山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

山崎行太郎へのメール→dokuhebi31517@yahoo.co.jp

小谷野敦『 江藤淳と大江健三郎』( ちくま文庫 )を読む( 4)

小谷野敦江藤淳大江健三郎』( ちくま文庫 )を読む( 4)

文芸評論というものには、大きくわけて「情勢論 」的文芸評論と、「原理論」的文芸評論がある。小林秀雄に始まる日本の「 近代批評 」は後者である。多分、多くの人は、それを理解出来ていない。文芸評論なんて、小説の解説や評価、研究などを行うもので、要するに、「 情勢論」的なものに過ぎないので、所詮は文芸評論は、二次的な文学であると思っているのではないかと思われる。恐らくそういう人には、後者の「原理論 」的文芸評論家の系譜に繋がる小林秀雄の系譜、つまり江藤淳、あるいは吉本隆明、秋山駿、柄谷行人蓮實重彦・・・というような文芸評論家が、何故、高い評価得ているかが分からないのではないかと思われる。そういう素朴な文芸評論しか脳裏にない「 自称=文学者」の典型的な人物の一人が、小谷野敦である。小谷野敦には、小林秀雄はもちろんのこと、江藤淳吉本隆明柄谷行人も、単なるデクノボーでしかない。デクノボーでしかない小林秀雄江藤淳吉本隆明柄谷行人等が、何故、高い文学的=思想的評価を受け、しかも本人達までが、作家たち以上に、自信満々で、大きな顔をしているのかが理解できない。だから、小谷野敦は、小林秀雄江藤淳を「 馬鹿 」か「 病人 」としてしか見ることが出来ない。実は、小谷野敦のような無知蒙昧な文学者や文学研究者は、小谷野敦だけではない。最近の文藝雑誌や文壇がつまらなくなっている原因は、小谷野敦のような無知蒙昧な文学者が氾濫しているところにある。( 続く)