文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

西郷南洲とモーゼ( 6)。 終わりのない旅人p。西郷南洲とモーゼの旅には、終着点はなかった。旅=放浪自体が目的だった。歴史を結果でしか見ようとしない歴史学者にも歴史作家にも、それが分かっていない。

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西郷南洲とモーゼ( 6)。
終わりのない旅人p。西郷南洲とモーゼの旅にはい、終着点はなかった。旅=放浪自体が目的だった。歴史を結果でしか見ようとしない歴史学者にも歴史作家にも、それが分かっていない。
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西郷南洲とモーゼ( 6)。
終わりのない旅人。西郷南洲とモーゼの旅には、終着点はなかった。旅=放浪自体が目的だった。歴史を結果でしか見ようとしない歴史学者にも歴史作家にも、それが分かっていない。エジプトに幽閉されていたユダヤ人を解放し、ユダヤ人と共にイスラエル(目的地 )へ向かったモーゼは、砂漠を彷徨し続け、結局 、目的地=カナンの地に、足を踏み入れることもなく死んだ。モーゼは、目的を実現=達成することなく、途中で挫折したのか。そうではない 、と柄谷行人は言う。モーゼの目的は、目的地までユダヤ人を連れて行くことではなく、ユダヤ人と共に砂漠を彷徨することだった、と言っている。つまり、モーゼは、ユダヤ人をエジプトから連れ出し、ユダヤ人と共に砂漠を彷徨するのが目的であり、モーゼが最終的に言いたかったことは、「 ユダヤ人よ、共同体から出よ、砂漠にとどまれ 」ということだったのではないか、と。私は、柄谷行人が何を言いたいか、その言い分が、よく理解出来る。西郷南洲にしろ、モーゼにしろ、目的論や結果論では、理解出来ないところがある。言い換えると、結果的に成功したとか失敗したとかいう通俗的な勝敗史観では理解出来ないものがある。しかし、理解出来ないところがあるにもかかわらず、西郷南洲とモーゼの影響力は絶大である。福沢諭吉から内村鑑三三島由紀夫江藤淳まで、一流の文化人や思想家で、西郷南洲を、絶賛しないものはいない。何故か。しかし、多くの歴史学者や歴史作家は、それを、理解出来ない。彼等は、歴史を、目的や結果でしか考えない。その典型的な見本が、戦後、岩波新書から出た圭室諦成(たまむろたいじょう)という歴史学者の書いた『 西郷隆盛』(1960 )だった。この本は、西郷を、「 保守反動」とか「 頑迷固陋」とか、これ以上ないと思われる言葉で罵倒し、批判している。私は、この本を手に入れ、読んだ時、面白い西郷南洲論だと、即座に思った。私は、この本は熟読しなければならない本だと思い、私は、何回も熟読を繰り返した。私は、通俗的西郷南洲賛美論よりも、この西郷南洲全否定論の方に奇妙な知的刺激を受けた。圭室諦成(たまむろ・たいじょう)は、『 西郷隆盛』の冒頭で、こう書いている。

《人間にたいする深い愛情と、世界の推移に関する正しい洞察力をかいた政治家は、それがいかいわゆる大物であり実力者であれば、あるだけ、より多く庶民の生活を不幸におとしいれる。ところで、こまったことに日本の政治家には、世界史的視野を持たぬボス的人物があまりにも多い。それでも一流といわれるボス的政治家の場合、ある期間すぐれた助言者を得て、すなおにその助言をうけいれ、正直にきっかりその期間だけ、歴史の前進に偉大な貢献をしたものがある。じつは本書の主人公西郷隆盛がその典型的人物である。》( 圭室諦成(たまむろたいじょう) 『西郷隆盛 』1960)

ほー。岩波新書に、こういう本があったのか。私は、この本を読み始めて、初めて、西郷南洲に本格的に興味を持った。続けて、圭室諦成(たまむろ・たいじょう)は書いている。

《西郷は貧しい下級士族の長男として生まれ、その少青年時代、遅れた郷中教育によって排他的な郷党意識と、独善的な政治理念が骨のずいまで叩き込まれた。そうした生活環境が彼のがむしゃらな反抗精神と、つよい郷党意識と、そして執拗なクーデター癖をはぐくんでいる。このような反近代性のゆえに、かれは薩摩武士団の頭領と仰がれ、その野望の担い手として生涯をささげつくした。ところで薩摩藩の担い手であるとともに、日本の担い手でもあった明治維新にいたる四年間は、西郷伝においてもっとも精彩にとんだ部分である。それはなぜか。当時としては珍しく世界史的視野をもった助言者勝海舟のしめした時局収拾の線にそって行動したからである。ーーー》(同上 )

いやー、実に面白い本である。歴史学者とは、こういう痛快な文章を書く人種なのか、と驚きを禁じ得ない。実は、私は鹿児島県( 薩摩藩)のド田舎に生まれ、育った人間なので、「遅れた郷中教育 」とか、薩摩藩の「反近代性 」とかいう言葉に、少なからぬ違和感を持つが、それよりも、圭室諦成(たまむろ・たいじょう)という歴史学者とは何者なのか、ということに興味を持つ。巻末に「 1982年東京大学文学部国史学科卒業 」とある。この本は、岩波書店から出たということもあって、それなりの影響力を持ったはずである。司馬遼太郎の「 西郷は学がなかった 」「ウドのタイボクだった 」という西郷論にも影響を与えているのではないかと思っている。しかし、この本は、現在(2019/1 )、絶版になっている。岩波書店は、何故、この古典的名著(笑)を、あわてて絶版にしたのだろうか。岩波書店は、圭室諦成(たまむろたいじょう)の『 西郷隆盛』を絶版にするのとほぼ前後して、別の著者( 都筑隆明 )による『西郷隆盛 』( 1992 )を出している。不思議である。何があったのだろうか。何故、変える必要があったのだろうか。何か、決定的な間違いでもあったのだろうか。








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