哲学者=山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

【歴史学者亡国論(1)】 今、新幹線の中です。新神戸駅。明日、東京で仕事があるので、今日中に東京に着くように 昼頃、鹿児島中央駅を出発しました。

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歴史学者亡国論(1)】

今、新幹線の中です。新神戸駅。明日、東京で仕事があるので、今日中に東京に着くように
昼頃、鹿児島中央駅を出発しました。朝早く、出発する計画を立てて、早く就寝したのだが、目は覚めたが、疲れているらしく、起きれなかった。肥薩線を経由して、新八代まで行き、そこから新幹線に乗ろうと思っていたが、どーも無理らしいと分かった。無理せず、のんびり行こうというわけで、新幹線直通で、上京することにした、というわけです。道中、いわゆる「百田尚樹『 曰本国紀 』 論争」、あるいは、「 呉座勇一/八幡和郎論争 」の関係の資料や文献を読み直した。スマホの中に、おもだった論争史料は収集していた。私は、最初の段階から、つまり「ウキペディアからのパクリ」疑惑云々の段階から、この論争に興味を持っている。断っておくが、私は、元々百田尚樹を擁護するつもりはないし、また井沢元彦を擁護するつもりもない。どちらかといえば、百田尚樹井沢元彦も、私にとっては問題外の人物たちである。彼等は「作家 」ということになっているが、私は、彼等に「作家 」を代表させるのには無理があると思う。私が関心を持つのは、「 歴史学者 」を自称する呉座勇一の議論である。つまり、呉座勇一は、「歴史学者 」という幻想の権利を振りかざして、作家や評論家を批判、蔑視、罵倒しているようだ。私は、呉座勇一が、どういう作家や評論家を念頭に、大言壮語しているのか分からないが、要するに「メクラ、蛇に怖じず 」的な大言壮語ではないのか、と想像する。たとえば、歴史に造詣の深い徳富蘇峰森鴎外幸田露伴などはどうなのか。彼等も その種の作家や評論家の部類なのか。是非とも知りたいものだが、おそらく答えられないだろう。場末の「歴史学者」の端くれに過ぎない呉座勇一には、「徳富蘇峰よ、お前は評論家かジャーナリスト にすぎなのだから、歴史を語る資格はない」などと言えるのか。そこまでの勇気も蛮勇も持ち合わせていないだろう。西郷隆盛を絶賛している中江兆民福沢諭吉内村鑑三は、どうか。たしかに 彼等は、「 歴史学者 」ではないのだから、呉座勇一の評価からいえば、「歴史研究」をする資格もない「 評論家 」なのだが、どうなのか。彼等の西郷隆盛論は、語るに値しない素人のタワゴトに過ぎないのか。たとえば、福沢諭吉西郷隆盛擁護論として知られる『丁丑公論 』を、歴史学者たちはどう読むのだろうか。歴史学者的には、取るに足らない妄言でしかないのか。というのは、半ば冗談。半ば本気。東大国史学科卒の歴史学者( 圭室諦成 、岩波書店西郷隆盛 』)は 、福沢諭吉の『丁丑公論 』を理解していないだけではなく、全く逆に理解し、「 福沢諭吉も、西郷隆盛を厳しく批判している」と大真面目に書いている。歴史学者の史料や文献の読み方って、そんなものである。さすがに出版元の岩波書店は 恥ずかしくなったらしく 絶版にしているという喜劇まで引き起こしている。歴史学者が、福沢諭吉の『丁丑公論 』を読めていないのである・・・。というわけで、今日はここまで。私は、今、新幹線「めぐみ 」で、東京を目指しています。鹿児島の「さつま揚げ 」を肴に、焼酎「あらわざ 」をちびりちびり呑んでます。「あらわざ 」は、自宅から持ってきました。実は、小生の先祖が、集落の人に土地を提供し、そこに公民館を建てたらしく、今でもその上納金(借地料 )として、「あらわざ 」を、熨斗紙つきで、もって来るというわけです。もちろん仏壇にあげましたよ。先祖の焼酎の残りを、新幹線の中で呑み、この馬鹿息子( 放蕩息子 )は 、すっかり 酔っ払って来ました。というわけで、今日は、ここまで。