山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

山崎行太郎へのメール→dokuhebi31517@yahoo.co.jp

( 続10)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。高橋源一郎の「 小川榮太郎批判」は批判になっていない。「『新潮45』廃刊事件」からも「 LGBT騒動 」からも逃げている。( 続く)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( 続10)「新潮45」を廃刊に追い込んだLGBT騒動について。高橋源一郎の「 小川榮太郎批判」は批判になっていない。「『新潮45』廃刊事件」からも「 LGBT騒動 」からも逃げている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

高橋源一郎よ、小川榮太郎の「 LGBT騒動 」論文を、Twitterで「 便所の落書き」と罵倒した時の元気は、何処へ行ったのか。もっと、問題の本質へ切り込めよ。それとも、何かい、その、のらりくらりとした責任逃れの、優柔不断的駄文の垂れ流しを、ポストモダン的文壇遊泳術というのかい? 議論や論争から逃げることは、自分だけが生き延びようとして、その代わり、言論封殺や言論統制を容認することだ。私は議論や論争は歓迎するが、言論封殺や言論統制には、右であれ左であれ、反対だ。高橋源一郎は、小川榮太郎の「 小林秀雄論」を長々と紹介して、小川榮太郎には、「文学への愛」があるとか、その若い時の苦労話は、俺も同じだったとかなんとか言って、話を誤魔化して、肝心の問題から逃げようとしている。そして、最後に、小川榮太郎の苦労話を読んで、「俺は泣いた。 」だと。小川榮太郎の「小林秀雄」は、評価出来ると言いたいのか、それとも、これも「 便所の落書き」程度であり、同じ文学愛好家として、同情はするが 、文学的には読むに値しないシロモノだ、とでも。最近の文芸誌にはこの種の優柔不断な駄文と小説が溢れている。むしろ、今回の「 LGBT騒動 」は、文芸誌や文壇の活性化と復権のための格好のテーマだったのではないか?逃げてばかりで、どうするのか。ますます、文学も文壇も衰退、沈滞するのではないか。最近、文壇周辺で起きた「 北条裕子盗作疑惑事件」にしろ「 渡部直己セクハラ事件 」にしろ、文芸誌が、文壇スキャンダルとして取り上げ、議論、論争すべきだったのではないか。しかし、文壇も文芸誌も、我関せず、何事もなかったかのように、パス。文学や文学者が、見放されるのも当然だろう。少なくとも「新潮45」は、何事かに挑戦しようとしたのだろう。結果はどうであれ、「新潮45」の二回の「 LGBT特集」には、編集部としては強い思想的確信があったのだろう。極めて文学的試みだったのではないか。ところで、小川榮太郎が「 性的指向」と「 性的嗜好」を混同している、という批判がある。トランスジェンダーは、「性的指向」の問題であって、痴漢は「 性的嗜好」の問題だと言いたいのだろうが、正直に言って、当事者たちには、この差異は、大問題だろうが、我々、平均的、常識的な、多くの人が属している多数派の人間にとっては、考えなければならない重大問題ではない。私には、考えなければならない問題が、他にたくさんある。ああ、そう言えば、突然、思い出したが、大江健三郎の初期小説に『 性的人間』という痴漢小説があったが。あれはどうなんだろう。 ( 続く)