文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

「桐野利秋」抜きに西郷は語れない。(2)( 『 小説・南洲伝』断片的 草稿より) 桐野利秋については、根拠の無い「 風評」や「誹謗中傷」が少なくない。「 人斬り半次郎」とか「 無学文盲」という類の「 風評」である。しかし、これらの風評に、史料的根拠はとぼしい。

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桐野利秋」抜きに西郷は語れない。(2)( 『 小説・南洲伝』断片的 草稿より)
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桐野利秋については、根拠の無い「 風評」や「誹謗中傷」が少なくない。「 人斬り半次郎」とか「 無学文盲」という類の「 風評」である。しかし、これらの風評に、史料的根拠はとぼしい。桐野は、まともな教育を受けておらず、漢字もろくに読めなかったとか、書けなかったかいう話もあるが、桐野利秋には、詳細な日記や手紙があることから、それらが、根も葉もない「 誹謗中傷」であることが分かる。桐野には、禁門の変の頃から 戊辰戦争に至るまでの日記が存在する。しかも、桐野は、ほぼ毎日、日記を書いているが、その内容も、他の記録類と照合しても間違ったことは書いていない。桐野利秋( 中村半次郎 )の『 京在日記』 。貴重な史料である。桐野は、有名な江戸城無血開城においても 、重要な役割を果たしているが、日記の記述は正確である。西郷と山岡鉄舟勝海舟の会談の席にも、同席している。また、江戸城の明け渡しの官軍側の現場の最高責任者も、桐野利秋だった。勝海舟桐野利秋の間で、引渡しは行われている。これまた、あまり知られていないが、会津戦争の最終処理を、官軍側の最高責任者として行ったのも 、桐野だった。「 人斬り半次郎」という「風評 」もかなり怪しい。この話の出どころは、不明である。少なくとも桐野利秋( 中村半次郎 )が 、薩摩示現流の使い手で、幕末の京の街で、恐れられていた剣豪だったことは事実だろうが、人を斬り殺したという話は、あまり聞かない。「 人斬り半次郎」という噂を裏付ける歴史的資料がない。いつ、誰を、どういう状況で、斬り殺したのかという具体的史料である。犯人不明の闇討ちや辻斬りの類の実行者を、それなら、おそらく、「中村半次郎に間違いない」という「都市伝説」(笑)でもあったのかもしれない。司馬遼太郎も、桐野利秋について、『 翔ぶが如く』で、幕末の「都市伝説 」を真に受けて、こう書いている。

《桐野は本来の闘争者で、幕末においては他人の生命を断つことは平気だった。ただ幕府方の刺客団体である新撰組が多数をもって一人にむかう戦闘方式だったのに対し 、桐野はつねに一人で戦い、相手のいのちと自分のいのちとを賭け物にして健闘した。そのあたりが、桐野が幕末の他のテロリストと異なる点であったであろう。》( 『 翔ぶが如く』文春文庫10 )

司馬遼太郎の「真っ赤な嘘」である。司馬遼太郎先生よ、資料や典拠を示してもらいたい。と思うが無理だろう。噂話や都市伝説を信じ込みやすい歴史学者通俗的歴史小説家の限界である。そもそも、桐野利秋は、かなり用心深い男で、つねに、単独行動を避け、二、三人の仲間たちとともに行動していた。いくら剛腕の剣豪とはいっても、不意打ちや、集団で、突然、襲いかかれたりしたら、負けるに決まっている。桐野利秋は、そこまで、自らの剣に溺れるような単純素朴なロマン主義者ではなかった 。桐野利秋が、戦乱と殺戮の時代を生き延びることが出来たのは、彼が、単独行動を避けるような、用心深いリアリストだったからだろう。西郷が、桐野利秋に全幅の信頼を寄せた理由は、ここらあたりにあった。西郷の往く先々に、桐野利秋はあった。西郷も桐野も、ともに、多弁ではなかった。自らの功績を自慢しなかったし、書き残そうともしなかった。西郷は、ゼニカネ的な人間が嫌いであったし、口先ばかりの人間が嫌いであった。




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