文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

●「桐野利秋」抜きに西郷は語れない。(1 )( 『 小説・南洲伝』断片的 草稿より)● 西郷の周辺にいて、世間の「悪評 」を一身に背負いながらも、西郷を最後まで守り続けていた男がいる。鹿児島県の農村地帯「吉野村 」(現在は鹿児島市内吉野 )の外城士( 郷士 )の家に生まれ、教育もまともに受けていないと言われているが、剣の腕は抜群で、幕末の動乱期には「 人斬り半次郎 」と呼ばれ、恐れられていたらしい男 、それが桐野利秋である。鹿児島

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桐野利秋」抜きに西郷は語れない。(1 )( 『 小説・南洲伝』断片的 草稿より)
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西郷の周辺にいて、世間の「悪評 」を一身に背負いながらも、西郷を最後まで守り続けていた男がいる。鹿児島県の農村地帯「吉野村 」(現在は鹿児島市内吉野 )の外城士( 郷士 )の家に生まれ、教育もまともに受けていないと言われているが、剣の腕は抜群で、幕末の動乱期には「 人斬り半次郎 」と呼ばれ、恐れられていたらしい男 、それが桐野利秋である。鹿児島市内の加治屋町が西郷の出身地で、そこで生まれ育った西郷の先輩や後輩や仲間たちからは、大久保利通大山巌西郷従道などを初め、多くの偉人たちが輩出しているが、桐野利秋は、下級武士とはいえ、城の周辺に在住する「城下士」たちからは、一段も二段も低く見られ 、侮蔑的扱いを受けるような「外城士 」という立場にあった。同じく吉野村出身者に別府晋介がいる。城山で、最後の最後に、西郷の介錯をした人である。「 晋ドン、もうここで、よかが・・・」という西郷の最後の言葉とともに、多くの日本国民に記憶されている「 晋ドン」である。桐野利秋別府晋介も、加治屋町の人ではなかった。私は、ここに、西郷の人間的本質が出ていると思う。西郷が加治屋町の仲間たちを寄せ付けなかったのか、加治屋町の仲間たちが、最後に西郷を見捨てたのか、はっきりとは分からないが、いずれにしろ、西郷を、最後の最後まで、守り続けていたのが、桐野利秋であり、別府晋介という田舎侍であったという歴史的事実は重要な事実である。西郷は、西南戦争の軍事的指揮を、桐野利秋に任せている。全幅の信頼を寄せている。西郷が、桐野利秋という人物をどう評価していたかは明らかである。西郷は、桐野利秋について、「桐野に もう少し学問があったら、私を超えていただろう。 」(『中村に学問の造詣あらしめば、到底おいの及ぶところではなか 』 )と言ったというが、あながち、お世辞ではあるまい。しかし、多くの歴史学者通俗的歴史小説家は、桐野利秋を、「教養も戦略もない粗野な野人」として描いている。実は、この「 教養も戦略もない粗野な野人」というイメージは、西郷に対するイメージでもある。私は、そのイメージの当否はともかくとして、そいう イメージでしか、西郷や桐野利秋の思想や人格を捉えぬことのできない歴史学者通俗的歴史小説家の思想的限界を強く感じる。何回も取り上げて恐縮だが、岩波新書の『 西郷隆盛』論で、西郷を見下して、悪しざまに論じている圭室諦成(たまむろ.たいじょう )は、こう書いている。日本の歴史学者の思想的レベルを判断する上で、参考になるかもしれない。

《とにかく西郷は肝のきまった人ではあるが、転換期の日本を指導するだけの叡智をそなえた人物ではなかった。維新までの西郷は、すぐれた同僚・先輩にめぐまれていた。たとえば島津斉彬勝海舟大久保利通など。そしてかれらの助言のままに行動することによって、あれほどの功績をあげることができたのである。しかし維新以後、自分の功業にたいする自惚がつよく頭をもたげると、しだいにすぐてた助言者を遠ざけ、鹿児島士族的なせまい視野しかもたぬ子分たちに取りかこまれて、有頂天になっていまった。》( 圭室諦成『 西郷隆盛岩波新書 )

西郷が、幕末から明治維新にいたる時代に活躍できたのは、「優秀な助言者」だいたからであり、西南戦争で失敗したのは、西郷の周辺に集まってきた助言者が無知蒙昧だったからだ、ということらしい。西南戦争の際の助言者の一人は、桐野利秋だった。西南戦争は、桐野利秋が引き起こした戦争であるという司馬遼太郎的な解釈もある。いずれにしろ、桐野利秋を評価する歴史学者もいなければ、通俗的歴史小説家もいない。そういう意見と解釈の典型的な歴史学者が、圭室諦成(たまむろ.たいじょう )である。私は、圭室諦成の『 西郷隆盛』(岩波新書 )を批判するために、わざわざ引用しているわけではない。東大国史学科卒の歴史学者が、岩波新書の一冊として刊行した本の、あまりにも荒唐無稽な「ブザマな内容」を確認してもらいただけである。おそらく、圭室諦成のように、考える人もかなりの数、いるだろう。しかし、歴史学者の考えていることは、こんなものなのだ。さすがに、岩波新書編集部も、あまりにもくだらない内容に気づいたのだろう。この『西郷隆盛 』を絶版にして、新しい著者( 猪飼隆明 )の『西郷隆盛 』に差し替えている。しかし、猪飼隆明の『 西郷隆盛』論も、それほど極端ではないが、似たようなものである。講座派史観か労農派史観か知らないが、極端な「民衆中心史観 」である。江藤淳が、揶揄しつつ厳しく批判している。

《講座派史観では、西南戦争を薩摩の野人が西郷をかついで起こした叛乱だ、不平士族の叛乱だというふうに割り切って見ている。中でもひどいのは、圭室諦成という鹿児島大学の教授だった人がいますが、岩波新書の『西郷隆盛』にしても、至文堂の『西南戦争 』にしても、つまり、西郷は無知蒙昧なバカだと書いている。無知蒙昧であんなことできるわけないですよ。》(『定本 南洲残影』 )

「無知蒙昧なバカ 」と思われているのは西郷だけではなく、桐野利秋も同じだろう。江藤淳は、桐野利秋についても、こう言って弁護している。

《ですけれど、これまた魅力的ですね。ぼくは桐野利秋についてはいろんな世評の影響を受けていましたから、ただ人を斬るのが好きなだけの野蛮な人だと思っていたら、この本を書いているうちに、これは軍人の鑑だと思いましたね。これじゃなければダメだ、と。》(同上 )


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