文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

●桐野利秋の『桐陰仙譚』を読む。( 1 ) ( 『小説・南洲伝 』断片的 草稿より。) ●西郷も桐野利秋も、手紙類以外に、著作や日記などの書き物を残していない。書や詩文が残っているだけである。特に西郷は、写真さえ残していない。西郷は、意識して残さなかったのかもしれない。古い話になるが、イエスや孔子なども残していない。言行録が残っているだけである。だから、西郷や桐野利秋に関する情報は、本人のものではなく 、周辺の人物たちの証言や記録でし

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桐野利秋の『桐陰仙譚』を読む。( 1 )
( 『小説・南洲伝 』断片的 草稿より。)
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西郷も桐野利秋も、手紙類以外に、著作や日記などの書き物を残していない。書や詩文が残っているだけである。特に西郷は、写真さえ残していない。西郷は、意識して残さなかったのかもしれない。古い話になるが、イエス孔子なども残していない。言行録が残っているだけである。だから、西郷や桐野利秋に関する情報は、本人のものではなく 、周辺の人物たちの証言や記録でしか触れることが出来ない。そこに、様々なバイアスがかかることは当然である。従って、西郷や桐野利秋が、本当は、何を考えていたのか、何をしようとしていたのかは、詳しくは分からない。その行動の軌跡か、あるいは聞き書きの発言録を、追究していくしかない。たとえば、西郷に『『南洲翁遺訓 』があるように、桐野利秋にも、最近、発見された『在京日記 』や『 桐陰仙譚』( とういんせんたん)がある。『 桐陰仙譚』は、明治八年、鹿児島を訪ねた石川県士族の石川九郎と中村俊次郎が、桐野利秋から聞き取った話を筆記したものである。話は横道にそれるが、大久保利通が紀尾井坂の変で、石川藩士・島田一郎に刺殺されたことはご存知のことと思うが、石川藩と大久保利通暗殺事件・・・とは無縁ではなかった。さて、桐野利秋は、その『桐陰仙譚 』で、明治六年の征韓論騒動について、かなり詳しく語っている。征韓論騒動を、西郷や桐野利秋の側から見た貴重な資料である。しかし、例によって、大久保政権や明治政府側の史料や文献に依拠する司馬遼太郎は、取るに足らない資料として無視・黙殺している。「近代主義開明派」と「封建主義的 守旧派 」の対立を基本構造として、「 近代主義開明派」、つまり政府側を擁護する、いわゆる「司馬史観 」にとっては都合が悪いのであろう。では、桐野利秋は、何を語っているのだろうか。その前に、桐野という人物とその風貌について書いておこう。「 人斬り半次郎」という「 風評 」があるが、桐野は、その風評から連想できるような「粗暴な野生児」という、ステレオタイプな印象からはかけ離れた人物だった。「人斬り半次郎 」という伝説は、大きく間違っている。桐野は、鹿児島の吉野郷という片田舎育ちの下級武士ではあったが、実は、長身の美男子であった。立ち居振る舞いも、身だしなみも、野蛮、粗暴なところはなく、極めて、優しいハイカラな男だった。桐野利秋というと、「無学文盲 」で 、漢字もろくに書けなかったという噂も、定着しているが、それも真っ赤な嘘である。いずれにしろ、何故だかわからないが、桐野利秋には、実態とかけ離れた、根も葉もない、悪い噂が多い。これも、大久保政権側の情報操作の一環としての政治的プロパガンダなのか。西郷が最も信頼する部下=桐野利秋を人格的に貶めることによって、間接的に西郷を貶め、西郷の政治力と民衆的人気を、無力化するという陰謀なのか。その可能性がゼロではないだろうと、私は思う。さて、『 桐陰仙譚』に戻る。桐野利秋は、まず、こう言っている。

