文芸評論家=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

文芸評論家。哲学者。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『小説・南洲伝』『 小林秀雄とマルクス』『毒蛇山荘日記(1 ) 』など。

■桐野利秋の『桐陰仙譚』を読む。(2) ■( 『小説・南洲伝 』断片的 草稿より。) ■桐野利秋の『桐陰仙譚』を続ける。当時の日本を取り囲む国際情勢について、桐野は、まともな議論を展開している。当時、桐野は、陸軍少将だった。だから、当然、軍事力や武力をちらつかせてはいる。しかし、桐野の「征韓論 」( 正確には「遣韓論」)は、軍事力を全面に出した「 軍事侵略 」論ではない。「革命の輸出」論でもない。つまり、朝鮮半島への武力征伐論を主張してはいない。 《 世界の

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桐野利秋の『桐陰仙譚』を読む。(2)
( 『小説・南洲伝 』断片的 草稿より。)
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桐野利秋の『桐陰仙譚』を続ける。当時の日本を取り囲む国際情勢について、桐野は、まともな議論を展開している。当時、桐野は、陸軍少将だった。だから、当然、軍事力や武力をちらつかせてはいる。しかし、桐野の「征韓論 」( 正確には「遣韓論」)は、軍事力を全面に出した「 軍事侵略 」論ではない。「革命の輸出」論でもない。つまり、朝鮮半島への武力征伐論を主張してはいない。

《 世界の情勢が弱肉強食のときに、日本は東洋海中に孤立し 、二千五百有余年の国風に慣習し、未だ五大陸の情勢を熟知しない。また、国力兵備人心は弱く、皇国独立の気概がない。なおこのごとくして因循推移すれば、多年ならずして他国の隷属となるのは明らかである。日本を各国と並馳させ、世界に独立させようと欲するなら、戦闘攻伐して海外に渡り、まず欧州各国の間に縦横し、威力を較し、もって万国に並立するしかない。今や英・仏・普・魯のごときは、各校相持して力を支那・朝鮮・満州の間に及ぼすに暇がないが、日本はその間に乗じ、その侵入する基を断つべきである。》( 『桐陰仙譚』 )

■これは、欧米近代国家が、帝国主義の牙を剥き出しにして、東アジアに迫っていた時代の話である。桐野の国際情勢論が間違っているだろうか。桐野は、日本がどうすれば、独立国として独り立ちできるかを説いている。戦後の平和主義や民主主義を基準にすれば、疑問がないわけではないが、当時の国際情勢論として見るならば、荒唐無稽な「暴論」だとは思わない。

《 しかし、戦闘のことは必ず名義を踏み正理真道をとらねば、敵軍を圧するに足らず。苟も、兵を頼んで国内外の批評を招くときは、すなわちこの国は滅ぶだろう。》( 『桐陰仙譚』)

■この『桐陰仙譚』という史料が歴史的史料として信用に足るものであるとすれば、さらに桐野の発言に、嘘や虚飾がないとすれば、ずいぶん、世間や歴史学者の間で流布されている話と違うことがわかるだろう。桐野は、万一、話し合いによる交渉が決裂し、軍事力を使うことがあるとしても、国内外が納得する「 名義 」が、つまり「 大義名分 」が必要だと言っている。問答無用の軍事侵略は良くない。そういうことをすれば、「 国は滅ぶだろう」と言っている。さて、このあたりの問題について、司馬遼太郎は、『 翔ぶが如く』で、どう書いているだろうか。司馬は、征韓論の中身はともかくとして、西郷、桐野等の「征韓論」そのものについて、こう書いている。

《 この征韓論はこの時期の日本の現実からいっても、端的にいって愚論でしかない。 》(『 翔ぶが如く』文春文庫(三巻)p145 )

■私は、司馬遼太郎征韓論の評価に反対はしない。司馬が、何故、征韓論を「 愚論だ」と断言出来たのか、つまり、「 愚論だ」と考えたということに興味を持つ。私の見方では、司馬は 、「初めに欧米視察組ありき 」の前提でしか、この時の征韓論を考えていない。要するに、征韓論の中身ではなく、岩倉具視木戸孝允大久保利通伊藤博文等の「欧米視察組」と、西郷隆盛板垣退助江藤新平等の「国内組=留守政府組」との対立としてしか見ていない。そして、欧米視察組を「近代化=開明派 」、国内残留組を「 封建主義=守旧派」という図式。司馬遼太郎にとっては、欧米視察組は、国際情勢の現実を見て来たから、彼等の言うことが間違うはずがない、正しいはずだと思い込んでいるのだ。逆に国内組=留守政府組は、国際情勢の現実を知るはずがない、と。そうでなければ、翌年、あるいは翌々年、大久保政権が行った台湾出兵朝鮮出兵(江華島事件 )もまた「 愚論 」「 愚策」であるはずだからだ。しかし、司馬はそうは言っていない。一、二年で、国際情勢は、あるいは国内の財政状況は激変したとでも言うのだろうか。そんなはずはない。司馬遼太郎は、「 台湾出兵」や「 江華島事件 」という軍事行動を、批判していない。

