山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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( 続9)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。私は、「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」は、近頃、珍しく面白い事件だと思う。思想史的にも転換点になる本質的な事件だと思う。大いに議論、論争すべきだ。偽物と本物の差別化が可能になり、左右に関係なく、偽物たちが、淘汰されるだろう。( 続く)

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( 続9)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。私は、「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」は、近頃、珍しく面白い事件だと思う。思想史的にも転換点になる本質的な事件だと思う。大いに議論、論争すべきだ。偽物と本物の差別化が可能になり、左右に関係なく、偽物たちが、淘汰されるだろう。

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LGBT騒動 」「『新潮45』廃刊事件」について、高橋源一郎小林よしのり等が、「大物」気取りで、あるいは「大家」気取りで、権威者のごとく発言しているが、読者の多くは、それに幻惑されているようだが、彼等も、所詮は、文壇やマスコミが生み出した幻想の産物=「 痴の 虚人」に過ぎない。化けの皮が剥がされる日は近いだろう。前にも少し書いたが、高橋源一郎は、例のコラムで、「新潮45」の責任や「新潮45」の編集者の責任には、一言も言及していない。何故か。「新潮45」の責任や「新潮45」の編集者の責任はないと言うのか?ないはずがないだろう。では、何故、言及できないのか?高橋源一郎も、所詮、「お雇い外国人 」ならぬ「 お雇い作家」だからだ。飼い犬が主人に噛み付くわけにはいかないだろう。文壇やジャーナリズムに寄生し、食わせてもらっている「寄生虫( 食客)」に過ぎないからだ。昔の作家や文化人は、そこまで堕落していなかった。杉田水脈氏や小川榮太郎氏等にも、思想責任は当然あるだろう。しかし、彼等だけの問題ではあるまい。今回の「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」の一番の責任者は、「新潮45」の編集者と、その管理責任者「新潮社」社長だろう。しかし、高橋源一郎は、「新潮45」の責任に頬かむりして、明らかに、杉田水脈氏や小川榮太郎氏に責任をなすりつけようとしている。高橋源一郎よ、お前の役割は、そいうことだったのか。それでは「文学者失格」だろう。と思ったが、「新潮」11月号の「 編集後記」(編集長=矢野優 )を読んで、さらに愕然とした。「編集後記 」は、高橋源一郎でさえ、言葉を曖昧にして誤魔化した問題を、つまり「文藝評論家・小川榮太郎への個人攻撃」を明言し、冷酷無残に切り捨てようとしている。「『新潮45』廃刊事件」のすべての責任は、小川榮太郎の「痴漢=LGBT 論文 」にあったかのように書いている。なるほど。ちなみに、適菜収氏によると、「新潮45」編集長に、何回も、「 ネットウヨ的なライターを使うと、大変なことになりますよ。」と進言したそうであるが、無視されたと、Twitterで書いている。これはTwitterではないが、適菜収氏の文章である。 ーーーーー以下引用ーーーーー 今年になってからは、二度くらい一緒に酒を飲んで、「きちんとした右翼に原稿を依頼するならともかく、論外のネトウヨに記事を書かせたら、新潮社の名前を汚すことになりますよ」「引き返すなら今ですよ」と伝えた。 ーーーーー引用終了ーーーーー

適菜収氏は、今、激しい「小川榮太郎批判 」を続けているが、それは、高橋源一郎小林よしのり等のような付和雷同組の野次馬とは異なり、当然だろう。私見では、適菜収氏には、「小川榮太郎批判」をやる資格があるが、これまで批判らしい批判をしたことのない高橋源一郎小林よしのり等には、その資格がない。 ( 続く)