哲学者=山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』

哲学者、文芸評論家。慶應義塾大学大学院(哲学)修了。東工大、埼玉大学教員を経て現職。著書=『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論 』『曽野綾子大批判 』『エセ保守が日本を滅ぼす 』『最高裁の罠 』など。『マルクスとエンゲルス』を「月刊日本」に連載中。近刊予定に『佐藤優対談集』『小説・南洲伝』など。

【歴史学者亡国論 (12)★トンデモ歴史学者=呉座勇一への公開状】 呉座勇一の、怪しい「 文章」を確認出来たので、まずその文章を引用しておきたい。そんなことは言ったとか、言ってないとか、あるいは、書いたとか、書いていないとか、無駄な議論を省略するために、長いが、元の原文をそのまま引用しておく。「 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか 」という文である。この文は、突っ込みどころ満載の妄言=迷言なのだが、それに気付いていない人も少なくないようだから、細かく、分析・解明しておこう。この一文を通読し

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歴史学者亡国論 (12)★トンデモ歴史学者=呉座勇一への公開状】

呉座勇一の、怪しい「 文章」を確認出来たのpで、まずその文章を引用しておきたい。そんなことは言ったとか、言ってないとか、あるいは、書いたとか、書いていないとか、無駄な議論を省略するために、長いが、元の原文をそのまま引用しておく。「 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか 」という文である。この文は、突っ込みどころ満載の妄言=迷言なのだが、それに気付いていない人も少なくないようだから、細かく、分析・解明しておこう。この一文を通読して、呉座勇一の思想的レベルの低さに唖然とした。史料や文献の解読に「 人生経験」は不要だと言うのだ。そこで出してきた「 人生経験を積んだ人」の具体例が、「 ドシロートの耄碌寸前の老人」(笑)らしい、というのだが・・・。もし、この老人が、小林秀雄森鴎外だったら・・・とは、呉座勇一は、考えないらしい。俗物に過ぎない呉座勇一の才能の限界である。史料や文献の解読に 、「 人生経験 」が必要か不要かではなく、否応もなく「 人生経験」が反映するのだ。たとえば同じ史料や文献を読んで、それぞれ「 人生経験」の異なる100人の人が100人、同じ判断を下すのだろうか。そんなはずがない。そういう「 抽象的個人」が、100人もいるはずはない。そんなことは絵に描いた餅。みんな、人間なら、同じ判断をくだすはずだ、と呉座勇一は言うのだろうか。小学生でも、そんな話は眉唾モノだと思うだろう。それが「科学的歴史学 」だと(?)。それこそ、「 歴史の捏造」である。ヒットラースターリンも真っ青の歴史の捏造による恐怖政治である。私は、呉座勇一が、悪意を込めて引用した八幡和郎の「 文献や史料の解読には人生経験、専門的知識、推理能力が必要だ」という意見は間違ってはいないと思う。呉座勇一は、その八幡和郎説を否定するために「 人生経験を積んだ人=単なるドシロートの老人 」をひきあいに出して来たというわけだ。「 人生経験豊富な人=老人」。なるほど、なるほど。呉座勇一の思想的次元が低さに唖然、呆然とするほかはない。なるほど、それなら、史料や文献を読み解くのに「 人生経験 」など不要だろう。挙げ句の果ては、「 資料のないところに歴史はないのだ」( 呉座勇一 )というわけだ。まことに『 迷言=妄言』というほかはない。そのうち、呉座勇一のコトだから、「 歴史学者のいないところに歴史はない」「歴史は歴史学者のためにある。在野の歴史愛好家は邪魔だから消えろ 」と、言い出すかもしれない。冗談だが・・・。これからは、『 夏目漱石 』についても、『 本居宣長』についても、また『空海 』や『 親鸞』についても、あるいは『平家物語 』や『 太平記』についても、トンデモ歴史学者=呉座勇一センセイに読み解いてもらおう。というのも悪い冗談。誰が 、凡庸、低俗な歴史学者などに、古典や文献の解読や解釈を期待するか。誰も期待しない。専門的な文学書や宗教書などの解読に、呉座勇一のような『 頭の悪い愚鈍な歴史学者 』の出る幕はないのである。

▼▼▼以下引用▼▼ ▼
八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか。2019年03月26日 06:01


前回に引き続き、八幡和郎氏の反論に回答する。
■人生経験は歴史研究に益するか

八幡氏は

呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない

と述べる。

こういう誤解をしている歴史愛好家は非常に多い。私が大学院生の頃、定年退職して大学の聴講生として日本史学研究室に出入りしている方がいた。その人は「歴史なんてものは若い人には分からない。人生経験を積んでこそ分かるのだ」と主張されていた。だがもちろん、大学院生の方がその方より史料が読めるし知識もあるので、みんなで色々と指導するのだが、自分の息子や娘より年下の若造たちに指図されるのが癪に障ったようで、そのうち姿を見せなくなった。