《桐野には、むろん著書はない。しかし石川県士族中川九郎と同中村俊次郎とが筆記した桐野の口述のものがのこっている。
征韓論の顛末 」
という仮題のもので、一問一答形式になっており桐野は大いに当時の具体的状況を踏まえての世界政略を説いている。そのじょ術はたくみで論旨はいかにも痛快だが、日本の当時の政情の説明においてすら事実誤認が多く、各国の情勢を論断するあたりもひどく粗大で、とうてい一国の運命をゆだねることのできるような論説ではなさそうである。それに同時代の板垣退助などの評価が粗略で、西郷に心酔する以外にほとんど人物眼をもたなかったのではないかとおもわれる。 》(『 翔ぶが如く』 )

司馬遼太郎は、桐野利秋を問題外の人物として、論ずるに値しないと考えているようである。史料( 『桐陰仙譚』)を読んだのかさえ、疑いたくなるような書き方である。私は、桐野の国際情勢論や国内政情の理解が優れているとは思わないが、しかしまた、それほど劣っているとも思はない。何故、司馬が、引用文を示しもせずに、頭ごなしに、桐野の談話( 『桐陰仙譚』)を批判、愚弄するのかが 不可解である。私は、むしろ、司馬遼太郎の国際情勢や国内政情の認識そのものを疑いたくなる。岩波新書として、1960年に刊行された、圭室諦成(たまむろ.たいじょう )の『西郷隆盛 』にも、こう書かれている。この『 西郷隆盛』は、岩波新書として刊行されたこともあって、かなり大きな反響を呼び、それなりの影響力を持ったと思われる。現在は絶版になっているが、歴史的文献として面白い本である。

《 遣韓使節を送って非理をせむれば、韓国はかならず使節を暴殺するであろう、そこで大義名分のうえに立って出兵し、韓国を占領しよう、という考え方である。このあたり、鹿児島士族の頭領をもって任ずる西郷の面目躍如たるものがある。徴兵制の実施に憤激して、征韓論に血道をあげている桐野利秋ら鹿児島士族のために、一身をなげうって火付け役を買い、日韓戦争のきっかけを作ろうという西郷の決意は悲壮である。しかしそれは大政治家のとるべき態度ではない。》( 圭室諦成『西郷隆盛岩波新書1960ー)

■この岩波新書の『 西郷隆盛』が、何故、絶版になったのか分からないが、私は、1960年代に、こういう西郷隆盛論があり、それなりの影響力を持ったという歴史的事実を知るためにも、是非とも、復刊してほしいと思う。賛成するか反対するかはともかくとして、こういうことを平気で書くのが東京帝国大学国史学科卒の歴史学者だということを、知っておくべきだろう。私は、1970年の版を持っているが、実に面白い。私は、司馬遼太郎も確実にこの『 西郷隆盛』論を読んで、ある程度、影響を受けていると思う。今、読み返してみると、明らかに、おかしい。西郷の「征韓論 」は、日韓戦争と韓国占領を視野に入れていたとか、《西郷の意見ははじめから、和親ではなく侵略であった。 》とzいうあたりになると、さすがに、妄想たくましいですな、と思わないわけにはいかないが、面白い分析だとは思う。いづれにしろ、歴史漫談作家( 司馬遼太郎 )にせよ、東大国史学科卒の歴史学者(圭室諦成 )にせよ、あまり、信用できない人種だと言わざるを得ない。東大国史学科卒の歴史学者なら信用出来ると思う人は少なくなくないかもしれないが、むしろ逆だろう。東大国史学科卒の歴史学者だからこそ信用出来ないのである。東京帝国大学国史学科教授の一人・重野安繹(しげの=やすつぐ )は、大久保の縁戚であり、大久保に、西郷の伝記を書くことを依頼された、いわく付きの人物である。さらにもう一人の東京帝国大学国史学科教授は、大久保等の欧米視察に同行し、その記録『特命全権大使 米欧回覧実記』を書いた久米邦武であった。重野安繹と久米邦武は、共に日本国史編纂事業に参加している。東京帝国大学国史学科の編纂する「日本史 」が、信用出来るわけがない。

( 続く)

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