山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

山崎行太郎へのメール→dokuhebi31517@yahoo.co.jp

「毒蛇山荘籠城記(6)」。小林秀雄の『 正宗白鳥の作について』を読みながら( 4 ) 。平成最後の年末らしいが、何の感慨もない。私が感慨を持つのは、「日産・ゴーン逮捕事件」の方だが、それも、今は書きたくない。明日は新年を迎えるということで、ふたたび兄の墓掃除に行き、その後、「毒蛇山荘」の前の国道沿いに、ウオーキングロードというものがあるということを発見したので、散歩がてらに、1kmほど歩いてみた 。1kmほど歩くと、大丸小学校という私の母校がある。その前に、小中学校時代、私には珍しく「親友」だったM君とい


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「毒蛇山荘籠城記(6)」。小林秀雄の『 正宗白鳥の作について』を読みながら。( 4 )
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平成最後の年末らしいが、何の感慨もない。私が感慨を持つのは、「日産・ゴーン逮捕事件」の方だが、それも、今は書きたくない。明日は新年を迎えるということで、ふたたび兄の墓掃除に行き、その後、「毒蛇山荘」の前の国道沿いに、ウオーキングロードというものがあるということを発見したので、散歩がてらに、1kmほど歩いてみた 。1kmほど歩くと、大丸小学校という私の母校がある。その前に、小中学校時代、私には珍しく「親友」だったM君という男の家があった。イタズラ小僧の悪ガキで、スバシコイ少年だった。私は、勉強以外の事では、何事につけ、尊敬していた。スポーツもイタズラも万能の少年だった。顔も悪くなかった。女にも手が速かった。将来は、大成功するだろうと、私は、子供ながらにして、漠然と推測していた。何事につけ要領の良い少年だったからだ。高校卒業後、建設会社を起こし、一時は羽振りが良かったようだが、何かが切っ掛けで倒産したとかいう噂を聞いた。その後、連絡を取ろうとしたが、向うが嫌がっているらしく、連絡も取れないままだった。今 、どーしているか分からないが、アイツならなんとかやっているのだろうと思っていた。そのM君の実家の前を通り過ぎる度に懐かしい感慨に襲われる。そのM君の家の前に、最近、「無人売店」が出来ていたので、誰がやっているのだろうと思いながら、ちょっと立ち寄ってみた。そこには先客がいた。老人とその子供たちと思しい家族連れだったので、私は、遠慮しつつ近付いて行った。すると、その家族連れの内、若い家族は、鹿児島の方へ立ち去って行った。後に老人夫婦が残っていたが、男の方も、そこから、軽トラで離れて行った。一人残った白髪のオバサンが、この無人売店の管理人らしく、ニコニコしているので、失礼かと思ったが、「貴女は誰? 」と聞いてみた。ここら辺の人だったら 、だいたい名前を聞けば、分かるはずだと思ったからだ。すると、オバサンは、M君の実家を指さしながらこう言った。「ここの嫁です 」と。「ここはM君の実家だけど 」と言うと、「 ええ、私は嫁です。さっき、軽トラで出かけて行ったのが、Mですよ 」と言う。鹿児島の方へ立ち去った家族は、娘夫婦と孫たちの一家だったらしい。ただそれだけの話だが 、私は、ちょっと感動した。帰りにミカンを一袋、100円で買った。Uターンして、歩き始めると、後ろから、「 車に気を付けてね」とM君の嫁さんが言った。ところで、小林秀雄が、最後の作品『正宗白鳥の作について 』で、何を言いたいかは、私には、良くわかる。それは、地に足のついた文学、地に足のついた思想、地に足のついた宗教・・・でなければ駄目だということだ。「地に足がついている 」とは、主体的ということであり、言い換えると「土着」ということだ。島崎藤村内村鑑三も、そして正宗白鳥も、地に足のついた、つまり土着派の文学者であり思想家であり、宗教家だったということだ。彼等とは逆に、小林秀雄は、西洋かぶれの学者、思想家、ジャーナリスト、文化人・・・等を激しく批判、軽蔑
罵倒する。
( 続く)

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本稿は最終稿=完成稿ではありません。今後も加筆修正を繰り返していきます。最終稿は、メールマガジン山崎行太郎の毒蛇通信』でお読みください。
http://www.mag2.com/m/0001151310.html
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