山崎行太郎(哲学者、文芸評論家)-Blog『毒蛇山荘日記』

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私が、ここに書いている日記の断片は、他人にどう読まれているか知らないが、私自身にとっては、かなり重要な意味を持っている。Twitterに「 クダラナイ」という書き込みがあった。「 クダラナイのはお前が馬鹿だから。馬鹿は読むな。消えろ!」とリプライしておいたが。( 続く)

p私が、ここに書いている日記の断片は、他人にどう読まれているか知らないが、私自身にとっては、かなり重要な意味を持っている。Twitterに「 クダラナイ」という書き込みがあった。「 クダラナイのはお前が馬鹿だから。馬鹿は読むな。消えろ!」とリプライしておいたが。申し訳ないが、私は、他人や読者のために文章を書いていない。私は、私のために書いている。私のネット日記は、自分で言うのもなんだが、既に膨大な量になっている。私は、ライフワークとして書いている。『毒蛇山荘日記 』という形で、いつでも出版出来る状態にある。『毒蛇山荘日記 』は、私の数少ない著作の内の『 代表作』(笑)になるはずだ。もちろん、私が、出版出来ないままに死んでも、誰かが出版してくれるはずだ。あるいは、永遠に出版出来なかったとしても、構わない。ネット空間には、半永久的にも残るはずだから。出版されたから本になるのではない。平安時代に出版社は存在しなかった。しかし、『 源氏物語』も『枕草子 』も残っている。私がネットに文章を書き始めたのは、パソコンが大衆化し、Windows95が登場した頃である。私は、それまで、文章を書いて 、文章で生きていこうと思っていたが、まだパソコンを持っていなかった。ワープロ全盛の時代だった。その頃、大学から、来年の授業予定を、パソコンメールで送ってくれと言われて、大慌てしたことがある。その頃から、しきりに、「ブログ」や「2ちゃんねる」 、「Twitter」などの文章を、「便所の落書き 」に過ぎないという人たちがいた。雑誌や新聞などからの注文原稿を書いている専門家たちだった。いわゆる作家や評論家あるいは業界人たち、つまりプロの文筆家たちである。高橋源一郎等のように、今でも、そういう人はいる。小川榮太郎の文章は、文章という商品ではない、「公衆便所の落描き」だというわけだ。文章=商品と公衆便所の落書きとの差異は 、何処にあるのか。実は、私が断定するが、何処にもない。しかし、未だに、商業誌に掲載された文章は「宝石」だが、ネットに書かれた文章は「 公衆便所の落書き」だと、思っているらしい人は少なくない。むろん、私は、そうは考えなかった。「便所の落書き ? 」、そうかもしれないが、私のような、人付き合いの悪い、無精な、無計画な人間には、ネットやブログ、TwitterFacebookなどは、最も適した文章表現方法だった。汚い文字はワープロで克服出来たが、出版社や新聞、雑誌等との営業や交渉は 、ワープロでは出来なかった。私には、それらは、かなり億劫な、面倒臭い仕事だった。私は、保守派を自認しながら、吉本隆明を愛読し、彼の「 自立メディア論」を信奉していたから、自分なりに、その自立メディアの方向を探っていた時、パソコンとネットという新世界に出会った。ユーレカ( 我発見セリ)、であった。人間関係もカネも労働力も不要。私は、これで行こうと決断した。そして、現在まで、その道を突き進んで来た。出版社や編集者の顔色をうかがうような生活から訣別出来たことに満足した記憶がある。以後、私は、『 枕草子』を書いた清少納言や、『徒然草 』を書いた吉田兼好と同じように、あるいは同人誌『 試行』に、代表作『言語にとって美とはなにか 』を延々と連載し続けた吉本隆明のように、自由気侭に、書きたいこと、言いたいことを、誰に気兼ねすることなく、書いているつもりだ。逆に、売れっ子の作家や評論家たちは、私から見れば、出版社や新聞社の奴隷になって、不自由な言論空間に閉じ込められている「哀れな人種」にしか見えない。彼等が 、読者の信頼を失うのは当然である。ちなみに、私の、多くの才能ある友人や同業者たちは、表舞台から排除され、消えていった。私は、高橋源一郎が言うところの「 公衆便所の落書き」のようなブログ『 毒蛇山荘日記』を、ネット空間に書き続けることによって、生き残った。「『新潮45』廃刊事件」の馬鹿騒ぎを、そういう私の眼から見ていると、真相=深層が良く見える。私の書く文章に意味があろうとあるまいと、他人や読者が何と言おうと、私は、私のために書き続けるのである。こんなに楽しいことはない。( 続く) ( 写真は、江古田には珍しく、私と同様に上品なマスター(笑)がいる「学生街の喫茶店」。あべ静江の『 コヒーショップで』のモデル?)