文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

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『南洲伝』と『モーゼ伝 』(4)ー西郷南洲もモーゼも「歩く人」だった。死ぬまで「歩き続けた人」だった。目的地があって歩くのではなく、「歩くこと」自体が、彼らの目的だった。
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歴史学者という人種は、「史観 」でしか「 歴史 」や「歴史的人物 」を評価できないようである。大衆通俗小説作家たちも、無意識のうちに史観を根拠に歴史的人物を評価・解釈している。司馬遼太郎がその典型である。そもそも史観とは何か。歴史そのものを見ないで、歴史解釈の図式が初めにあり、その解釈モデルを物差しに、歴史や歴史的人物を評価・解釈しているというこおとである。この解釈モデルが、史観である。ではその歴史の解釈モデル、つまりある特定の史観が、正しいか正しくないか、その判別の根拠は、何処にあるのか。実は何処にもない。たとえば唯物史観東京裁判史観 、近代化論史観、民衆史観、人類解放史観、アジア解放史観・・・。史観は多種多様である。どれが正しいか正しくないかは、単に時代の空気や流行が決めているに過ぎない。小林秀雄は、史観で歴史や人間を、評価・解釈することを激しく批判して、「 批評」というものを作り出した。小林秀雄的思考法を、「 保守反動史観 」ということが出来る。戦前、マルクス主義者やマルクス主義的な階級史観や唯物史観の信奉者たちは、そう言って、つまり、小林秀雄唯物史観批判を 、「保守反動史観」だと言って 、批判、否定したつもりになっていた。その結果、どうなったか。小林秀雄を批判・罵倒していたマルクス主義者や唯物史観の持ち主たちの文章や論文の多くは、歴史の藻屑と消えて行って、今は跡形もない。反対に、彼等に批判・罵倒されていた小林秀雄の文章は、今でも、『 小林秀雄全集』や文庫本として残り、一流の古典的作品として読み継がれている。何故、こういう結果になったのか。歴史や人間を、史観という尺度でしか見ない思考が駄目だったからだ。彼等は、概念や図式でしか物事を考えていなかったからだ。西郷南洲を、進歩的か保守反動的か、平和主義者か軍国主義者か、というような二者択一的な図式で、評価・解釈するような歴史学者たちの思考も、同じだろう。むしろ、歴史学者たちより、西郷南洲を、「西郷さん 」と親しみと畏敬の念を込めて呼ぶ一般庶民の思考こそ、正確に西郷南洲を理解し、評価していると言ってよいだろう。一般庶民は、西郷南洲のここがいい、ここが悪い、などとは言いはしない。西郷南洲の全体を「西郷さん」と呼ぶのだ。

( 続く)






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