文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

【山崎行太郎『南洲伝 』断片的草稿より】 ■西郷と流刑時代(6) 西郷は 、奄美大島で召喚状を受け取ると、即座に薩摩藩へ 帰還、そして、大久保利通等が中心になって推進していた「島津久光の上洛」に帯同する。 西郷は 、奄美大島で召喚状を受け取ると、即座に薩摩藩へ 帰還、そして、大久保利通等が中心になって推進していた「島津久光の上洛」に帯同する。しかし、先導役として鹿児島を先発するが、「 下関で待て 」という約束だったのを無視して、京都で、薩摩藩の若い勤王過激派( 有馬新七、柴山愛次郎、橋口荘助、橋口伝蔵

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山崎行太郎『南洲伝 』断片的草稿より】
■西郷と流刑時代(6)
西郷は 、奄美大島で召喚状を受け取ると、即座に薩摩藩へ 帰還、そして、大久保利通等が中心になって推進していた「島津久光の上洛」に帯同する。

西郷は 、奄美大島で召喚状を受け取ると、即座に薩摩藩へ 帰還、そして、大久保利通等が中心になって推進していた「島津久光の上洛」に帯同する。しかし、先導役として鹿児島を先発するが、「 下関で待て 」という約束だったのを無視して、京都で、薩摩藩の若い勤王過激派( 有馬新七柴山愛次郎、橋口荘助、橋口伝蔵、弟子丸龍助、西田直五郎・・・)が不穏な武力行使の動きをみせていたために、彼等を説得し沈静化するべく大阪を経て京都へ急行した。西郷は、自分なら、過激派の突出( クーデター )を抑えらると考えたからだ。しかし、それが約束違反の独断専行ということで、「島津久光の怒り」をかう。以前から険悪な関係だった西郷と島津久光。いよいよ西郷切腹か? その時 、大久保利通は、どんな行動をとったか? あるいは、島津久光に「西郷情報」を伝えたのは誰か? 西郷は、過激派の親分になるべく京都を目指した、と「告げ口 」「 讒言」したのは、島津久光の側近だった有村俊斎(海江田信義に改名、有村三兄弟の長兄 )等であった。一方、島津久光の側近中の側近(ブレーン )として島津久光の言動に強い影響力を持っていた大久保利通は、どういう役割だったのか。島津久光の怒りを見て、「 西郷切腹 」を予感した大久保利通は、西郷を海辺に呼び出し、 「 ついに来るべきものが来た。責任は私にある。二人で、ここで刺し違えて死のう。」と「心中」を呼びかけた。西郷は拒否した事になっている。大久保のこの言葉が、どの程度の真剣なものだったか、その真意がどういうものだったのか、私は、疑問に思っている。しかも、この話が表に出るのは、西南戦争で、西郷が憤死=戦死した直後、大久保自身の口からだ。私は、これは大久保の猿芝居だったのではないかと思っている。井上清も、『西郷隆盛 』(中公新書 )で、この話について、「 うまく出来すぎている 」と疑問を呈している。私も 、この点にかんする限り 、井上清の説が正しいと思う。大久保の猿芝居か、あるいはこの話自体が大久保の虚言か捏造だったのではないか、と。いずれにしろ、西郷は、この時、切腹も心中をまぬがれ、再び「 遠島処分」となって徳之島へ、二度目の島流しとなった。そして、その直後、西郷不在の中で起きたのが 、薩摩藩士たちの「同士討ち」( 仲間殺し )とも言うべき『 寺田屋事件』である。この『 寺田屋事件』を主導したのは島津久光だったと言われているが、この時、大久保利通はどうしていたのか。西郷事件の責任をとって、謹慎中だったと言われているが・・・。私は、大久保が、この「白色テロ」とも言うべき惨劇『 寺田屋事件』に無縁だったとは思わない。薩摩藩の過激派は、島津久光の側近になって、島津久光の上洛作戦を主導していた大久保を、「 優柔不断で、救い難い」と批判し、大久保の言う事を聞こうとしくなっていたからだ。そこで、島津久光=大久保利通政権側が、過激派処分という直接行動に出た、というわけだ。私は、ここに西郷と大久保の違いああると思う。西郷は、決して、「政敵潰し」や「ライバル潰し 」に暴力やテロは使わない。武力行使をちらつかせて、脅迫することはあるが・・・。しかし、大久保や島津久光は違う。後に、政敵=江藤新平を、「 佐賀の乱」に追い込み、乱を鎮圧後、自ら現地に乗り込み、裁判もそこそこに、江藤新平を「 惨殺」し、「晒し首 」にしたように、大久保は、説得するのではなく、冷酷無残に切り捨てる。征韓論から西南戦争に追い込んで、西郷や村田新八桐野利秋ら、昨日までの仲間や「 親友」(笑)たちを、皆殺しにした事件は、言うまでもないだろう。大久保の政治は 、政治力や説得力を持たない覇道政治であるが故に、スターリン的な恐怖政治になる。西郷と異なるところだろう。西郷がいれば、『寺田屋事件 』も起きなかった可能性は高い。寺田屋事件で、惨殺されたのは、少年時代から共に政治活動をしてきた、有馬新七柴山愛次郎、橋口伝蔵・・・など、西郷や大久保以上に有能、勇敢な、若い薩摩藩士たちだった。寺田屋事件の現場にいて、生き延びた薩摩藩士たちの中には大山巌西郷従道らもいたのである。「 島津久光独裁政権」や「大久保独裁政権」を確立するためには、仲間の過激派たちを惨殺=処分する必要があったのかもしれないが・・・。私は、政治的能力の欠如した二流、三流の政治家が権力を握る時、「 独裁政権」と「恐怖政治 」が成立すると思う。余談だが、小泉純一郎政権や安倍晋三政権も似ていると言えるかもしれないと思う。田中角栄小沢一郎の政治と比較して見ると良い。しかし、司馬遼太郎のような幼稚・稚拙な通俗小説家や近代合理主義者は、そうは考えないらしい。明治のジャーナリストの徳富蘇峰も「 大久保の知と西郷の胆・・・」などと言っている。徳富蘇峰も間違っている。正確に言うと、西郷の「 胆」は、「 知」あっての「 胆」であって、「知『 』の欠如した「胆 」ではない。西郷の政治は「王道政治 」であって、大久保的な、あるいは島津久光的な「 覇道政治」ではない。

( 続く)



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