文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

一昨日、早稲田大学に行ってきました。久しぶりで、懐かしかったです。実は、「早稲田大学」のネーム入りの「 湯呑み」を買いに行ったのです。兄の墓前に備えたかったのです。 「早稲田大学 」のネーム入りの湯呑み。ネット通販で買おうとしましたが、ネットのどこかに不具合があるらしく、何回こころみても出来ないので 、直接、早稲田大学まで来たというわけです 。生協の場所が分からず、少し迷いましたが、大学構内をさ迷った末に、やっと辿り着きまし


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一昨日、早稲田大学に行ってきました。久しぶりで、懐かしかったです。実は、「早稲田大学」のネーム入りの「 湯呑み」を買いに行ったのです。兄の墓前に備えたかったのです。
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早稲田大学 」のネーム入りの湯呑み。ネット通販で買おうとしましたが、ネットのどこかに不具合があるらしく、何回こころみても出来ないので 、直接、早稲田大学まで来たというわけです 。生協の場所が分からず、少し迷いましたが、大学構内をさ迷った末に、やっと辿り着きました。生協にありました。念願の「 早稲田大学」のネーム入りの湯呑み。それを探しあて、やっと買い求めることが出来ました。田舎の山の上にある先祖代々の寂しい墓地に眠る兄へのプレゼントです。早稲田大学キャンパスは、私が上京して、初めて訪れた場所です。早稲田大学の学生だった兄に連れられて、大隈講堂や大隈重信像を見学した日が、まだ、昨日のことのように思い出されます。私の兄は、私が高校一年の時、いろいろ紆余曲折はありましたが、早稲田大学に入学しました。ただそれだけのことですが、兄が早稲田大学の学生になった時点で、私も、早稲田大学に行こうと決断しました。兄を尊敬していたので、同じ道を歩きたかったのです。高校時代、周りは、東大だの九大だのと、進路指導の教師を含めて騒いでいましたが、私は、担任教師を含めて、誰にも話さずに 黙っていました。兄のいる早稲田大学は、私の密かな夢でした。早稲田大学こそ「大学の中の大学だ」と。私は、昔も今も、「東大を落ちて、第二志望で早稲田大学へ進学した 」とかいうような話が大嫌いです。怒りを感じます。現実にそうだったとしても 、五月蝿い(!!!) 、黙っていろ (!!!)、と怒鳴りつけたくなります。三島由紀夫は、自分は東大出身にもかかわらず、早稲田大学の学生だった森田必勝を永遠の旅路の友としました。森田必勝は、早稲田大学が第一志望で、二浪の末に、やっと早稲田大学に合格しました。森田必勝こそ、『 早稲田』です。しかし、結果的には、私は、早稲田大学ではなく、慶應義塾大学へ進学するのですが、少なくとも、高校を卒業し、上京した時点までは、兄と同じ、早稲田大学に進学すると決めていました。だから、早稲田大学のキャンパスは、懐かしいです。私は、慶応の三田キャンパスにも愛着はありますが、それ以上の愛着が、兄の母校の早稲田大学キャンパスにはあります。それは、おそらく、私の両親の愛着でもあります。私は、私自身のことより、一家の期待と野心を一身に背負って頑張っていた兄のことが気になります。兄の人生が否定されると、私を含めて両親、先祖・・・の全てを否定されたように感じます。兄は、昨年五月、連休の終わる頃、亡くなりましたが、早稲田大学のキャンパスを歩くと、兄との思い出が蘇って来ます 。私は、早い時点から文学部志望だったので、兄は、文学なんぞにほとんど無関心だったにもかかわらず、文学部のある戸塚キャンパスの方も案内してくれました。私は、その頃、夢中になっていた大江健三郎の講演会を、兄も一緒に大隈講堂で聴きました。大江健三郎江藤淳が編輯した講談社の『われらの文学 』シリーズの刊行を記念する講演会だったように記憶しています。この頃、慶應義塾に進学したにもかかわらず、友達が一人もいなかった私は、常に兄と行動を共にしていました。世田谷の下馬という所にあるアパートに同居していました。兄は、理工学部だったので、私も、しばしば、理工学部のある大久保キャンパスへも行きました。私は、三田祭には行ったことはありませんが 、早稲田祭には、兄と一緒に行きました。早稲田通りの古書店街巡りも一緒にやりました。あまり本を読まない兄だったにもかかわらず、私が、文学関係の書籍類を探すのを、「 いいよ、いいよ」と言いつつ、じっと待っててくれました。「お前はいいな、そんなに夢中になれるものがあって・・・ 」と言った時の兄の顔が、今でも、ありありと浮かんできます。兄は、何も残さず、無名の一般庶民の人生を送りましたが、私の中には、偉大な人生の教師としての兄が、残っています。この行動的で、何事にも積極的な兄がいなっかったら、私は、『 東京』に出ることもなく、東大だ早稲田だ、いや慶應だ、などと、大法螺を吹くことも無く、小学校の先生か小児科医にでもなって、親孝行をしながら、田舎で、静かな人生を送っていたと思います。兄の後ろ姿を追いかけているうちに、私は、『 遠くへ』来てしまいました。それが良かったのか悪かったのか 、おそらく誰にも分からない。小林秀雄の『様々なる意匠 』にこういう文章がある。
===以下引用===
人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし、彼は彼以外のものになれなかった。これは驚くべき事実である。・・・
===引用終了===

兄も兄以外のものにはなれなかったのだ。その兄の墓前に、自慢だった「 早稲田大学」のネーム入り湯呑みを飾ってあげよう。また、もうすぐ箱根駅伝が始まる。(続く)

(この文章は、小生の『 湯呑み』という短編小説の下書きです。 )