山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

山崎行太郎へのメール→dokuhebi31517@yahoo.co.jp

( 続36)「『新潮45』廃刊事件」を読む。小川榮太郎氏に名指しで、「論争を呼びかけられた」、言い換えれば「喧嘩を売られた」、高橋源一郎氏や内田樹氏等を初めとする「有名作家や有名評論家」(笑)たちは、どう反応するだろうか。おそらく、まともに相手すると、ヒドイ目に遭うと、分かっているが故に、ひたすら沈黙を守り、「逃げるが勝ち」を決め込むだけだろう。文筆業者仲


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( 続37)「『新潮45』廃刊事件」を読む。小川榮太郎氏に名指しで、「論争を呼びかけられた」、言い換えれば「喧嘩を売られた」、高橋源一郎氏や内田樹氏等を初めとする「有名作家や有名評論家」(笑)たちは、どう反応するだろうか。おそらく、まともに相手すると、ヒドイ目に遭うと、分かっているが故に、ひたすら沈黙を守り、「逃げるが勝ち」を決め込むだけだろう。文筆業者仲間を相手に、「ネット右翼雑誌やSNSの書き込みなんかを相手に、論争しても意味ないよねー。時間の無駄だよねー 」とかなんとか言いつつ、ニセの優越感に浸りながら、お互いを、慰めあっているのかもしれない。その結果、「有名作家や有名評論家」(笑)という人種が、如何に、「つまらない」「みっともない」「たいしたことない 」「 哀れな 」「 口先番長 」・・・でしかない人種かが 白日の元に晒され、悪しき具体的見本であることが証明されるだろう。論争から逃げるような「有名作家センセイ」に、まともな読者がついて行くはずがない。ついて行くのは担当編集者と盲目的信者、有名人好きのミーハーだけだろう。最近、「本が売れなくなった」という時の言い訳が、「最近の日本人は本を読まなくなった」というものだが、「 読まなくなった」のではなく、「 読むに値する商業出版物がなくなった」というだけのことである。出版業界に廃刊と倒産の嵐が吹き荒れるのも当然である。ところで、今年、飯山一郎氏と勝谷誠彦氏が亡くなった。二人とも、私にとっては、ネット界の有名言論人だった。勝谷誠彦氏は、私がパソコンを始めた頃、『 きっこの日記 』などとともに、『 勝谷誠彦の✖✖な日々』とかいうブログ日記の筆者として、既にネット言論界で有名だった。私は、『 勝谷誠彦の✖✖な日々』を参考にしながら、見よう見まねで、『毒蛇山荘日記』を始めたのである。テレビや雑誌で、お馴染みの勝谷誠彦氏は、ともかくとして、飯山一郎氏は、ネット界でしか知られていない 。しかし、彼が、毎日のように書き続けたブログ『 文珠菩薩』や『 てげてげ』の「読者」は、それなりに、たくさんいたはずだ。そしてその独自な分析に基づく政治評論や文明論などの影響力も小さくはなかったはずだ。その証拠に、先日、新大阪駅前のホテルで開かれた追悼会には、多数の読者や関係者が 、全国から駆けつけたようだ。稲村公望氏もその一人だ。稲村公望氏は、元郵政官僚、元中央大学教授、元「 日本郵便 」副会長で、『黒潮文明論 』という名著を持つ著名人だが、現在はネット言論人としても知られている。雑誌などにも書いていないわけではないが、あくまでも稲村公望氏の言論活動の主要舞台も、ネットやSNSである。ネットやSNSの登場で、大きな文化革命が起きていると言われているが、「何処の」「何が」「どう変わったのか」は、必ずしも明らかではないが、私は、飯山一郎や勝谷誠彦、稲村公望のような存在が、ネットによる「文化革命 」の一端を象徴しているのではないかと、私は思う。確かに、ネットやSNSをステップに、テレビや雑誌、新聞などが形成している「 表舞台 」へと飛躍することを目指す有名文化人や有名芸能人も少なくない。だが、この手の有名文化人や有名芸能人は、ネットやSNSを、高橋源一郎氏のように、「公衆 便所の落書き 」程度の世界だと蔑視=差別しているようにも、私には思われる。だが、飯山一郎氏等は違う。飯山一郎氏等は、テレビや雑誌、新聞などの表舞台( 旧メディア )に登場することを最終目的、最終目標とは考えない。ネット言論界を主要舞台とするネット言論人である。テレビや雑誌、新聞に登場する有名言論人、マスコミ文化人ではない。あくまでもネット言論が主要舞台である。こういう有名、無名のネット言論人が、全国に、多数、存在している。こういうネット言論人が全国、津々浦々に存在するという現実こそ、「ネット革命 」としての「文化革命 」の一端を象徴しているのではないか、と私は考える。したがって 、「『新潮45』廃刊事件」も、こういう観点から分析すると、その真相が明らかになるのではないか。『 新潮45』は、以前は、有名作家や有名学者、有名言論人等が、多数、登場する立派な月刊雑誌だった、という人もいる。が、私は、そうは思わなかった。だから、一度も買ったことはなかった。読むに値する記事など、一つもなかったからだ。逆に、私が、毎日のように熟読しているブログ日記やyoutube動画などは、無数にある。南の鹿児島に飯山一郎がいるとすれば、北海道には、安濃豊(あんのう/ゆたか )という「奇人変人」風のネット言論人もいる。東京には、朝堂院大覚( ちょうどういん/だいがく)という怪物もいる。国際政治ニュースを知りたければ、田中宇がいる。彼等の思想や主張に全面的に賛成というわけではない。荒唐無稽で、かなり怪しいと思われる情報も少なくない。が、少なくとも、新聞や雑誌に掲載されるステレオタイプな雑文よりは役に立つ。しかも、ほとんどタダだ。だから私には、金銭を要求する新聞や雑誌を読んでいる暇がない。つまり、パソコンやスマホの登場で、「テレビや雑誌、新聞」という商業主義メディア(資本主義メディア )を必要としない読者層と言論人層、文化人層が出来ている。こういう反商業主義的メディア空間が、巨大な岩盤のごとく形成されつつあるのではないか、ということである。「『新潮45』廃刊事件」の真相とはそういうことではないか。「『新潮45』廃刊事件」に登場した主役たちが、つまり、商業主義的メディアで活躍する高橋源一郎内田樹等のような「 有名作家や有名評論家 」たちが、小川榮太郎からの「論争の呼び掛け」から、スゴスゴと逃げ出すのも、当然だろう。彼等には 、「命懸けの論争」に立ち向かうだけの気力も知性も思想もないのだろう。読者に見放されるの仕方がない。『 新潮45』廃刊が象徴する商業主義的メディアの廃刊、倒産ラッシュとは、そういうことではないか。
( 続く)
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この原稿( 記事)は、最終稿ではありません。今後も加筆修正を繰り返していきます。最終稿は、山崎行太郎ブログかメールマガジン山崎行太郎の毒蛇通信』でお読みください。
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