雄は、すでに大学入学当時にベルグソンを読んでいた、と書いている。しかも、小林秀雄は、ベルグソンの「心霊研究」や「念力論」を全面的に肯定している。

《私が丁度大学に入った頃、ベルグソンの念力に関する文章を読んで大変面白く思った事があります。その文章は、一九一三年にベルグソンがロンドンの心霊学協会に呼ばれて行った講演の筆記なのです。(「生きている人のまぼろしと心霊研究」)その大体のところを覚えていますので、お話ししようと思います。ベルグソンがある大きな会議に出席していた時、たまたま話が精神感応の問題に及んだ。あるフランスの名高い医者も出席したのだが、ある夫人がこの医者に向かってこういう話をした。この前の戦争の時、夫が遠い戦場で戦死した時、パリにいたその夫人は、丁度その時刻に夫が塹壕で斃れたところを夢に見たのです。とりまいている数人の同僚の兵士に取りかこまれて、死んだ。》(「信ずることと知ること」)

この精神感応について、ベルグソンの主張は、肯定的だったと小林秀雄は書いている。

《これに関するベルグソンの根本の考えは実に簡明なのです。この光景を夫人が頭の中に勝手に描き出したものと考えることは大変むずかしい。と言うよりそれは、不可能な仮説だ。どんな沢山の人の顔を描いた経験を 持つ画家も、見た事もないたった一人の人の顔を想像裡に描き出す事は出来ない。見知らぬ兵士の顔を夢で見た夫人は、この画家と同じ状況にあったでしょう。夢に見たとは、たしかに念力という未だはっきりとは知られない力によって、直接見たに違いない。そう仮定してみる方が、よほど自然だし、理にかなっている、と言うのです。》

 小林秀雄は、ユリ・ゲラーの話から始まって、超能力や念力の信憑性を疑っているわけでも、超能力や念力を批判、否定しているわけでもない。超能力や念力を嘲笑するような凡庸な学者やインテリとは違う立場をとっている。明らかに、小林秀雄は、ベルグソンの心霊研究を評価し、それを受け入れた上で、彼自身も、ベルグソンの説を主張していると言って間違いない。  逆に小林秀雄が批判し、否定するのは科学であり、科学的思考である。特に近代科学と近代科学的思考である。驚くべき事かも知れないが、小林秀雄は、科学的思考を批判し、超能力的思考を肯定している。  このベルグソンの心霊研究に依拠した小林秀雄の論理を突き詰めていくと、マルクスは、超能力的思考の人であり、念力的思考の人である。逆にマルクス主義者たちは、科学的思考の人だと言うことになる。おそらく、マルクスエンゲルスの差異も、ここにあると言えるかもしれない。  では、小林秀雄は、科学、ないしは科学的思考をどう見ていたのか。  

《なるほど科学は経験というものを尊重している。しかし経験科学と言う 場合の経験というものは、科学者の経験であって、私達の経験ではない。普通の経験が科学的経験に置き換えられたのは、この三百年来のことなので、いろいろ可能な方向に伸ばすことができる。私達が生活の上で行っている広大な経験の領域を、合理的経験に絞った。観察や実験の方法をとり上げ、これを計量というただ一つの点に集中させた。そういう狭い道を一と筋に行ったがために、近代科学は非常な発達を実現出来た。近代科学はいつも、その理想としての数学を目指している。/近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにある。そこで近代科学は、先ず精神現象を、これと同等で、計量出来る現象に置き換えられないかと考えたのです。そこで、一七世紀以来、脳の動きが心の動きと同等であるかのように研究は進められて来た。脳の本性は知られていないとしても、それは力学上の事実に分解出来る事は確かですから、科学は脳の事実に執着すればよかったのです。》

 ここで、小林秀雄は、科学の本質について論じている。一介の「文芸評論家」の科学論だからと、高をくくって見る人もいるかもしれないので、一言、おことわりしておく。私は、小林秀雄科学史や科学哲学に精通していることを、『小林秀雄理論物理学』という論文で、論証した。特に、古典物理学ニュートン)、相対性理論アインシュタイン)、量子物理学(ハイゼンベルグ)という現代物理学の三段階革命について、小林秀雄が、「ベルグソン論」としての『感想』という「新潮」に連載した未完論文で、詳細に論述していることを、明らかにした。  私見によれば、小林秀雄が、科学や哲学に精通していることは明らかだが、それを認める人は、そう多くはないと思われる。しかし、それは間違っている。小林秀雄は科学や科学的思考を批判したが、小林秀雄自身は、ベルグソン哲学を通じて、科学史にも現代物理学にも精通していたのである。少なくとも、その事実を認めない限り、小林秀雄という思想家の全貌は見えてこないだろうと思う。当然、小林秀雄が、マルクスマルクス主義者たち(同上)を区別し差別した理由も、分からない。  だから、小林秀雄が、『信ずることと知ること』という講演記録をまとめたエッセイで論じている科学論も、興味半分、面白半分に読むべきではない。 小林秀雄は、科学や哲学を理解した上で、科学や哲学を批判しているのだ。小林秀雄が、マルクスマルクス主義を区別したのは、科学や哲学や合理主義の、その先にあるものを論じているからだ。佐藤優は、『 神的思考 』で、合理的に語られる哲学が論じる領域の限界の、その先にあるものを論じるのが神学だと言っている。佐藤優が言っていることを小林秀雄も言っているとみて間違いないと、私は思う。( 続く)