当時の私は「困ったお年寄りだな」と思っていた。けれども今にして思うと、その方は自己流の独学ではなく大学でしっかり歴史学を学ぼうという意欲を持っていたわけだから、歴史学の初歩すら学ぼうともしない八幡氏よりは立派である。


史学概論などで歴史学の学生が最初に学ぶことは、「私たちは過去を直接体験することができないから、史料という媒介物を通じて過去に迫るしかない」ということである。すなわち「史料のないところに歴史はない」のである。ゆえに史料の発見・整理・解釈の技法が歴史学の根幹をなしている。

八幡氏は史料解釈には人生経験がものを言うと主張するが、神戸大学教授の木村幹氏も指摘するように、人生経験などという主観的なものに基づいて分析していたら、客観性・再現性が担保できず、学問として成立しない。

しかし、八幡さんの文章を見ていると、やっぱり素人さんは怖いな、と。分析に個人的経験交えたらもう学問や無いやん。同じ資料と同じ分析方法を使えば、同じ結論が出てくるのじゃなければ、ただの

八幡氏の人生経験は八幡氏だけのものであり、他の人は継承できないからだ。仮に八幡氏の深い人生経験に基づく歴史解釈が正しかったとして、八幡氏が亡くなった後、私たちはどうやって歴史研究を進めれば良いのか。次の「天才」が現れることをお祈りでもするのだろうか

歴史学者が方法論をうるさく言うのは、方法論を正しく身につければ、誰でも一定の研究成果を出せるからである。八幡氏は(アゴラ記事にはさすがに書いていないが)ご自分のfacebookには「たかが助教の分際で歴史学界を代表するな」と書いておられる。

これ八幡氏は皮肉のつもりで言ってるんだろうけど、自分も大学業界に身を置いているくせに、本当に何ひとつ業界のこと知らないんだな。これが実務家教員様か…二枚目の画像はもはや意味不明。どんな思考回路してたら自分への批判者を全部一緒くたに「似たもの同士」だとか呼べるんだ。雑すぎるだろ。

だが大御所・長老の研究であっても、正しい研究手法に基づいて批判すれば覆すことも可能という平等性こそが、学問の本質である。八幡氏は私に「歴史学界の古い体質と戦え」と注文をつけるが、「年長で人生経験が豊富な自分の方が、史料が読めるだけの若造よりも歴史が分かる」「助教ごときが教授の私を批判するなど許せない」というドグマの方がよほど権威主義的ではないか。

そもそも歴史を明らかにするという営為は、「他者」を理解しようという試みである。もし人生経験で歴史が分かるなら、わざわざ歴史なんて学ぶ必要はない。一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶのである。

人生経験に基づいて歴史を読み解くと言えば聞こえは良いが、所詮自分の価値観を過去に投影し、自分の主義主張を歴史によって正当化することにしかならない。要するに「他者」ではなくて「自分の鏡像」を見ているだけだ。「私が織田信長だったら、こう判断する」などというヨタ話に価値があろうはずがない。

■人生経験を誇る前にすべきこと

八幡氏は拙著『陰謀の日本中世史』(KADOKAWA)に関しても否定的な感想を述べておられる。拙著あとがきでも記したように、私は拙著で示した仮説に絶対の自信を持っているわけではないので(そもそも拙著は先行学説の紹介と整理に重きを置いている)、批判は大いに歓迎する。付け足り的に嫌味を書く今回の記事のようなものではなく、ぜひきちんとした書評の体裁で批判していただきたい。

それにしても、歴史学界の権威主義をあれだけ批判してきた八幡氏が、「東京大学教授の本郷和人氏が呉座を批判しているので、呉座の見解が正しいとは言えない」という権威主義丸出しの主張をしてくるとは思わなかった。

もし八幡氏が拙著を書評して下さる場合は、ぜひ歴史学者の権威に頼る評論家スタイルではなく、御自身の責任で批判していただきたい。なお拙著『応仁の乱』(中公新書)に対する本郷和人氏の批判に対しては、某雑誌で反論する予定である。ご興味がおありならば、そちらもお読みいただきたい。

ところで八幡氏は、私が「人格攻撃を含む罵詈雑言」を行っていると批判する。そもそも私が八幡氏とやりとりをすることになった発端が、「呉座は私の見解を盗用した」と八幡氏が誹謗中傷したことにあるという事実をお忘れなのだろうか。

官僚、あるいは作家の世界のルールは良く知らないが、学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない。私怨に基づいて八幡氏を批判していると誤解されると困るので今まで黙ってきたが、盗用の言いがかりの件は後で「あれは冗談だった」で済む話ではない。人生経験豊富な大人だというのなら、この問題につき私に対して明確に謝罪すべきだ。

他人の品格をうんぬんする前に、まずは御自身が年齢・経験にふさわしい言動をするよう心がけてはいかがだろうか。これが私からの最後の忠告である。( 呉座勇一『八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか 』)
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