文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

『南洲伝』と『モーゼ伝 』(2)ー西郷南洲もモーゼも「歩く人」だった。死ぬまで「歩き続けた人」だった。目的地があって歩くのではなく、「歩くこと」自体が、彼らの目的だった。

ブログランキング応援クリックお願いします。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■
『南洲伝』と『モーゼ伝 』(2)ー西郷南洲もモーゼも「歩く人」だった。死ぬまで「歩き続けた人」だった。目的地があって歩くのではなく、「歩くこと」自体が、彼らの目的だった。
■■■■■■■以下本文■■■■■■■

歴史を、目的論や結果論でしか考えない歴史学者通俗的物語作家たちは、西郷南洲を、正当に論じることが出来ない。西郷南洲は、明治維新においては大成功者だったが、西南戦争においては大失敗者だった、というのが彼等の西郷南洲論の定番である。誰にも分かりやすいステレオタイプ西郷南洲論である。自分たちから見て、都合の良いところだけを取り出して褒め称える「 いいとこ取り」の思考である。成功した西郷南洲は素晴らしく有能だったが、失敗した西郷南洲は無知無能だった、と。たとえば、司馬遼太郎は、「西郷南洲には学問がなかった 」「 デクの坊 だった」「ウドのタイボク だった 」と言っている。西南戦争での惨敗という結果を見て、ものを言っているのである。むろん、二人の西郷南洲がいるわけではない。西郷南洲は、同じ一人の人間である。人間は「矛盾だらけ の存在」が当然である。この「矛盾だらけの西郷南洲 」をどう描くか、それが問題だろう。小林秀雄の遺作『 正宗白鳥の作について』を読んでいる時に、イギリスの伝記作家リットン・ストレイチーの興味深い話が出て来た。ストレイチーは、こういう趣旨のことをいっているらしい。《優れた評伝を書くためには、資料だけでは駄目だ。「魂の独立 」による「明確なる人格」の発見が必要だ。》つまり、こういうことだろう。西郷南洲という「矛盾だらけの存在 」を、正当に理解するためには、西郷南洲に匹敵するような天才的頭脳と行動力を備えた人間である必要があるのではないか、と。西郷南洲を絶賛する中江兆民福沢諭吉内村鑑三頭山満三島由紀夫江藤淳・・・、そして西郷南洲を「西郷さん 」と愛着と尊敬をこめて呼ぶ一般庶民。p




にほんブログ村 政治ブログへ