山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

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( 続3)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎、小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり!( 続く)

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( 続3)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。付和雷同するエセ左翼=高橋源一郎小林よしのり等の「 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」的な言説に異議あり

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LGBT騒動 」が波紋を広げているようだ。雨後の筍のように、賛成するにせよ、反対するにせよ、付和雷同する軽薄な、通俗的言論が蔓延する一方で 、議員会館などでも、この「 LGBT騒動 」と「「新潮45」廃刊事件」が、取り上げられ、政治問題化しつつあるようだ。私は、「 LGBT騒動 」にも、「「新潮45」廃刊事件」にも、さほど興味はないが、この一連の騒動の背景にあるもの、あるいは根底に横たわる思想問題には大いに興味がある。私は、かねがね、被害者史観、弱者史観とでも言うべき歪んだ病理現象が、日本社会を蝕みつつあると思ってきたが、今回の「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」を見ていると、まさにそれを象徴しているのではないかと思われる。実は、私は、昔から、「 弱者 」や「 被害者」を装ったエセ弱者やエセ被害者等が繰り広げる左翼や戦後民主主義市民運動、あるいは最近の立憲主義というようなものが嫌いであった。そこには、本当の弱者も被害者もいない、むしろ既得権益層の利権固定化の運動でしかない、というのが、私の認識であった。もっと具体的に言うと、私は、護憲派でも護憲論者でもない。法学者や弁護士等が主導する護憲運動にも平和運動にも、既得権益層の利権固定化の匂いがする。今回の「 LGBT騒動 」にいち早く反応し、抗議の声を上げ、『新潮45』を廃刊にまで追い詰めたのは、その種のエセ左翼やエセ文化人であり、エセ市民運動家たちであったように見える。江藤淳は、こういう病的な思想状況を憂えて、「 治者の文学」という概念を提起した。「弱者の思考を排す 」というわけである。私が、若い頃から愛読し、影響も受けているニーチェドストエフスキーの哲学や文学にも、「弱者の思考」「 被害者の思考」への批判がある、と私は思う。弱者や被害者の思考とは何か。弱者は、目前の現実の闘争に負けるがが故に、その負けを認めたくない。その代理として、正義や善や理想という観念論を持ち出す。ニーチェキリスト教道徳がそれであると考える。『善悪の彼岸 』や『 道徳の系譜学』がそれである。ルサンチマンの道徳である。それ故に、ニーチェは、「弱者のルサンチマン」としての「善 」「正義 」「 道徳 」を批判し否定する。言い換えれば、強者や超人はどうするか。強者や超人は「善 」「 正義」「道徳」という観念論を必要としない。