山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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(続25)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。内田樹の役割。矢野優「新潮」編集長が書いた編集後記は、明らかに、文芸誌の編集後記を逸脱していた。差別に抗議する? 文芸誌が、「社会的正義 」や「 政治的正義( ポリ・コレ ) 」というようなイデオロギーを主張するようになったら、文芸誌の自殺行為だろう。矢野優「編集後記」の背後にいたのは誰か? 内田樹もその一人だった。( 続く)


(続25)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。内田樹の役割。矢野優「新潮」編集長が書いた編集後記は、明らかに、文芸誌の編集後記を逸脱していた。差別に抗議する? 文芸誌が、「社会的正義 」や「 政治的正義( ポリ・コレ ) 」というようなイデオロギーを主張するようになったら、文芸誌の自殺行為だろう。矢野優「編集後記」の背後にいたのは誰か? 内田樹もその一人だった。

エセ右翼もエセ保守もダメだが、エセ左翼もエセ・リベラルもダメだというのが、私の基本的認識である。両陣営とも思想的に堕落しているからだ。「新潮45」に掲載された杉田水脈論文や小川榮太郎論文を、全否定する矢野優『新潮』編集長の「編集後記」の背後には、高橋源一郎だけではなく、内田樹平野啓一郎等、有名作家や有名文化人等がいたらしい。彼らの強い支持のもとに、矢野優編集長による「 編集後記」は書かれたものとみていい。その中でも、内田樹の存在は大きかったもようだ。内田樹は、今回の「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」にどのように関わっていたのか? 早い段階で 『新潮』編集部から相談を受けたた内田樹は、「新潮45」の廃刊を主張したらしいのだ。

ーーー以下引用ーーー
新潮社の友人からメール。社内の動きについてお知らせ頂きました。新潮社出版物への不買運動まで始まった以上、品位ある出版社という評価を守りたいなら、謝罪の上、『新潮45』は廃刊するのが適当でしょうとご返事しました。( 内田樹)
ーーー引用終了ーーー

えっ。品位ある出版社?(笑)。『週刊新潮 』は「 下品なツッコミ」がウリだったんじゃないの!
それにしても、この内田樹の回答には首を傾げざるを得ない。「不買運動まで始まった以上・・・ 」とは、どういうことか。不買運動と闘うのが出版社じゃないのか。とても言論人とは思えない。「 不買運動に屈服して謝罪し 、「新潮45」を廃刊する」、これは、あまりにもご都合主義的な、下品極まりない商売人的発想ではないのか。内田樹のことを「 知の巨人 」と言う人もいるらしいが、それは、「 痴の虚人」の間違いじゃないのか。内田樹のような「 痴の虚人 」が、我が物顔で論壇や文壇の表通りを闊歩しているところに、論壇や文壇の地盤沈下や衰退、堕落の根本原因がある。内田樹が、2004頃、『 ユダヤ文化論』とかいう通俗的読み物評論で、「新潮社」主催の「 小林秀雄賞 」を受賞し、文芸誌等に頻繁に登場するようになった頃から、文芸誌は急速に文学性や批評性を失い、堕落 し、地盤沈下し 始めた。内田樹が、文芸誌等に、せせり出してきた背景には、村上春樹擁護のムードがある。言い換えれば、村上春樹ブームに多くのまともな文芸評論家たちは批判的、否定的だった。文芸誌編集部や出版社サイドは、爆発的売り上げを記録していた村上春樹を批判して欲しくなかったのだろう。文芸評論家は、文芸誌から次々と排除されていった。その代わりに登用されたのが、岡田樹等のような、村上春樹を単純素朴に褒め称える
無能な大学教授連中であった。内田樹等には、文学性も批判性もなかった。文学性と批評性を失った文芸誌が、大学紀要レベルに堕落し、心ある読者から見放されていくのは当然だった。今回の「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」においても、内田樹の思考の凡庸性=通俗性は明らかである。内田樹が、そうではないというなら、小川榮太郎を相手に、徹底的に論争し、論敵が二度と立ち上がれないように、打ちのめしてみよ、と言いたいが、無理だろう。屁理屈を並べて逃げるだろう。武道家を自称しているが、本質は、闘うことの出来ない口先ばかりのヘタレなのだ。しかし、残念ながら、今回は逃げられないだろう。内田樹は、私も関わっている「月刊日本」という月刊誌にもインタビューで登場し、「 LGBT騒動 」や「『新潮45』廃刊事件」について語っている。実にクダラナイ。俗習との結託。愚衆の愚論。内田樹の意見や主張は、明らかに、私とは異なっている。