山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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( 続8)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。高橋源一郎がTwitterで予告していた「 『 文藝評論家』 小川榮太郎の全著作を読んで、おれは泣いた。」( 「新潮」11月号)を、友人から写メを送って貰って、じっくり読んで、俺は笑った。期待外れの駄文だった。「便所の落書き 」( 高橋源一郎 )とは言わないが、まーそれに近い駄文だ。「新潮」11月号を買おうかと思ったが止めた。それだけの価値はない。( 続く)

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( 続8)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。高橋源一郎Twitterで予告していた「 『 文藝評論家』 小川榮太郎の全著作を読んで、おれは泣いた。」( 「新潮」11月号)を、友人から写メを送って貰って、じっくり読んで、俺は笑った。期待外れの駄文だった。「便所の落書き 」( 高橋源一郎 )とは言わないが、まーそれに近い駄文だ。「新潮」11月号を買おうかと思ったが止めた。それだけの価値はない。

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「『新潮45』廃刊事件」の当事者たる新潮社からの依頼原稿のようだが、さすが文壇の太鼓持ちである。火消しに躍起になっている「新潮社」の意向を考慮したのだろう。「『新潮45』廃刊事件」がテーマであるにも関わらず、「新潮45」にも「新潮社」についても論じず、もっぱら、「小川榮太郎」の文学論(小林秀雄論 )を論じて、お茶を濁している。しかも、小川榮太郎杉田水脈擁護論文については、ろくに論じず、もっぱら小川榮太郎の文学関係の文章 持ち上げることに専念している。文壇遊泳術と世渡りだけは上手らしい高橋源一郎の面目躍如。これでは何も言ったことにはならない。つまり、あまり深追いせず、ただ逃げただけで終わっている。一件落着。お役目、ご苦労さま。というところだろう。しかし、高橋源一郎が、なんと言おうと 、どう取り繕おうと、「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」が、これで、立ち消えになるはずはない。「新潮社」や高橋源一郎が、問題を「小川榮太郎 」に絞ったのは、「新潮45バッシング」や「 新潮社バッシング」を、「小川榮太郎バッシング 」に摩り替えようとする魂胆が見え隠れする。文芸誌が、こういう 、御用聞き的、太鼓持ち的な駄文を掲載している限り、文壇の凋落や文学の衰退に歯止めはかからないだろう。それどころか、ますます、凋落、衰退していくだろう。そもそも、高橋源一郎は、第三者の振りをしているが、シールズや左翼市民運動と無縁ではない。問題は山積のはず。そもそも、この人は、作家とは言っても、筆一本で生きている訳ではなく、明治学院大学で教鞭をとるサラリーマン作家である。私が尊敬する一流の文学者たち、たとえば大江健三郎三島由紀夫吉本隆明等とは決定的に違う。大江健三郎三島由紀夫等は、誘われても、「大学教授 」などという安定職業などにはなろうとしなかっただろう。彼等は、作家とはという役割を、もっと崇高な、神聖なものと考えていただろう。作家が「 大学教授」になることを堕落と思っていただろう。ところが、最近の作家は、島田雅彦高橋源一郎を初め、ことごとく「 大学教授 」というサラリーマン作家に成り下がっている。しかも、高橋源一郎は、「シールズ」とか称する、極めて、好い加減な、ユルい学生左翼運動組織を 、裏でサポートし、指導者ヅラをして、支援していたらしい。「シールズ」は反政府運動が盛り上がって来ると、「 若者のデモ 」とか「 学生のデモ」とかを売り物にして、盛り上がった反政府運動を「横取り」する組織でしかなかった。「 シールズ」の代表の奥田某は、高橋源一郎ゼミの学生だったとか。私は、ばかばかしくて読んでいないが、奥田某等との対談本まで出しているらしい。高橋源一郎よ、やりたいなら、、お前が先頭に立って、反政府運動を指導しろよ。高橋源一郎は、作家とはいえ、その文体やおしゃべりが象徴するように、いかにも、いい加減な、ユルい作家なのだ。今回の「 LGBT騒動 」における「『新潮45』廃刊事件」に関しても、いい加減な、ユルい発言しか出来ないのは当然だろう。( 続く)