哲学者=山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

【歴史学者亡国論■呉座勇一への公開状( 6) 百田尚樹『 日本国紀』を巡る八幡和郎や 井沢元彦等と、呉座勇一の論争を検証していくと、最近、顕著になりつつある、ある現象に気付く。歴史論争にふさわしくない下世話な話だが、それは、「 東大大学院博士号取得者」たちの就職難という現象だ。

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歴史学者亡国論■呉座勇一への公開状(6)⠀】

百田尚樹『 日本国紀』を巡る八幡和郎や
井沢元彦等と、呉座勇一の論争を検証していくと、最近、顕著になりつつある、ある現象に気付く。歴史論争にふさわしくない下世話な話だが、それは、「 東大大学院博士号取得者」たちの就職難という現象だ。呉座勇一も例外ではないようだ。「 東大大学院博士号取得者」であるにもかかわらず、40歳近くなってもまだ「助教( 助手 ) 」らしい。どうも呉座勇一の最大の関心事が、この問題のように見えるから、残念だ。だから、マトモな歴史論争かと思って、論争の記録を読んでいくと、はぐらかされることになる。「歴史学者は偉い 」「 歴史研究は大学やそれに準ずる研究機関の関係者がやるべきだ」と言いつつ、一方で、「 在野のアマチュア歴史研究者は、本業に戻るべきだ 」「 在野のトンデモ歴史研究者は、専門家たる歴史学者の仕事を邪魔している 」「 作家や評論家が、『陰謀論』を撒き散らし、マスコミやジャーナリズムなどで人気者になるのは許せない 」・・・などと、ちょっと考えられないような暴言や妄言を撒き散らす。「井沢元彦の歴史研究が『陰謀論』だと言うなら、具体的に論破すれば・・・」と問うと、「そんなことは歴史学者の仕事ではない」と逃げて、逆に居直る。たとえば、八幡和郎が、中世史であろうと近代史であろうと、政治的な歴史問題の分析には、「 政治関係のプロ 」の眼力や分析力が役に立つのではないか、と言うと、たちどころに、呉座勇一は、「そんなことはない 」「 中世の政治と近現代の政治は違う 」「 政治的な歴史問題でも歴史学者がやるべきだ」・・・と反論、反撃する。歴史小説家やアマチュア歴史研究者を冒涜・罵倒する一方で、ただひたすら、「 歴史学者擁護論 」を展開する。呉座勇一の言う「歴史学者 」とは、東大を頂点とする大学関係者の歴史研究者であるようだ。はっきり言って、くだらない世俗的議論である。しかし、この問題は、実は、くだらない問題ではない。現代曰本の社会や文化に巣食う病巣であり、しかも、それは、現代日本が直面する根本的な 、深刻な病魔であるからだ。日本の社会全体が、「学歴主義化=組織の空洞化」しつつある。私が、文学関係の文章を書き始めた頃も同じような現象が起こりつつあった。「文壇の高学歴化 」である。「 文学の高学歴化 」イクオール「文学の空洞化 」であった。その結果、どうなったか。現代日本の文学の衰退、文壇の地盤沈下は、そこに原因があると、私は考えている。たとえば、文芸誌から、有能な文芸評論家たちが消え、その代わりに、無能な「博士号取得者 」たちが氾濫するようになった。無味乾燥な駄文が文芸誌を占領し、文学のエネルギーは消えた。一方では、「博士号も持っていないくせに、大学教授になりやがって・・・ 」というような声が聞こえて来るようになった。文学の世界も、「 文学研究者 =博士号取得者」が横行するようになって、文学や文壇は、ただひたすら「衰退の道」を爆走中と言うべきだろう。呉座勇一の「 歴史学者擁護論」も、「 歴史学の自殺 論」だというべきかもしれない。

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