山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

「毒蛇山荘籠城記5」。小林秀雄の『正宗白鳥の作について 』を読みながら。(2) ■年末の喧騒を逃れて、鹿児島県薩摩半島の山奥の「毒蛇山荘」で小林秀雄を読む。こんな楽しい 、贅沢なことはない。というわけで、小林秀雄の『「正宗白鳥の作について」を読みながら 』の続編を続ける。最近、「小林秀雄論」の類が少なくない。文芸誌などにも連載評論(小林秀雄論 )が絶えないようだが 、これは、小林秀雄という文芸評論家が、正当に、高く再評価され始


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「毒蛇山荘籠城記5」。小林秀雄の『正宗白鳥の作について 』を読みながら。(2)
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年末の喧騒を逃れて、鹿児島県薩摩半島の山奥の「毒蛇山荘」で小林秀雄を読む。こんな楽しい 、贅沢なことはない。というわけで、小林秀雄の『「正宗白鳥の作について」を読みながら 』の続編を続ける。最近、「小林秀雄論」の類が少なくない。文芸誌などにも連載評論(小林秀雄論 )が絶えないようだが 、これは、小林秀雄という文芸評論家が、正当に、高く再評価され始めたこととは無縁である。現在の文学の衰弱と衰退、沈没があまりにも酷いので、その原因が、何処にあるのか探る人が増えてきたというにすぎない。そこで、かつての「文壇の神」としての小林秀雄でも論じると、昨今の沈滞気味の文壇で、目立つのではないかというほどの野次馬的野心からのようにしか、私には見えない。だから、その種の小林秀雄論の類を、私は読まない。そこに小林秀雄の残骸しかない。生きた小林秀雄の「神魂」はない。読んでも時間の無駄である。江藤淳や秋山駿等の『 小林秀雄』論で充分である。さて、小林秀雄は、「思想 」より「実生活 」を重視したと言ったが、これは誤解を招きやすい。小林秀雄は実生活を重視したが、ただ単に、愚鈍な国文学研究者たちが考えるような 、素朴な実証主義的な実生活を重視した訳ではない。小林秀雄は、『正宗白鳥の作につい 』で、正宗白鳥の『 自然主義文学盛衰史』で、最も重視する自然主義作家「島崎藤村」を通して、この問題を論じている。そこで正宗白鳥は、「人生の艱難 」という言葉にlこだわっている、と小林秀雄は言う。「 人生の艱難」とは何か。おそらく「人生の艱難 」とは、実生活上の「苦労」や「貧乏」や「悲惨さ」などを総称して言うのだろうが、島崎藤村の人生は、まさに艱難苦悶を象徴した人生だった。そこで、小林秀雄は、正宗白鳥の言葉を引用した上で、こう言っている。《「 生きることの艱難が我々の胸にも染み込んでくるのである。あちら向いてもこちら向いても、艱難が人間の形を帯びて待ち伏せしているのである」ーーこの特色ある言い方で言われている「 艱難」に、向うの歴史こちらの歴史の別などありはしない。このような表現に、何の無理なく導かれた正宗氏が、はっきり思い及んでいた観念は、藤村によってよく信じられていた文学作品に本来備わった機能の普遍性であり、無償性であったと見える他はないのである。更に言えば、藤村にしてみれば、与えられた課題の処理は、これと一体を成す形で行われた、それが正宗氏にははっきり見えていたのだ。》

( 続く)

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本稿は最終稿=完成稿ではありません。今後も加筆修正を繰り返していきます。最終稿は、メールマガジン山崎行太郎の毒蛇通信』でお読みください。
http://www.mag2.com/m/0001151310.html
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