山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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(続19)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎が「新潮」11月号に発表した「公衆便所の落書き 」( 小川榮太郎批判の大論文?)が、ネットに全文が公開されている。私は、既に「新潮」本誌で何回も読んでいるがーp

(続19)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎が「新潮」11月号に発表した「公衆便所の落書き 」( 小川榮太郎批判の大論文?)が、ネットに全文が公開されている。私は、既に「新潮」本誌で何回も読んでいるが、おそらく一般読者は、「新潮」を買ってまで読むはずはないだろうから、タダで読めるのだから、原文を確認したい人は確認してみるといいだろう。 ネットのお影で 、便利になったとは言えるだろう。大先生(笑)とはいえ、逃げたくとも、そう簡単に逃がしてはくれないのが 、ネット社会の常識なのだ。 http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641 ところで、高橋源一郎は、Twitterで、「新潮45」に掲載された小川榮太郎論文を、「 公衆便所の落書き」と斬り捨てた。実は、私が、「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」に、しつこくこだわるのは、高橋源一郎が不用意に発しただろう「公衆便所の落書き」というこの暴言が、私の勘に触ったからであった。これは「聞き捨てならない」と私は即座に思ったのだ。「 公衆便所の落書き」と罵倒した以上、それについて、何らかの説明が必要だろう。無論、無視黙殺することも出来るだろう。しかし、それでは、大作家先生( ? )である高橋源一郎センセイの名折れということになり、作家生命にも関わってくるだろう。逃げるわけにはいかないだろう。と言うわけで、「新潮」11月号に、「 公衆便所の落書き 」を発表したというわけだ。私見によれば、小川榮太郎論文が「 公衆便所の落書き」なら、高橋源一郎の「新潮」論文も、残念ながら「 公衆便所の落書き 」に過ぎないと言っていいだろう。高橋源一郎センセイの大論文も、その程度の駄文でしかない。高橋源一郎は、論争が上手なのか下手なのかわからないが、肝心の「 LGBT問題」や「『新潮45』廃刊事件」の問題から逃げまくって、ほとんどのページが、原稿枚数稼ぎのオチャラケばかりで、反論にも論争にもなっていない。コワモテの文芸批評家の絓秀実( すがひでみ)は、最近のTwitterで、高橋源一郎が、論争する時、ほとんど相手の本や論文を読んでいない、と自分との論争体験を根拠に暴露している。絓秀実の言う通りだろう。高橋源一郎は、「 LGBT騒動 」についても、「性的指向」と「性的嗜好 」の差異など、知ったかぶりはしているが、それ以上、踏み込もうとしていない。おそらく、論争や議論をする用意が出来ていないのだ。だから、「泣いた」とかいう薄っぺらな印象批評で逃げたのだ。「 LGBT問題」について、間違いがあろうがあるまいが、自分なりの立場を表明し、自己主張の旗を掲げた小川榮太郎論文の方がまだマシだろう。私は 、文藝評論家=小川榮太郎を擁護しているわけでも、弁護しているわけでもない。「 公衆便所の落書き 」と最大の罵倒で口火を切った高橋源一郎に、「つべこべ言わずに、さっさと 論争しろよ」と呼びかけているだけだ。それとも何かい、「 文壇の大御所の俺が、文芸誌に登場したこともない小川榮太郎のような雑魚を相手に、 論争するわけないよ 」とでも。だから、文学も文壇も 堕ちる一方なのだ。文芸誌に文学なし。文芸誌に批評なし。(笑) ( 続く) http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641