文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

■島津斉興と島津斉彬と島津久光■幕末薩摩藩の「 父と子 」の物語(4 )。江藤淳と司馬遼太郎。 西郷や大久保が登場する以前の薩摩藩の歴史は、あるいは島津家の歴史は、切腹と介錯の歴史であった。つまり「 死」が隣合わせの歴史であった。常在戦場という言葉があるが、常に切腹するか介錯されるかを自覚しないでは、一日も生きていられないのが薩摩武士たちだった。「 武士道とは死ぬことと見つけたり 」という『 葉隠』の武士道が実践されていた。少年=西郷の歴史も、お由羅騒動で、切腹を命じられた遠縁の赤松靱負の切腹事件から始

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島津斉興島津斉彬島津久光■幕末薩摩藩の「 父と子 」の物語(4 )。江藤淳司馬遼太郎

西郷や大久保が登場する以前の薩摩藩の歴史は、あるいは島津家の歴史は、切腹介錯の歴史であった。つまり「 死」が隣合わせの歴史であった。常在戦場という言葉があるが、常に切腹するか介錯されるかを自覚しないでは、一日も生きていられないのが薩摩武士たちだった。「 武士道とは死ぬことと見つけたり 」という『 葉隠』の武士道が実践されていた。少年=西郷の歴史も、お由羅騒動で、切腹を命じられた遠縁の赤松靱負の切腹事件から始まっている。赤松靱負の介錯をしたのは、西郷の父だった。歴史は物語である。単なる史実や資料だけでは歴史は成立しない。ヘーゲルは、そのことを、よく知っていた。後にヘーゲルの歴史は、マルクスなどを通じて 唯物史観として後世に大きな影響を与えることになるが、ヘーゲルは『 歴史哲学講義』で、「事実としての歴史 」は歴史ではない、と言う。つまり、歴史は解釈なくしては歴史ではない。歴史は、歴史哲学があって初めて歴史にになるのだ。そうだとすると「 解釈者」自身の思想や哲学、つまり世界観や価値観が問題になる。司馬遼太郎の『 翔ぶが如く』を読むと、司馬遼太郎の「解釈 」で成り立っている。そこには司馬遼太郎通俗的な 、安っぽい思想や哲学が、過剰に溢れている。では、司馬遼太郎の思想や通俗的な、安っぽい哲学とは何か。司馬遼太郎の思想や哲学は、戦後民主主義的な近代化論である。それは、「勝てば官軍」的な勝者史観でもある。西南戦争という負け戦を戦った西郷や薩軍、薩人は、すべて否定と侮蔑の対象でしかない。逆に官軍側の大久保利通川路利良が 、「洋行帰りの近代主義者」として肯定的に美化されれて描かれる。彼等は、欧米遊学や欧米視察で、欧米文化と欧米的な近代化論をよく知っていた、と。彼等が勝つのは当然である、と。言い換えれば、「 平和と長生きの哲学 」である。これに対して、江藤淳の『南洲残影 』は、全く違う。江藤淳は、「 負け戦 」を戦った西郷や薩軍や薩人を高く評価する。江藤淳は、名前こそ出していないが、司馬遼太郎的な近代化史観を批判していることは間違いない。江藤淳は、司馬遼太郎が否定的に描く西南戦争を、むしろ逆に、西南戦争だけに拘り、西南戦争を戦ったところに西郷やその仲間たちの「 偉大さ 」があると言う。司馬遼太郎とは、全く違う思想や哲学に依拠していると言っていい。どちらが正しいか、どちらが間違っているかが問題ではない。それぞれ 依拠している思想や哲学、あるいは史観が問題なのだ。江藤淳は、「 失敗」を否定的に捉える司馬遼太郎とは逆に、「 失敗 」に歴史的意義を認め、むしろ「 失敗 」したり、「 負ける」ことを高く評価する。つまり、「 死の哲学」と「 敗者史観」。江藤淳は、司馬遼太郎的な「 成功 」や「勝ち 」にしか価値を置かない史観を否定する。

《もとよりそれは、前車の轍を踏むな、今度はこうすれば必ず成功する、というような実際的教訓のようなおのではあり得ない。昭和二十年八月十五日このかた今日にいたるまで、そういう小賢しげな教訓が飽きもせず繰返され過ぎては来なかったか。明治の成功と昭和の失敗というような安易な対比が、われわれの心の中に浸透し過ぎてはいないだろうか。》( 江藤淳『定本 南洲残影 』)

「明治の成功と昭和の失敗 」とは何か。まさに、それこそ 、司馬遼太郎的な大衆通俗歴史小説のテーマである。「 明治維新の成功と西南戦争の失敗」と言い換えてもいい。戦後、高度成長期のサラリーマンのバイブルだったという司馬遼太郎。今でも定年退職老人達が愛読する司馬遼太郎

《つまり、今日の日本人は、それほど成功を求めるのに急で、失敗に直面するのを恐れている。》( 江藤淳『定本 南洲残影 』)

西郷は、明治維新で成功したから偉いのか。西南戦争で失敗したから愚かなのか。言うまでもなく、西郷は 、西南戦争で「 失敗」したから偉いのである。

《西郷は、あの勝ち目のない戦いを戦いぬくことによって、いったい何をいおうとしているのか。それはそもそも言葉になるのか、しからざるか。》( 江藤淳『定本 南洲残影 』)

われわれが、西郷の生き方から学ぶべきものは何か。そもそも、西郷は、何故、「 西郷さん」になったのか。明治維新で成功したからか。西南戦争で失敗したからか。西郷は、城山で惨めに戦死( 介錯 )することによって、「 西郷さん」という神話的人物になったのである。西郷の「 失敗の哲学」と「 死の哲学 」を理解出来ずに、批判=罵倒するしかない司馬遼太郎と、西郷の「失敗の哲学 」と「死の哲学」に注目する江藤淳との違いは何処にあるのか。私は、大衆文学と純文学との違いだと思う。文学にさほどの関心も興味もない一般大衆にとっては、「大衆文学と純文学との違い 」など、問題にもならないだろう。同じじゃないかと言うのが、一般的な感想だろう。読書家であっても、何を細かいことにこだわっているのだというのが、正直な感想だろう。しかし、この「 大衆文学と純文学との差異」は、決して小さくないのだ。分かる人にしか分からないだろう、とでも言うしかない問題かもしれないが、実は、「 西郷とは何か」という問題の本質は、そこにしかないのだ。司馬遼太郎的な大衆娯楽小説では描けない問題が、江藤淳三島由紀夫等の「純文学 」には描けるのだ。三島由紀夫江藤淳も、最後は「自死 」の道を選んでいる。私には、二人とも、西郷の「死の哲学 」を反復しているようにしか見えない。

( 続く)


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