《野生( 注・桐野のこと )等が職を辞したのは、世人の伝えるように征韓をもって口実とするものとは、事情は少し異なる。もとよりその議論、征韓の趣意に根ざすといえども、即兵を挙げてこれを征すべしと言うものではない。・・・》

桐野利秋が言うように、西郷や桐野利秋の言う「征韓論 」は、「征韓論」( 軍事行動 )ではなく、最近、よく言われるようになった「遣韓論 」(平和的外交交渉 )にほかならなかった。しかし、大久保等は、西郷の「征韓論 」が、軍事行動であり、軍事侵略であるかのように言い換えようとした。西郷や桐野等が下野し、鹿児島に帰郷後は、御用マスコミを使って、西郷等の征韓論は、「征韓論=軍事侵略 」にほかならなかったと宣伝した。しかし、西郷等は、「軍事行動=軍事侵略」をしたかったわけではない。桐野が反論したということは、当時、御用新聞などがそう書き立てていたということだろう。桐野利秋は続ける。

《必ずまず全権公使を発し、前年来彼国が我が使節を陵辱し、国書を脚け、これに加えて漫言暴状至らざるなきの罪状を挙げ、万国公法に背き、親睦の倫理を傷ぶるのを咎責し、彼国に要するにその非礼を謝罪させ、今後日本に対し隣国の交誼親信を尽くさせることをもってする。しかし、頑陋の彼国はますます暴慢に募り、必ず我が公使を殺害するであろう。ここにおいて、その旨を国内に広付し、また同盟各国に檄示し、公然兵を挙げ、彼国の至罪を鳴らし、もってこれを征すべしとの議論であって、西郷参議は自ら全権公使の命に当らんと言い、野生は、またこれに服従せんと欲したのである。》

たしかに、この発言の後半を見れば、軍事行動や軍事侵略を視野にいれていたとも読み取れる。が、しかし、よく読むと、あくまで前半の「 話し合い」の部分に重点があることが分かるだろう。二年後に、大久保政権は、「 江華島事件 」という問答無用の軍事行動を起こし、武力を背景に「日朝修好条規 」を結ぶ。大久保政権は、この前には「 台湾出兵」という軍事行動も行っている。大久保政権がやったことは、大久保が批判していた西郷や桐野利秋等の「 征韓論 」より、もっとヒドイものだったと言わなければならない。このことからも分かるように、「 征韓論騒動」とは、朝鮮半島への軍事行動や軍事侵略がどうのこうのという問題が、中心的テーマだったわけではない。洋行帰りの大久保等が仕掛けた「権力奪還闘争」だった、と私は考える。大久保利通は、この「 征韓論騒動 」を通じて、西郷を相手に執拗に陰謀と謀略を仕掛け、最後まで妥協せずに 、反論と反撃を繰り返している。大久保等は、明治天皇まで巻き込んで「西郷政権潰し」を画策し 、結局、天皇を政治利用し、明治維新の最大の功労者・西郷を政府から追放し 、抹殺することになる。私は、「 征韓論」がそれほど重大問題だったとは思わない。やはり、「 征韓論 」をネタにした大久保利通伊藤博文等による「 権力奪還闘争」だった可能性が高いと見ざるを得ない。二年後には、「江華島事件 」を引き起こし 、ほぼ同じことをやるのである。歴史学者だという家近良樹は、大久保政権による「江華島事件 」と「 日朝修好条約 」を念頭に、

《西郷は、こと外交面にかぎっては大久保に完敗したと言える。》( 家近良樹『西郷隆盛 維新150年目の真実 』 NHK新書)

と書いている。えっ?「自称・歴史学者」って、そういう風に考えるのか 。とんでもない暴論である。征韓論をあれほど批判した大久保政権が、一年後、二年後には、「台湾出兵」と「 江華島事件」という外征という軍事行動を起こすのだ。大久保のやる征韓論は正しい征韓論だとでも言いたいのか。 歴史学者」の思考力って、幼稚・稚拙だね。笑った。


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