哲学者=山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

【歴史学者亡国論★トンデモ歴史学者=呉座勇一への公開状(7)⠀】 私の「 呉座勇一批判 」は、呉座勇一が言いてもいないこと( 書いてもいないこと )を、批判の根拠にして批判している、と言う人がいるようなので、呉座勇一の書いた文章を、出来る限り、そのまま引用しながら、「呉座勇一批判」を続けることにしよう。y

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歴史学者亡国論★トンデモ歴史学者=呉座勇一への公開状(7)⠀】

私の「 呉座勇一批判 」は、呉座勇一が言いてもいないこと( 書いてもいないこと )を、批判の根拠にして批判している、と言う人がいるようなので、呉座勇一の書いた文章を、出来る限り、そのまま引用しながら、「呉座勇一批判」を続けることにしよう。私は、呉座勇一の書いた著作物は、ほぼ読んでいる。百田尚樹井沢元彦、八幡和郎等との「論争」に刺激されて、私は、呉座勇一の言動に興味を持つようになった。呉座勇一の書籍類も手に入るものは、手に入れた。その書籍類も、手元に置いている。私は、呉座勇一の文章を読まずに「呉座勇一批判」をしているわけではない。というわけで、呉座勇一の文章の中で、気になった文章を引用してみよう。呉座勇一の著述を見ていくと、「 階級闘争史観」とか「 唯物史観 」「革命 」という言葉が良く出て来る。どうも、呉座勇一は、そういう史観に依拠する歴史記述に反対らしい。要するに伝統的な左翼ではないらしい。
▼▼▼以下引用▼▼ ▼
《 これに民衆が権力を打倒するために決起するという「 階級闘争史観」 や、経済発展が階級間の矛盾を生み出すという「唯物史観 」が結びつくと、体制の動揺・混乱ばかりが語られるはめになる。実際 、昔の歴史を読んでいると、どの時代の叙述にも「農民層の台頭 」や「 貨幣経済の浸透 」によって支配が動揺した、という似たような説明が出てくる。ぶっちゃけた話、こういう決まり文句は何も言っていないに等しい。》( 『戦争の曰本中世史 』 )
▲▲▲引用終了▲▲▲

「話、こういう決まり文句は何も言っていないに等しい 」と。そうだろうか。私は、そうは思はない。私は、マルクス主義者ではないが、階級闘争史観にも一理も二理もあると思う。この文章を読んでいると、呉座勇一が、戦後の知的空間で、大きな勢力を占めて来たマルクス主義マルクス主義的な唯物史観などに対して、かなり批判的だということが分かる。つまり、呉座勇一はマルクス主義者でも左翼でもないらしいことが分かる。ベストセラーになっているらしい『 応仁の乱』にも、こういう文章がある。

▼▼▼以下引用▼▼ ▼
《 尋尊への評価が低いのは、戦後歴史学階級闘争史観を基調としたことに一因がある。( 中略 )階級闘争史観とは、下の階級の者が上の階級の者に対して闘争を越こし、打倒することで歴史は進歩する、という歴史観のことである。この理論で応仁の乱を評価すると、尋尊は打倒される支配階級の側に回される。下克上を嘆く尋尊は、武士や民衆の成長といった現実を受け入れられず愚痴をこぼすだけの無力な荘園領主の象徴にされてしまったのだ。》(『 応仁の乱』 )
▲▲▲引用終了▲▲▲

一揆の原理』からも、似たような文章を引用しておこう。こんな文章がある。

▼▼▼以下引用▼▼ ▼
したがって、戦後歴史学では「日本の人民が権力と闘った歴史 」を明らかにすることが最重要の課題となった。このような潮流の中、一揆史は「 階級闘争の歴史 」として研究されたのである。「 過去の歴史において、民衆は一揆を起こして権力と闘った。我々も革命のために闘おうじゃないか! 」というわけだ。こうした研究傾向は、ソ連が崩壊し革命の夢が潰えてからも、多少の修正はなされたものの、依然残っている。(『一揆の原理 』 )
▲▲▲引用終了▲▲▲

ネット右翼陰謀論を厳しく、執拗に批判、罵倒する一方で、ネット右翼と対局にあると思われるマルクス主義的な階級闘争史観や唯物史観をも批判しているというわけだ。これはどういうことを意味するだろうか。右を切り左を切り、第三の道を行くというわけだが、私の見るところでは、呉座勇一という人物は、かなり調子のいい、軽い人物だということが分かる。要するに、時代の流れに敏感な時局便乗主義者だということだ。ちゃっかり、ポスト・モダン的流行思想に乗っているというわけだ。呉座勇一の多産する文章をを見ても、本質的、原理的な文章を書く人ではなく、「 軽いタッチ」(呉座勇一の言葉 )の文章を書き散らすマスコミ迎合型の、通俗小説家並の「歴史ライター 」( 呉座勇一の言葉 )に過ぎないということが分かる。私的には、信用出来ないタイプである。










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