山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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(続20)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎は 、小川榮太郎が「 文藝評論家」を自称し、肩書きとして使用していることに、異常にこだわり、皮肉っぽく揶揄嘲笑しているようだがー( 続く)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (続20)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎は 、小川榮太郎が「 文藝評論家」を自称し、肩書きとして使用していることに、異常にこだわり、皮肉っぽく揶揄嘲笑しているようだが、何故なのか。高橋源一郎は、何が言いたいのか。それこそ「文壇内差別」(笑)ではないのか。文芸誌の常連執筆者しか「作家」や「 文藝評論家」を名乗っちゃいけないのか? http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

高橋源一郎は、小川榮太郎が肩書きとして使用している「文藝評論家」という言葉にこだわったと言って次のように書いている。

ーーーー以下引用ーーーー  おれが気になったのは、「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」という、画期的な論文(かな?)を書いた小川榮太郎氏の肩書が「文藝評論家」だったことだ。( 高橋源一郎 ) ーーーー引用終了ーーーー

この高橋源一郎の文章の「言外の意味」は何か。むろん、高橋源一郎は、単に、「文藝評論家 」という言葉に驚いているのではない。高橋源一郎のこの文章が悪質なのは、言外に、次のような悪意が込められているからである。つまり、高橋源一郎や『新潮』編集部としては、「 文藝評論家 として文芸誌等に一度も登場したことなどないお前が、何故、文藝評論家を名乗れるのか?名称詐欺では無いのか?」ということだろう。そして、『新潮』編集部や『新潮』読者とともに、「 あいつ馬鹿だよねー」と内輪で、物笑いのタネにしたかったのであろう。しかも、誰も、ほとんど小川榮太郎の「新潮45」掲載の原文を読むこともせず、「 痴漢とLGBTを同一視している 」などと付和雷同して、楽しそうに馬鹿騒ぎしているというのが現状である。現に、小川榮太郎は、いわゆる大手出版社系の文芸誌に、作品を発表したことがない( のではないか ) 。その意味で、高橋源一郎が、「文藝評論家 」という肩書きにこだわったのは当然かもしれない。しかし、文学の世界で、「作家 」とか「 文藝評論家 」という肩書きに、深い意味や根拠などない。「小川榮太郎よ、お前は 文藝評論家 を名乗る資格がない」などということは出来ない。名乗ったもん勝ちである。実力主義アナーキーな世界である。しかし高橋源一郎が、あの駄文(笑)で、強調したかったのは、露骨には書いてないが、「現在の文壇や文学業界は、身分社会であり、肩書き社会であり、学歴社会だよ。ドシロートは入って来ちゃいけないよ。」ということだろう。

ーーー以下引用ーーー 家には、やたらと「文芸評論家」のみなさんの本もある。なのに、小川さんの本が一冊もないのである。いったいなぜなんだろうか。 ーーー引用終了ーーー

「 いったいなぜなんだろう」。思わず吹き出した。小川榮太郎の本が 高橋源一郎のしょだなにない、その理由など、分かりすぎるぐらい分かっているではないか。つまり、「小川榮太郎よ、お前は文藝評論家ではない」と言いたいのだろう。しかも、高橋源一郎はわざわざ、小川榮太郎が『新潮』新人賞の最終候補になったが落選し、受賞には至らなかったという話まで、ご丁寧に、書いている。『新潮』新人賞を受賞できなくて、つまり、文藝評論家としてデビューさえできなくて、おそらく苦労しただろうね・・・というような世間話である。

ーーーー以下引用ーーーー この本の中に収められた「川端康成『古都』――亀裂と抒情」は、実は2003年の「第三十五回新潮新人賞」評論部門の最終候補に残っていたという。その候補作「川端康成の『古都』」について、選考委員の福田和也氏は「冒頭の(……)文章は、もちろん滑稽、諧謔として書かれているのだろうが、そうだとしても失笑をしか誘わない(……)批評文としても、完成度がきわめて低い」とし、同じ選考委員の町田康氏は「乙にすました文章が、なんでそんな言い方をするのか分からず」としている。小川さんは、書き直したようだが、おれの受ける印象も、15年前の選考委員諸氏のそれとあまり変わらない。結局、この文章は受賞を逃すのである。( 高橋源一郎 ) ーーーー引用終了ーーーー 要するに、小川榮太郎くんは、「新潮」新人賞最終候補落選のシロートだと、言いたいのだろう。その小川榮太郎が「 文藝評論家 」を名乗るのは詐欺だと言いたいのだろう。しかし、それが事実としても、そんな話が、「 LGBT騒動 」に、なんの関係があるのか。笑止である。私が尊敬する文芸批評家の絓秀実は、「小川榮太郎に反論を書せよ 」とTwitterで叫んでいる。当然ではないか。矢野優『新潮』編集長よ、高橋源一郎小川榮太郎批判を書かせたのなら、『新潮』誌面を舞台に、高橋源一郎小川榮太郎の「生きるか死ぬかの真剣勝負」をさせてみろよ。誰が死んだっていいじゃないか。平野啓一郎星野智幸等のような三文作家の出る幕ではない。