山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

深夜の「毒蛇山荘」でマルクスの『資本論』を読む(3)ー価値形態論についてー ■ 繰り返しになるが 、私がマルクスを読むようになったのは、柄谷行人の『 マルクス その可能性の中心』を読んでからである。特に私が興味を持ったのは、柄谷行人が強調する価値形態論に深く感動したからである。柄谷行人は、マルクスの『資本論』の意義を、労働価値論的思考を捨てて価値形態論に開眼し、移行たところにあると言うが 、私は、それを読んで、なるほどと納得した。価


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深夜の「毒蛇山荘」でマルクスの『資本論』を読む(3)ー価値形態論についてー
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我が「毒蛇山荘」の柿の木に、柿の実が、枯れ枝に数個残っている。時々、メジロとカラスが、食べにくるようだ。枯れ枝に残っている柿の実が詫びしい。さて、繰り返しになるが 、私がマルクスを読むようになったのは、柄谷行人の『 マルクス その可能性の中心』を読んでからである。特に私が興味を持ったのは、柄谷行人が強調する価値形態論に深く感動したからである。柄谷行人は、マルクスの『資本論』の意義を、労働価値論的思考を捨てて価値形態論に開眼し、つまり、労働価値論的思考から価値形態論へ移行たところにあると言うが 、私は、それを読んで、なるほどと納得した。価値形態論を軸にして『資本論』を読むと、商品論も価値論も、そして貨幣論もよく理解出来るように見える。貨幣は、何故 、誕生するのか?貨幣の登場で、何が、解決し、何が隠蔽されるのか。あるいは逆に貨幣の登場で、何が起こるのか。柄谷行人は、「貨幣形態が、価値形態を隠蔽する」という。私は、これが良く理解出来る。では、価値形態とは何か。柄谷行人は、古典経済学は、価値形態を見出せなかった、そこがマルクスの『資本論』と決定的に異なるところだ、と。柄谷行人廣松渉との対談(『共同主観性をめぐって 』 現代思想1978/8 )で、こう言っている。《ところで、『資本論』と古典経済学との差異は何かというと、価値形態論以外にないんじゃないでしょうか。》しかし、柄谷行人も言うように、『資本論』では、労働価値論、つまり労働時間説と価値形態論とは、共存・併存している。これに対して、廣松渉は、こう言っている。《一応の議論としていえば、第一節と第三節も初めのほうでは労働時間説をとっている。しかし、そのあとのところで、それからはみ出したのか克服したのか知らないけれど、労働時間説ではないほうにマルクスであり重点を置いていますよね。私としてはマルクスははじめは労働時間説的な議論の立て方をしているけれども、価値形態論のなかでそれを規定し直したんだと理解するわけです。『資本論』では矛盾した議論が併存しているのではなくて、弁証法的な展開になっていると思うんです。》要するに、柄谷行人廣松渉も、『資本論』における価値形態論の重要性を認めている。問題は、『資本論』は価値形態論だけで成り立っているわけではなく、労働時間説的議論と併存しているということだ。ここから、『資本論』の解釈が、迷宮をさまようことになる。私は、柄谷行人が言うように、価値形態論で読み直すべきだと思う。柄谷行人は、『トランスクリテイーク 』では、次のように書いている。《『資本論』がそれ以前の著作ーー『経済学批判 』や『グルントリセ』ーーと決定的に異なるのは、そこに価値形態論が出現することである。『古典経済学の根本的な欠陥の一つは、それが商品の、ことに商品価値の分析によって、価値をまさに交換価値とする価値形態を発見することに成功しなかったということである。A・スミスはリカードのようなその最もすぐれた代表者たちにおいても、古典経済学は価値形態を、まったくどうでもよいもの、あるいは商品そのものの性質にとって外的な ものとして扱っている。』( 『資本論』第一巻第一章第四節 ) だが、それはそれまでのマルクス自身にもあてはまる。『資本論』以前のマルクスは、いかに批判的であっても、リカードの思考の圏内にいたといわねばならない。アルチュセールは『 ドイツ・イデオロギー』のあたりに、マルクスの認識論的切断があったというが、もしそういいたければ、『 グルントリセ』から『資本論』にかけて決定的な「 切断 」があり、それが価値形態論なのである。》( 柄谷行人『トランスクリテイーク 』 )

( 続く)

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本稿は最終稿=完成稿ではありません。今後も加筆修正を繰りお返していきます。最終稿は、メールマガジン山崎行太郎の毒蛇通信』でお読みください。
http://www.mag2.com/m/0001151310.html
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