山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

山崎行太郎へのメール→dokuhebi31517@yahoo.co.jp

(続21)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎は、「小川榮太郎A 」とか「小川榮太郎B」とか、分かったような分からないような、怪しい二分法を使って、「 小川榮太郎A」( 文学の人? )はいい人、「 小川榮太郎B 」( 政治評論の人?)は悪い人というように 、巫山戯半分に、自分のことは棚に上げて、小川榮太郎の評論活動を揶揄しつつ 、上から目線で、「ねー、小川榮太郎はクズだよね 」と否定し

(続21)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。高橋源一郎は、「小川榮太郎A 」とか「小川榮太郎B」とか、分かったような分からないような、怪しい二分法を使って、「 小川榮太郎A」( 文学の人? )はいい人、「 小川榮太郎B 」( 政治評論の人?)は悪い人というように 、巫山戯半分に、自分のことは棚に上げて、小川榮太郎の評論活動を揶揄しつつ 、上から目線で、「ねー、小川榮太郎はクズだよね 」と否定し

高橋源一郎よ、世間の風潮に媚び、雑誌権力に阿(おもね)り、エセ左翼市民運動に阿諛追従するお前こそクズだろう。小川榮太郎の評論活動を、小川榮太郎Aと小川榮太郎Bとに分けて、文学的な評論活動を行う小川榮太郎A擁護する振りをしつつ、小川榮太郎Bの方の政治評論活動を、全面的に批判、且つ否定しているわけである。つまり、小川榮太郎のこれまでの主戦場であった政治的舞台での言論活動そのものを、全く認めていないというわけだろう。政治思想的立場が違うのだから当然だろう。しかし、小川榮太郎の政治的発言を、今更、「クダラナイ 」「 読む価値がない 」「 公衆便所の落書き に過ぎない」と言う必要もないだろう。むしろ、議論し、論争し、論破すべきではないのか。高橋源一郎は、それをしたくないから、初めから、あらかじめ、「小川榮太郎B」の仕事は読む価値もない、だから無視しますよ、というわけだ。え? それが、今、問題の核心部分なんじゃないの?ー。高橋源一郎にとっては、そうではないらしい。そして貴重なページを使って、この場合、さほど重要とも思えないような、「小川榮太郎A」の仕事、つまり文藝評論家の仕事を中心に、これまでの作品や実績について語り続ける。

ーーーー以下引用ーーーー http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641

 この文章を書くことに決めて、おれが最初にやったのは、アマゾンで手に入れることができる小川さんの著作をすべて購入することだった(もちろん自費)。そして、入手できた以下の著作、『徹底検証「森友・加計事件」』『徹底検証 テレビ報道「嘘」のからくり』『最後の勝機チャンス』『天皇の平和 九条の平和』『一気に読める「戦争」の昭和史』『『永遠の0』と日本人』『国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント』『約束の日 安倍晋三試論』『小林秀雄の後の二十一章』『民主主義の敵』(杉田水脈氏との共著)『宣戦布告』(足立康史氏との共著)『保守の原点』(宮崎正弘氏との共著)と5冊の雑誌を、23日から26日にかけて読んだ(上念司氏との共著は手に入らなかった)。かなり疲れた。その中で、はっきりと「文藝評論家」の仕事といえそうなのは、542頁ある『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)だけではないかと思った。その感想を書く前に、もう一つ、おれがふだん励行している「論じる、もしくは、話をする前に、その相手の全著作を読んでおく」システムについて触れておきたい。

ーーーー引用終了ーーーー

「 全作を読む」ことが高橋源一郎には重要な習慣らしいが、正直、どーでもいい話である。早く肝心の問題、つまり、「新潮45」の小川論文の話をしろよ、と思うが、そちらには関心がなぃらしい。そもそも文藝評論家とはなにか。高橋源一郎は、全然、分かっていないようだ。文藝評論家が政治や経済や哲学など、文学以外のジャンルに言及することは、文藝評論家としては、するべき仕事ではないのか?文藝評論家は、文学や文学作品についてのみ、論じるべきものなのか?小林秀雄はどーだったか。江藤淳はどーだったか。吉本隆明はどーだったか。柄谷行人はどーか。彼等は、文学だけの人だったか。文学以外のことは論じなかったか。そうではなかっただろう。政治的発言も哲学的発言も、文藝評論家の仕事なのだ。

ーーーー以下引用ーーーー おれは、小川さんの全著作を読み、ここに、ふたつの人格があるように思った。ひとりは、文学を深く愛好し「他者性への畏れや慮りを忘れ」ない「小川榮太郎・A」だ。そして、もうひとりは、「新潮45」のような文章を平気で書いてしまう、「無神經」で「傍若無人な」「小川榮太郎・B」だ ーーーー引用終了ーーーー

残念ながら、高橋源一郎の底が見えた、というしかない。早くも認知症か、お前は。だから高橋源一郎の文学も政治評論も論壇時評も「つまらない」のだ。文学や文藝評論から、政治問題や思想問題や哲学問題・・・を抜き去って、あとに何が残るのか。少年少女向けファンタジー? メロドラマ?